日本刀を楽しむために
日本刀の豆知識
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日本刀を鑑賞するには、日本刀本体から放たれる美しさを感じ取ることが重要です。しかし、日本刀がどのような扱いを受けて、現代に受け継がれているのかというところにも思いを馳せることで、鑑賞の楽しみがより一層深くなる物。ここでは、そんな日本刀を楽しむポイントをご紹介します。

鉄は宇宙から飛来した

ヒッタイト人

ヒッタイト人

人類の鉄文化は、今をさかのぼることおよそ4千数百年、小アジア・メソポタミア・シリアを征服したアーリア系民族のヒッタイト人が、世界に先駆けて鉄器を製造し、それをもとに繫栄したことに始まると言われています。

ヒッタイトのアラジャ・フォユク王墓から、紀元前2,300年頃と推定される世界最古の鉄剣が発見されており、黄金製の鞘に入ったこの剣は、トルコのアンカラ美術館に収蔵されています。

この鉄剣で驚くべきことは、人の手で作られた鉄ではなく、宇宙から飛来した隕石(いんせき)、その中で鉄を多く含む「隕鉄」(いんてつ)でできていたことです。人工鉄では考えられない3パーセント以上のニッケル分が検出されたことで、隕鉄であると推定できました。古代エジプト人も、鉄は空から飛来する物と考えていたようです。

宇宙から飛来した鉄

宇宙から飛来した鉄

また、お隣の中国では、紀元前1,400年頃、銅製の鉞(えつ・まさかり)が発掘されていますが、その刃先が鉄でできており、この鉄もニッケルを多く含有していることからも、やはり隕鉄が使用されたと認められました。

さらに中国の鉄は一歩進んでおり、組織が薄い層状となって「折り返し鍛錬」が行なわれていたと言われています。これは、日本刀鍛錬技術にもつながる驚異的なできごとです。

神々と日本刀

軻遇突智を斬った伊邪那岐命

軻遇突智を斬った伊邪那岐命

日本では古来、そんな鉄から作り出される日本刀について、神々との関係性が語り継がれています。

日本刀の始まりは、男神「伊邪那岐命」(いざなぎのみこと)と女神「伊邪那美命」(いざなみのみこと)の国創り[国生み](くにづくり[くにうみ])からであると伝わっているのです。

はじめに伊邪那美命が「あなにやし、えをとこを」と呼びかけ、伊邪那岐命が「あなにやし、えをとめを」と呼びかけたところ、残念ながら立派な子神は生まれず、その子は気の毒にも葦の小舟に乗せられ海に流されてしまいます。摂津国(せっつのくに:現在の兵庫県)の西宮に漂着後、鎮座して神となり、海の彼方より福を運んで来てくれる神として祭られました。これが、七福神で唯一の日本神「恵比寿様」(えびすさま)です。

その後、呼びかける順番を男神・伊邪那岐命が先、女神・伊邪那美命があとへと交代したところ、8つの島々を生み出すことに成功。これが「大八島」(おおやしま:日本)となりました。

さらに次々と自然神を生み、最後に火神「軻遇突智」(かぐつち)を生んだことにより、その火で焼かれた伊邪那美命は亡くなり、死者が生活する黄泉の国へ行ってしまいます。これに怒った伊邪那岐命は、腰の「十握剣」(とつかのつるぎ)で軻遇突智を斬りました。そうすると、斬った刀身に付いた血から「経津主神」(ふつぬしのかみ)が生まれ、この神が下総国(しもうさのくに:現在の千葉県)に鎮座する「香取神宮」(かとりじんぐう)の主祭神です。

また、鍔(つば)から流れた血から生まれたのが「武甕槌神」(たけみかづちのかみ)。この神は、常陸国(ひたちのくに:現在の茨城県)の「鹿島神宮」(かしまじんぐう)の主祭神です。

八岐大蛇と天叢雲剣

八岐大蛇を討ち取る素戔男尊

八岐大蛇を討ち取る素戔男尊

そののち十握剣は、伊邪那岐命ひとりで生んだ「天照大神」(あまてらすおおみかみ)から弟神「素戔男尊」(すさのおのみこと)に授けられ、素戔男尊は、この剣で「八岐大蛇」(やまたのおろち)を討ち取りました。そのとき、八岐大蛇の体内(尾)から出てきたのが「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ)です。

そして、12代「景行天皇」(けいこうてんのう)が「日本武尊」(やまとたけるのみこと)に天叢雲剣を授け、帰順しない東国の平定を命じますが、日本武尊が焼津(やきつ)まで来たとき、敵が草藁(くさわら)に点けた火に囲まれ、絶体絶命の大ピンチに。あわやと思ったそのとき、腰に付けていた天叢雲剣が自然に抜け出て草を薙いだのを見て、ひらめいた日本武尊は逆に火を点け返し、難を逃れました。

このことから、天叢雲剣は「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)と名を変え、現在は「三種の神器」のひとつとして、名古屋市にある「熱田神宮」(あつたじんぐう)の御神体になっています。

また、武甕槌神が国を平定した剣「韴霊剣」(ふつのみたまのつるぎ)は、神武天皇(じんむてんのう)に授けられ、倭国を治める助けとなり、のちに奈良県にある「石上神宮」(いそのかみじんぐう)の御神体となりました。

国の宝でもある日本刀

古代より日本刀が大事にされ受け継がれてきたことは、国宝の数にも表れています。我が国の国宝は、年々新たに指定されることによって数は変わりますが、2016年(平成28年)12月時点では件数にすると1,100件、点数にすると1,196点あるのです。

その内訳は、書典籍が225点・絵画160点・彫刻131点となっており、日本刀は123点で、全体の1割以上。それに対し、同じ工芸品で一般人に最もなじみが深い陶磁器は15点しかありません。その内、日本人の作品は5点のみ、中国製が9点、朝鮮製が1点です。

日本刀が美術工芸品の中でいかに重要な地位にあるかが分かりますが、その事実を知る日本人は実に少数です。それは「日本刀は武器」との認識が強く、美術工芸品として観ようとする人が少ないからだと言われています。

日本刀は本当に武器として使われていたのか?

戦国時代の合戦風景

戦国時代の合戦風景

日頃、時代劇や時代小説を見ていると、あたかも武器の主役は日本刀と思ってしまうのですが、実は戦国時代を含めて日本刀が武器の主役だった時代はありません。

戦国時代の人口は、全国で1,300万人ほどですが、1回の合戦の平均死亡人数は5人ほどと考察されています。その内、弓矢・鉄砲等の飛び道具での死者が4名、槍(やり)・薙刀(なぎなた)等が1名です。

戦国時代には、多数の足軽も戦闘に参加するようになりましたが、弓も日本刀も、高い操作技術を必要とする武器なので、あまり特別な訓練を受けていない足軽は、基本的に武士の介添えが主で、槍や石投げで合戦に参加していました。武士にとっても、足軽をいくら殺傷しても手柄にはならないので、やはり合戦は武士対武士の闘いが主体であり、その際も主な武器は弓や槍でした。したがって、弓や槍は消耗してあまり残っていないのです。

特に槍は実用であれば良く「名槍」と言われる物は少数に過ぎないため、薙刀に国宝はありますが、槍には国宝はありません。

ちなみに戦国武将には、日本刀の作風にそれぞれ好みがありました。「織田信長」は「備前長船光忠」(びぜんおさふねみつただ)を20振以上も集め「上杉謙信」(うえすぎけんしん)は「山鳥毛一文字」(やまとりげいちもんじ)・「備前長船長光」(びぜんおさふねながみつ)、「徳川家康」は鎌倉一文字助真(かまくらいちもんじすけざね)を愛刀としていたのです。

他にも「黒田官兵衛」(くろだかんべえ)の「へし切長谷部」(へしきりはせべ)、「細川幽斎」(ほそかわゆうさい)の「和泉守兼定」(いずみのかみかねさだ)、「伊達政宗」の「くろんぼ斬り景秀」(くろんぼぎりかげひで)、「明智光秀」の「備前長船近景」(びぜんおさふねちかかげ)など、書き出せばキリがありません。

実用の美こそが名刀の条件か?

折れず・曲がらず1,000年生きてきた日本の名刀。その静謐(せいひつ:静かで落ち着いているさま)な美しさからあふれ出る物語は、ときの流れを超えて心に響きます。

それでは、私たちを惹き付けてやまない名刀の条件とは何でしょうか。

もちろん「折れず・曲がらず・よく切れる」と言う機能は、日本刀として大切なことです。極限を追及したことで生まれた美しさは、その中から出現しました。しかし、残念なことに、その驚異的な機能性ゆえに、そのことが先入観となって、単なる武器と思っている方も多いのが現実です。

しかし、色眼鏡を外して見てみると「無駄のない洗練された刀姿の美しさ」、「深く青々とした地鉄(じがね)の鍛え込まれた美しさ」、「杢目(もくめ)状に織りなされた鉄肌の精微な美」、「星のようにきらめく刃文(はもん)の美しさ」、「祈りを込めた刀身彫刻の素晴らしさ」などの複雑な美が、渾然(こんぜん)一体となった日本刀から観えるはずです。

と、説明しても、日本刀好きが誇張して美辞麗句を並べて、我田引水の説明をしているのではないかと思う人もいるかも知れません。または、名品・名作と評価されている物は、何か基準となる目安があるのかと懐疑的に思う方も多いでしょう。

専門家や日本刀好きの評価は、本当に正しいのでしょうか?

日本刀を美術品として観る

少し視点を変えて考えてみましょう。

印象派の画家達の多くは生前、全く評価されませんでした。ゴッホは生涯500枚の絵を描き、そのうちの2・3枚しか売れず、最後は自ら命を絶ちました。

当時としては、何だか訳が分からない、いかがわしいとの評価をされ、当時の人々の「こういう絵が良い」と言う基準に合わなかったので、駄作とされました。このように、人は学習経験による刷り込みや、各自の常識で物を見てしまいがちです。

例えば、抽象画を見て途方に暮れたことはありませんか?絵として考えると変に思いますが、洋服の柄と考えたらどうでしょう?洋服の柄のほとんどが抽象画です。

また、見方を変えて、商品として値段の高い物の特徴とは何でしょう?それには、世間一般に評価の定まった物、歴史上の有名人の所有物だった希少価値の高い物、金や宝石などを使った物など様々にあります。加えて新作であればコストが上乗せされるので、さらに値段は高くなるのです。他にも、一流ブランドと世間が認める物も高価になります。

これらの物は、当然一定水準を満たしているために高値が付くのですが、その水準が、そのまま名品・名作の判断基準にならないのです。

古くから人は、美の基準を様々に考えてきました。古代ギリシャのピタゴラス学派に端を発する「黄金比」(1対1.616)(作例:ピラミッド、パルテノン神殿、ミロのビーナス、モナ・リザなど)は人間にとって最も安定し、美しい比率とされ、美術的要素のひとつとされています。これに対し、日本では黄金比より人気がある「白銀比」(1対1.46)があるのです(作例:法隆寺、見返り美人図、コミックの人気キャラクターなど)。愛おしさ、趣深さなど愛すべき物と感じられ、かわいいと思える比率となっています。

借景を用いた庭園

借景を用いた庭園

また、西洋画では必ず中心があり、遠近法や光と影を使って、庭園や陶磁器などをシンメトリーに作るので、日本人が観るとどこか人工的に思えます。それに対し日本画では、観る人が扇の要になる左右対称に描き、庭は自然を模したり、周囲の山水を庭の一部に見立てる「借景」という造園技法を使ったり、陶磁器などは非対称の妙を良しとするなど、真逆の表現を用いているのです。

このように各種の判断基準があり、文化の違いによって生じる美の基準はかなり異なっています。そのため、できるだけ一方的な見方はしないように鑑賞することが重要ですが、これはなかなか難しいでしょう。それぞれに文化的感性の違いはありますが、素晴らしい作品が残されているのもまた事実なのです。

名作の基準

それでは、名品・名作・名刀の判断基準とは何でしょう?何か共通する価値基準があるのではないでしょうか。それならば、具体的な名刀の条件とは何なのでしょうか?

もちろん「折れず・曲がらず・よく切れる」という機能は重要なことですが、それだけでは名刀とは言えません。

例えば、露店で売っている500円のコーヒーカップと、専門店で売っている30,000円もするコーヒーカップの機能は同じです。しかし、値段の差は歴然としています。この差こそ、美的価値観によって生まれる物であり、日本刀についても名刀の条件は、絵画や陶磁器と共通する美的価値観によるのです。

随分前のことになりますが、人間国宝の14代「酒井田柿右衛門」(さかいだかきえもん)は「きれい」な物を作るのは簡単でも「美しい」物を作るのは難しい、と話しています。

陶磁器売場にある陶器は、皆新しくきれいです。しかし、美術館で観る陶磁器や茶道で使う茶碗は同じように単純にきれいに見えるでしょうか。これらは、様々なきれいが重層的に絡まっており、このきれいの要素をひとつひとつ取り上げ、鑑賞する力を付けるのが勉強だということです。

それでは、きれいな物を見たとき、人はどんな反応をするのでしょう。きれいな物を見たら「人は感心する」、美しい物が理解できたら「人は感動する」、あくまでも比喩ですが、その言わんとする意味は分かります。これがまず1点。

次に絵を見たときに、美術に多少でも興味がある方なら、ピカソの絵・ゴッホの絵ぐらいはサインを見なくてもすぐに分かります。これは、作者それぞれにオリジナリティーがあるからです。日本刀も同様であり、美術品に限らず重要なことです。これが2点目。

最後になりますが、名品には高い精神性が感じられます。カメラでリンゴを撮影しても、例外を除いてリンゴの姿かたちは写せても、リンゴの気持ちは写せません。それに対し印象派の画家達の絵は、写真のように描いている訳ではないのに、精神的な何かが伝わってきます。これが3点目。

以上の3要素が備わった物が、名品の基準になります。日本刀を鑑賞する際にも、これらの要素を勘案することが非常に大切です。しかし、日本刀への理解をより深めるには、ただ観てその美しさを確認するだけでなく、実際に日本刀を手に取り様々な角度から楽しむことが近道。ただし、その際には、持ち方などの注意点があるため、ここで学んだ上で実践することがおすすめです。日本刀の鑑賞に関する知識を学んでから鑑賞し、また違った日本刀の魅力を発見しましょう。

美術品と美術工芸品の違い

絵画やアニメは平面の2次元的世界であり、観るだけで楽しむ物ですが、美術工芸品は実用をかね備え、観るのはもちろんのこと、3次元的世界で観て・持って・触ってと、五感を使って楽しめるという違いがあります。そのため、日本刀は美術館で観ただけでは、本当の魅力を感じることができません。

そこで、各地で開催している日本刀の愛好会や「日本美術刀剣保存協会」が主催する日本刀の鑑賞会に参加してみて、実際に日本刀を手で持って観ることをおすすめします。その際、日本刀を傷付けることや、失礼な振る舞いのないように、主催者の注意事項をしっかり守って鑑賞しましょう。

日本刀を手で持って観る

日本刀を手で持って観る

日本刀を手で持って観る

日本刀の重量は、850~900gぐらいが普通です。力学的に、長い棒の中心を持つと軽く感じ、端を持つと重く感じます。そのため、反りが深いと軽く感じ、反りが浅いと重く感じられるのです。

また、手で持って観るのが最良である理由は、刀身にどの角度で光を当てると「刃文」や「地鉄」がよく観えるかが分かるからです。

この見方が分かると、手に取れない美術館に行ったときでも、光の当て方を体の移動と目線の位置取りで調整できるようになり、正確な鑑賞ができるようになります。

日本刀を鑑賞する

日本刀をより深く知るには、基本となる鑑賞法をしっかり身に付けることが大切。自分の感覚だけで判断・評価すると、独善的な見方になり、偏った鑑賞になってしまうからです。

日本刀は、以下の3つの要素から成り立っています。

  1. 「機能美の極致」とも言うべき「姿」(すがた)。
  2. 素材の鉄その物の持つ美しさと、鍛錬(たんれん)によって生み出された鍛肌(きたえはだ)の美しさを観せてくれる地鉄。
  3. 刀身の上に浮き上がる白い雲のような波模様の刃文。

これらの3つの要素を詳しく見ていきましょう。

姿

ひとつめの姿は、制作時代が分かる重要なポイントです。

「太刀」(たち)は反りが深く、刀身が長いのが特徴。反りが深いのは、馬上戦で騎馬同士のすれ違いの際に、より深く引き切るのに有利なことと、衝撃を小さくするための姿です。それに対し「打刀」(うちがたな)は、反りが浅く、スピードを重視した姿で、刀身もそれほど長くなく、徒歩戦に都合の良い姿と言われています。

太刀は馬に乗るための姿です。馬に乗ると相手との距離が遠くなるので、刀身の長い日本刀を使わなければなりません。長い日本刀は、下から抜き上げると楽に抜けるため、太刀を佩くときには、刃を下にして腰に吊り下げる形式になりました。

また、打刀のように刃を上にして腰に差すと「鐺」(こじり)と言われる「鞘」(さや)の先で馬の尻を叩いて常に鞭が入ってしまうことから、馬上戦の際に、刃を下にした日本刀である太刀を使った理由のひとつです。

しかし、集団戦と鉄砲の出現により真っ先に標的になってしまったため、下馬して戦うように。このとき、刀身をより迅速に、鞘から抜き差しできるような日本刀が必要になったのです。ところが、それまでの馬上戦で用いていた太刀は、1で抜き上げ、2で切り下す、2拍子の動作が必要な物でした。そこで、1拍子での切り付けが可能な打刀が用いられるようになり、それが日本刀の主流になっていったのです。

各時代によって戦闘形態が異なり、それに適した刀姿の日本刀が制作されたため、各時代の日本刀の姿の違いを知ることで、制作年代を推定することができます。

日本刀の鑑賞で最初にすることは、日本刀の姿をよく観ることです。部分的に分割した姿と、全体的な姿の両方を注意深く鑑賞しましょう。また、鋒/切先(きっさき)の大小や鎬(しのぎ)の高低等も、鑑賞する際の大切なポイントになります。

地鉄

地鉄

地鉄

次に、地鉄の美しさは、日本刀を鑑賞する上で最も難しいところです。

日本刀の鍛肌は、鋼を平均15回ほど折り返すことにより、木の目状の地肌を作ります。2の15乗ですから、32,768枚の薄い鉄板の層がベニヤ板のように組み合わされるのです。これにより、衝撃に対する強靭性は2倍に増加。

また、玉鋼(たまはがね)に含まれる炭素量は不均一であるため、何度も折り返すことによって、均一に斑(まだら)のない地鉄にすると共に、鉄中に混入している不純物も同時に叩き出すので、はじめに用意した鉄は10分の1位に減少します。10kgの鉄が900g程度の日本刀になるのです。

その際、鉄の接合面にわずかに残る珪素(けいそ)が、地鉄の鍛え目となる「板目肌」(いためはだ)・「柾目肌」(まさめはだ)・「杢目肌」(もくめはだ)等の美しい肌を作ります。この鍛錬のときに叩き出される不純物の硫黄(いおう)は、赤熱されたときに脆(もろ)くなり、同じく燐(りん)も、鋼鉄に対して常温でも脆性(ぜいせい)を与える物。そのため、鉄は、特に燐と硫黄を嫌い、鍛錬によって取り除く必要があるのです。

刃文

最後の刃文ですが、物を切るために硬度を上げた部分を「焼刃」(やきば)と言います。焼刃と地鉄の境を「刃境」(はざかい)と言い、この刃境を構成しているのが刃文です。

刃文には「沸」(にえ)出来の刃文と「匂」(におい)出来の刃文があります。ともに「マルテンサイト」と言う鉄質の最も硬い部位です。同質の物ですが、肉眼で鉄の結晶状態の粒子が視認できるのを「沸」と言い、霞のように視認できないのを匂と言います。

この違いは、例えて言えば霧と雨の違いのような物で、どちらも水が主原料であることは変わらないので同じですが、それが凹凸になっていて、すりガラスと同じように光を反射して、白く観えるかどうかで名称が変わってくるのです。

刃文の形は「直刃」(すぐは)・「互の目乱」(ぐのめみだれ)・「丁子乱」(ちょうじみだれ)の3種の刃文が基本となり、刀匠それぞれが個性的な刃文を焼いています。

誰でも持てる日本刀

銃砲刀剣類登録証

銃砲刀剣類登録証

「日本刀を持つには、どんな資格が必要ですか?」と言う質問がよくあります。

「銃砲刀剣類所持等取締法」で、日本刀を所持するには、特別の資格が必要とされていると思っている人がとても多いのですが、日本刀は鉄砲とは違い、持つ人に特別の資格は必要ありません。

古来の手法で鍛えられた日本刀は、文化財や美術工芸品と認識されることによって、誰でも所持できるのです。

日本刀1振1振は、文部科学省の所管事務として、各都道府県教育委員会で審査される物。そして、伝統にのっとった作品で、美術工芸品と認められた日本刀には「登録証」が発行されます。この登録証が添付されている日本刀は、絵画や陶磁器を持つのと同じ扱いになるのです。

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