日本刀の歴史
古刀・新刀・新々刀・現代刀の変遷
日本刀の歴史
古刀・新刀・新々刀・現代刀の変遷

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日本刀(刀剣)が現在の「日本刀」と呼ばれる反りがある形となったのは平安時代までさかのぼります。日本刀(刀剣)は1,000年以上の時を経て、各時代の影響を受けながら時代に応じた特色を持ち現在まで伝わっているのです。ここでは、日本刀(刀剣)における時代の特色についてご紹介します。

古刀から現代刀までの流れ

日本刀(刀剣)は大きく、「古刀」(ことう)、「新刀」(しんとう)、「新々刀」(しんしんとう)、「現代刀」(げんだいとう)に時代区分されます。

刀剣史上
の区分
日本刀の姿 年号 時代
古刀 鎌倉時代の太刀姿 平安時代末期~
1595年(文禄4年)
平安時代
(794~1185年)
鎌倉時代
(1185~1333年)
南北朝時代
(1333~1394年)
室町時代
(1394~1573年)
安土桃山時代
(1573~1600年)
新刀 慶長新刀 1596年(慶長元年)~
1780年(安永9年)
江戸時代
(1600~1868年)
新々刀 水心子正秀 1781年(天明元年)~
1876年(明治9年)
廃刀令まで
明治時代
(1868~1912年)
現代刀 大阪住月山貞勝謹作昭和七年十月吉日 1876年(明治9年)~

※古刀より前の刀剣(上古刀は、「日本刀」ではなく「刀剣」と称します。)は上古刀と呼ばれ、剣や直刀などの出土品が多く、古刀以降の鎬造りの太刀とは様相が異なります。

これらの区分が起きた背景にどのような違いがあるか、日本刀(刀剣)としてどのような違いがあるかについてご紹介します。

日本刀の全盛期古刀時代の発展

五箇伝

五箇伝

国指定文化財(国宝や重要文化財)に選ばれている多くの作品は古刀に分類される刀です。ひとくちに古刀と言っても、平安時代中期から安土桃山時代末期という800年近い期間に作られた刀であるため、時代ごとの特徴も異なり、一括りで表現することはできません。

しかし、この古刀期に「五箇伝」が生まれ、各地域、各時代で特色あふれる美しい刀を制作したことにより、美術品としての日本刀(刀剣)が確立したことは間違いないでしょう。

  • 五箇伝(五ヵ伝、五ヶ伝)について詳しくご紹介します。

  • 五箇伝の名工
    日本刀(刀剣)の歴史に名を残した、数々の名工をご紹介します。

下克上文化がもとになった新刀の開花

堀川国広・肥前国忠吉

堀川国広・肥前国忠吉

新刀の始まりとなる1596年(慶長元年)、この頃は戦国時代の下克上が広く浸透しており、芸術文化においても実力で評価される社会風土でした。例えば、茶の湯を大成した千利休や、絵画の狩野山楽(さんらく)といった、新しくその時代に興った実力のある人物が評価をされる時代となったのです。

この流れは刀剣界においても同様で、従来の家系や伝統と異なり、独学で芽を出す刀工が増えました。代表例として、堀川国広や肥前国忠吉は武家の出身であると言われており、その他にも、かつては注目されていなかった出自の刀鍛冶も実力で名匠と評されるようになったのです。

新刀の特徴

数珠刃・濤瀾刃

数珠刃・濤瀾刃

古刀期には美濃伝は美濃、備前伝は備前といったように、地域において特定の伝法が発達していました。一方、新刀期には交通手段の発達により、人の移動も資材の移動も容易になったことから、それぞれの伝法を持つ刀工が大坂や江戸などに広く分布するようになったのです。

特に、美濃伝の刀工は全国に幅広く分布しました。これは、織田信長豊臣秀吉徳川家康の配下である武将達が全国に散らばり、城主となったからです。武将達の出身地が美濃に近かったため、各々は地元美濃の鍛冶を連れて全国に散らばりました。これによって、各地に美濃伝が伝わり、新刀の発達に貢献したのです。

さらに、新刀は従来と異なる手法が研究され、南蛮鉄の使用の他、数珠刃(じゅずば)や濤瀾刃(とうらんば)など新しい刃文が作り出されました。

新刀にもいろいろある慶長新刀・寛文新刀

慶長新刀・寛文新刀

慶長新刀・寛文新刀

慶長新刀は、弱肉強食であった下克上の時代を引継ぎ、勇壮で堂々とした造りの日本刀(刀剣)が多く、相州伝が好まれました。姿としても鎌倉末期から南北朝時代の作品を磨り上げた物に似ています。慶長新刀が持つ違いとしては重ねが厚くなっている点です。

寛文新刀は、武士が大小の日本刀(刀剣)を差すことが義務付けられたことにより、腰に差して歩くのにちょうど良く、長さを抑えた姿となります。また、商人などの身分でも脇差を差すことは許されていたため、脇差が多く作られました。

しかし、太平の世の中となるにつれ元禄頃には日本刀(刀剣)が実用として使われることはほぼなく、武士にとってのアクセサリー程度の物となり、日本刀(刀剣)の文化は一時期衰退していったのです。

その後、徳川吉宗による「享保の改革」(きょうほうのかいかく)頃から徐々に復活を果たし、新々刀期へ移行していきます。

新々刀期

荒沸出来

荒沸出来

新々刀期の特徴として、刀工は「五箇伝」の伝法をすべて習得した上で、注文に応じて作り分けることや、各伝法の特徴を混じり合わせるなどしていました。これにより、古刀の特徴にはなかった新たな特徴が表れたのです。

例えば、備前伝の丁子乱れは原則「匂出来」(においでき)ですが、新々刀では備前伝の丁子乱れなのに相州伝の特徴である「荒沸出来」(あらにえ)の作品です。さらに、新々刀は彫刻も非常に多く彫られるという特徴もあります。

特に末期は黒船の来航や尊皇攘夷運動を背景とし、堂々とした姿の日本刀(刀剣)が多く作られました。

現代刀

月山貞一・宮本包則

月山貞一・宮本包則

明治天皇が日本刀(刀剣)を好んでいたことから、明治中期以降は日本刀(刀剣)の文化が維持されるように努力されてきました。そのひとつとして、皇室から栄誉として与えられる帝室技芸員に、刀工の月山貞一(がっさんさだかず)や、宮本包則(みやもとかねのり)が選ばれたのです。さらに、昭和からは軍刀の需要が伸び、靖國神社内に鍛錬所が造られるなど、日本刀(刀剣)に注目が集まります。

しかし、終戦後、武器としてみなされた日本刀(刀剣)は制作が禁止され、個人などが所持する日本刀(刀剣)も没収されました。その後、美術品として日本刀(刀剣)が再認識されたことにより法改正が行なわれ、日本刀(刀剣)の個人所有や制作、売買が可能となったのです。日本刀(刀剣)の技術は現在も脈々と受け継がれ、現在でも刀工がその技を揮い、美しい日本刀(刀剣)を制作しています。

古刀・新刀・新々刀・現代刀の変遷

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「古刀」(ことう)とは、901年(延喜元年)以降の平安時代中期から、安土・桃山時代末期の1596年(慶長元年)までに制作された、反りのある日本刀(刀剣)を指します。古刀が登場する以前は、反りのない、真っ直ぐな「直刀」(ちょくとう)が主流でした。日本刀(刀剣)に反りが付いた理由には、武士の台頭と密接なつながりがあるのです。古刀が誕生し普及した理由と、古刀の代表的な刀工を、時代を追って述べていきます。

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「末古刀」(すえことう)とは、室町時代末期から安土桃山時代にかけて制作された日本刀(刀剣)の総称です。文字通り「古刀」(ことう)の末期という意味であり、当時は戦乱が多く、かつ最も激しかった時代でもあります。そのような乱世に作られた末古刀は、どんな特徴を備えていたのでしょうか。ここでは、この末古刀の特徴をご紹介します。

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日本刀(刀剣)の時代区分は、古い順に「古刀」(ことう)、「新刀」(しんとう)、「新々刀」(しんしんとう)、「現代刀」(げんだいとう)と表されます。1595年(文禄4年)までの古刀から、1596年(慶長元年)からの新刀への移行期に制作されたのが、「慶長新刀」(けいちょうしんとう)です。慶長新刀は、古刀の特徴を十二分に受け継ぎながら、新しい時代にも目を向けた、過渡期特有の個性を持つことになりました。そこで慶長新刀が、どのような日本刀(刀剣)なのかをご紹介します。

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大坂新刀

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「新刀」(しんとう)とは、1596年(慶長元年)から、江戸時代中期の1781年(安永10年)までに制作された日本刀(刀剣)を指し、その中でも、大坂(現在の大阪府)を拠点とした刀工の作品を「大坂新刀」と呼んでいます。大坂新刀は、江戸を拠点とした刀工の作品「江戸新刀」と並び称される、新刀の代表格です。ここでは、主な刀工と作品の特徴についてご紹介します。

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江戸新刀

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1596年(慶長元年)以降に制作された日本刀(刀剣)を「新刀」(しんとう)と呼び、それ以前を「古刀」(ことう)と呼んで区別しています。新刀時代、徳川幕府の樹立後に将軍のお膝元となった江戸には、越前国(現在の福井県北東部)から「越前康継」(えちぜんやすつぐ)、「長曽祢虎徹」(ながそねこてつ)、駿河国(現在の静岡県中部)から「野田繁慶」(のだはんけい)、近江国(現在の滋賀県)から「石堂是一」(いしどうこれかず)、但馬国(現在の兵庫県北部)から「法城寺正弘」(ほうじょうじまさひろ)が入り、江戸鍛冶繁栄の基礎を築きました。ここでは当時の時代背景と、「江戸新刀」の代表的な刀工について述べていきます。

江戸新刀

新刀

新刀
安土桃山時代末期から江戸時代中期にあたる、1596年(慶長元年)~1763年(宝暦13年)までに制作された日本刀(刀剣)が「新刀」(しんとう)です。それ以前の「古刀」(ことう)から新刀へ移行する期間、すなわち1596年に始まる慶長年間に作刀された作品を、別に「慶長新刀」(けいちょうしんとう)と呼ぶこともあります。 新刀という名称の由来は、江戸時代中期の講釈師「神田白龍子」(かんだはくりゅうし)の著作、1721年(享保6年)出版の「新刃銘尽」(あらみめいづくし)と、1729年(享保14年)出版の「続新刃銘尽」(ぞくあらみめいづくし)の中で、1596年(慶長元年)に作刀された日本刀(刀剣)を新刀、または「新刃」(あらみ)と表記されたことが始まりです。それが流行して新刀の呼び名が定着しました。 ここでは、新刀の特徴と、新刀期を前期、中期、後期の3つに分け、それぞれの時代背景や、代表的な刀工についてご紹介します。

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