「津田越前守助広」(つだえちぜんのかみすけひろ)は、江戸時代初期、摂津国(せっつのくに:現在の大阪府)において日本刀を制作した刀匠です。
父・初代「ソボロ助広」のもとで修業して23歳で独立。47歳で没するまで作刀に励み、「越前守」を受領しました。 海の波濤がぶつかりあって崩れ落ちる様を彷彿とさせる「濤瀾乱刃」(とうらんみだれば)を創作して世間を驚かせ、刃文の名手として一世を風靡しました。 また、直刃(すぐは)でも優れた作例が多く、銘は「越前守助広」など多数あります。
「井上真改」(いのうえしんかい)、別称:真改国貞(しんかいくにさだ)は、江戸時代初期、初代・国貞の次男として誕生し、摂津国(せっつのくに:現在の大阪府)で活動した刀匠。24歳で家督を継承すると、翌年、藩主より「和泉守」を与えられて、本格的に作刀の道に入りました。 刃中の働きは匂口が明るいのが特徴。刃文は覇気のある直刃(すぐは)調と、冴えた湾(のた)れ刃の評価が高く、津田越前守助広とともに「大坂正宗」と讃えられ、1661年(寛文元年)に朝廷より十六葉菊花紋を入れることが許されました。 中江藤樹と熊沢蕃山に師事して陽明学を習得。熊沢蕃山より心身ともに「真に改める」の意をこめて「真改」の称を与えられ、銘は「井上和泉守国貞」、「井上真改」などになります。
「粟田口忠綱」(あわたぐちただつな)は、江戸時代中期にかけ、摂津国(せっつのくに:現在の大阪府)で3代にわたって日本刀制作にあたった刀匠。3代とも「近江守」を称しました。このうち、2代目粟田口忠綱が「一竿子」の号で知られ、最も評価が高かったと言われています。 刃文は、足長丁子にはじまり、徐々に助広の「濤瀾乱刃」(とうらんみだれば)に近くなり、玉焼も見られます。 刀身彫りの名手としても知られ、その場合「彫同作」、「彫物同作」と切り、銘は「一竿子忠綱彫同作」、「粟田口近江守忠綱」などになります。
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