• 特別保存刀剣
  • 江戸時代

ながそねおきさと まことにきたえこれをつくる(かいしゅうこてつ)

刀 銘 長曽祢興里 真鍜作之(号:海舟虎徹)

刀 銘 長曽祢興里 真鍜作之(号:海舟虎徹)

「刀 銘 長曽祢興里 真鍜作之[号:海舟虎徹]」は、江戸時代の刀工で、新刀(しんとう)第一の名工とされた「長曽祢興里」(ながそねおきさと)の作品。1670年(寛文10年)頃の作と推定されます。「虎徹大鑑」所載の1振で、「勝海舟」(かつかいしゅう)の愛刀であったことから「海舟虎徹」(かいしゅうこてつ)と呼ばれました。

勝海舟は、幕末~明治時代の政治家。名は「義邦」(よしくに)、通称を「麟太郎」(りんたろう)と言いました。「海舟」はです。出身は江戸本所亀沢町(現在の東京都墨田区亀沢)。旗本・勝小吉の長男として生まれました。剣術を直新影流(じきしんかげりゅう)の島田虎之助(しまだとらのすけ)に学び、西洋兵術や蘭学も勉強。1850年(嘉永3年)には蘭学塾を開きました。

1855年(安政2年)に海軍伝習のため長崎へ派遣され、1860年(万延元年)には日米通商条約批准使節派遣に随行。咸臨丸(かんりんまる)の艦長としてアメリカへ渡ります。帰国後、1862年(文久2年)軍艦奉行並に就任。海軍操練所を設けて「坂本龍馬」(さかもとりょうま)らの教育を行いました。

1868年(慶應4年)には徳川家の存続を条件に新政府軍の「西郷隆盛」(さいごうたかもり)と会談し、「江戸城」(現在の東京都千代田区)の無血開城を実現。以後、参議や海軍卿などを歴任しました。

江戸城無血開城の功績をたたえて、15代将軍「徳川慶喜」(とくがわよしのぶ)より贈られた刀剣が本打刀であったと伝わっているのです。

当時、高い人気を誇った刀剣の虎徹は、贋作(がんさく:日本刀の世界では偽物[ぎぶつ]と言う)が多いことでも知られています。そのような背景から「虎徹を見たら偽物と思え」とまで言われるほどです。また正真(しょうしん)作は、庶民が手にできるような金額で売買されることはありませんでした。事実、正真の虎徹を所有できたのは、尾張徳川家江戸幕府の大老「井伊直弼」(いいなおすけ)など、大名のなかでも地位ある家や人物のみでした。

本刀は鎬造り(しのぎづくり)で庵棟(いおりむね)、中鋒/中切先(ちゅうきっさき)。彫物(ほりもの)は表裏ともに棒樋(ぼうひ)を搔通しており、片チリ(樋を彫ったあとの鎬地の余地が、側のみにわずかに残っている物)です。

は小板目肌(こいためはだ)。表裏とも刃寄りに(まさ)がかり、地景(ちけい)が入り、総体に地沸(じにえ)が付いています。刃文湾れ(のたれ)に互の目(ぐのめ)、尖り刃交じりで小入り。砂流し(すながし)がしきりにかかり、物打(ものうち)上はやや崩れごころとなっています。

帽子(ぼうし)は乱込(みだれこみ)、先は掃掛け(はきかけ)。表は小丸、裏は尖って返り、崩れ気味です。(なかご)は生ぶで、「長曽祢興里 真鍜作之」のがあります。

名家・著名人の日本刀 名家・著名人の日本刀
名家・著名人と「刀 銘 長曽祢興里 真鍜作之(号:海舟虎徹)」の関係についてご紹介します。

刀剣詳細情報

鑑定区分 鑑定区分
特別保存刀剣
時代 時代
江戸時代
(新刀)
刀剣種別 刀剣種別
打刀
刀工 刀工
長曽祢虎徹
五箇伝(制作国) 五箇伝
(制作国)
-
(武蔵国)
代表的な所蔵・伝来 代表的な
所蔵・伝来
徳川慶喜 →
勝海舟 →
個人蔵→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
長さ 長さ
(cm)
71.2
反り 反り
(cm)
1.8

刀剣に秘められた幾多の魅力を皆様にお届けするサイト、刀剣の専門サイト・バーチャル刀剣博物館「刀剣ワールド」。こちらのページは刀剣写真・日本刀画像の詳細情報ページです。
「刀 銘 長曽祢興里 真鍜作之(号:海舟虎徹)」は江戸時代に制作された刀剣・日本刀です。武器としてだけではなく、美術品としても人気の高い刀剣・日本刀。表示された詳細情報を通じて詳しくなったあとは、実際に観てみるのも良いかもしれません。
刀剣・日本刀の総合情報サイト「刀剣ワールド」では、より多くの方に刀剣・日本刀・甲冑(鎧兜)の素晴らしさを広めるため、様々な情報を発信していきます。

もっと見る▼
注目ワード
注目ワード