「直胤」とは、大慶直胤(たいけいなおたね)のこと。1778年(安永7年)、出羽国(でわこく:現在の山形県)に生まれ、本名は庄司(荘司)箕兵衛(美濃兵衛)。
同郷の先輩である「水心子正秀」(すいしんしまさひで)に師事し、師を凌ぐ才能と賞賛され、正秀の復古刀論を実践しました。技工に優れ、景光を狙った「備前伝」や、沸(にえ)の激しい「相州伝」の作風が得意。「源清麿」(みなもときよまろ)、正秀も共に「江戸三作」と呼ばれました。
本脇差は、小板目肌がよく詰んだ鍛え、互の目乱れ(ぐのめみだれ)で匂勝ちに小沸(こにえ)がついた刃文、尖った帽子と、まるで備前物、もしくは青江物のような素晴らしさ。表裏の彫刻も見事で、直胤作刀で唯一とも言える倶利伽羅の欄間透彫が入念に施されています。
また、作刀当時の「朱布目塗鞘 脇差拵」(保存刀装具)が添えられており、貴重です。