「武州兼永」は、1555(弘治元年)頃から1570年(永禄13年)頃にかけて活躍した下原(現在の八王子市)鍛冶の刀工です。
甲州武田氏の出城があった八王子周辺に居住し、武田・北条・上杉氏などの武将から注文を受けて作刀しており、大変繁盛していたとのこと。「武田信玄」の軍師「山本勘助」(やまもとかんすけ)の佩刀も下原鍛冶の作であったと伝わっています。
下原鍛冶は「徳川家康」が江戸に入府した際に、そのまま徳川幕府に仕え、幕末まで鍛刀を続けました。
兼永の作風は末相州物に無骨さが加わった作風であり、本作も刃味の良い薙刀の特徴を示しています。
号の由来である「霞」とは物がぼやけて見えなくなる様子を表し、「消え去る」という意味で、忍者の理想から付けられた号だということです。