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  • 特別保存刀剣
  • 江戸時代

かたな めい みののくにおかちさんろくじゅうふじわらながさだ
げんじがんねんはちがつこうふにおいてつくる
どうごううししょうがつせんじゅたいたいどだんばらいにおいてきりてやまだげんぞうよしとよ

刀 銘 美濃国御勝山麓住藤原永貞
元治元年八月於江府作
同号丑正月於千手太々土壇拂切手山田源蔵吉豊

刀 銘 美濃国御勝山麓住藤原永貞 元治元年八月於江府作 同号丑正月於千手太々土壇拂切手山田源蔵吉豊

「永貞」は、江戸時代末期の美濃国(みののくに:現在の岐阜県南部)における優工のひとり。1809年(文化6年)、美濃国不破郡(現在の岐阜県不破郡垂井町)にて、寺侍「松井直三郎」(まついなおさぶろう)の子として生まれ、本名を「松井治一郎」(まついじいちろう)と称しました。
永貞は、幕末の動乱により刀工を志し、初めは「赤坂千手院」(あかさかせんじゅいん)派の「道永」(みちなが)に師事しています。その後は自身で鍛刀を研究し、独自の作風を創り上げたのです。また、永貞は「関鍛冶」(せきかじ)の祖である「金重」(かねしげ/きんじゅう)の末裔(まつえい)でもあります。
松江(まつえ:現在の島根県松江市)や山城(やましろ:現在の京都府中南部)で鍛刀し、しばらくの間、紀州徳川家(きしゅうとくがわけ)のお抱え鍛冶も務めました。さらには、1860年(万延元年)頃に伊勢国田丸(いせのくに・たまる:三重県度会郡玉城町)、1862~1868年(文久2年~慶応年間)頃までは、江戸青山にあった紀州徳川家の老臣「久野丹波守」(くのたんばのかみ)の下屋敷でも鍛刀しています。
明治維新後は、郷里の「御勝山」(おかちやま)山麓に戻り、1869年(明治2年)6月22日、60歳で亡くなりました。
永貞の作刀には現存する物はあまりありませんが、その作風は、幕末の刀工の中で最も高い人気を誇った「清麿」(きよまろ)一派によく似たところがあります。寸法が延びて反りは浅く、身幅は広く中鋒/中切先が延びた豪壮な姿であり、これは新々刀の典型的な物。その中でも永貞の最大の特徴と言えるのは、三つ棟の造込みになっている点です。
本刀は、永貞が円熟期を迎えた1864年(元治元年)、55歳のときに江戸青山にて鍛刀されました。

刀剣詳細情報

鑑定区分 鑑定区分
特別保存刀剣
時代 時代
江戸時代
刀剣種別 刀剣種別
打刀
刀工 刀工
永貞
五箇伝(制作国) 五箇伝
(制作国)
-
(美濃国)
代表的な所蔵・伝来 代表的な
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
長さ 長さ
(cm)
75.6
反り 反り
(cm)
1.2
  • 名家・著名人の日本刀
    名家・著名人と「刀 銘 美濃国御勝山麓住藤原永貞 元治元年八月於江府作 同号丑正月於千手太々土壇拂切手山田源蔵吉豊」の関係についてご紹介します。

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「刀 銘 美濃国御勝山麓住藤原永貞 元治元年八月於江府作 同号丑正月於千手太々土壇拂切手山田源蔵吉豊」は江戸時代に制作された日本刀(刀剣)です。武器としてだけではなく、美術品としても人気の高い日本刀(刀剣)。表示された詳細情報を通じて詳しくなったあとは、実際に観てみるのも良いかもしれません。
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