本刀は1933年(昭和8年)、陸軍大学を卒業した於田秋光大佐の遺愛の恩賜刀です。小板目肌が良く詰み、当時最高の玉鋼(たまはがね)が使用されており、身幅の狭い刀身へ、見事な直刃調の焼き入れが行なわれています。
恩賜刀は陸軍士官学校を首席、または次席者の数名、陸軍大学校を首席か優等となった5名が卒業の際に、天皇陛下より下賜されて授与する名誉ある刀。ハバキに恩賜の文字が彫られた刀を下賜された卒業生は、「恩賜組」と称賛され、軍の重要な任務に就き将来の栄達を保証されたエリート組でした。
【於田秋光大佐】
東京陸軍幼年学校より陸軍士官学校へと進み、1929年(昭和4年)陸軍大学に入学後、西郷従道(元帥海軍大将)の次男で、西郷隆盛の甥でもある、西郷豊彦少将に日本を託す人物であると重んじられ、1930年(昭和5年)に西郷豊彦少将の子の西郷滋子と結婚。
1933年(昭和8年)、恩賜刀の栄誉で陸軍大学を卒業。1936年(昭和11年)、北海道特別大演習においては、本刀の恩賜刀を帯びて、天皇陛下に戦況を奉上します。
その後、在ポーランド日本大使館付陸軍武官として、ヨーロッパ各国の機密情報の収集の最中、1939年(昭和14年)9月1日にドイツによるポーランド侵攻が勃発。大日本帝国陸軍の軍人として、ポーランドにおいて第二次世界大戦の戦火に巻き込まれました。
戦争末期、生還難しいニューギニア戦線へ死を覚悟して出陣し、1945年(昭和20年)42歳で終戦を迎えますが、奇跡的に生還しました。
【月山貞勝刀匠】
月山貞勝は1869年(明治2年)に帝室技芸員であった父、貞一(初代)の長男として生まれ、父貞一の晩年は父に代わり代作を行なっていました。
父貞一の没後は月山家を継ぎ、のちの人間国宝となる二代・貞一や高橋貞次を育成します。天皇陛下の大元帥刀や、各宮家や宮内省の御下命を受け賜わり、陸・海軍将官への御下賜刀の製作を引き受け、明治から昭和を代表する名工の一人です。