合戦浮世絵

つきおかよしとし さく「たいへいきみのむちゅうだいがっせん」 月岡芳年 作「太平記美濃霧中大合戦」

太平記美濃霧中大合戦

本合戦浮世絵は、1866年(慶応2年)に描かれた絵図で、1600年(慶長5年)に起きた天下分け目の「関ヶ原の戦い」で東軍に就いた武将「福島正則」(ふくしままさのり)が、西軍の武将「宇喜多秀家」(うきたひでいえ)の部隊を圧倒する場面。絵図の中央でを振るう武将が福島正則です。

豊臣秀吉」(とよとみひでよし)子飼いの武将として活躍していた福島正則が「徳川家康」(とくがわいえやす)率いる東軍に就き、宇喜多秀家と戦う様子を見た西軍側の多くの武将は「勇将である福島正則が敵に回るとは」と気を落としたと言います。

福島正則は、「賤ヶ岳の七本槍」(しずがたけのしちほんやり)の筆頭武将として有名な豊臣秀吉方の有力武将。しかし、福島正則は豊臣秀吉が亡くなる前から「石田三成」(いしだみつなり)との関係が悪化。豊臣秀吉と「前田利家」(まえだとしいえ)が相次いで亡くなったあと、「加藤清正」(かとうきよまさ)らと共に石田三成を襲撃する計画を立てますが、この作戦は未遂に終わります。

石田三成との関係が修復しないまま迎えた関ヶ原の戦いで、福島正則は兵力差により宇喜多秀家隊の前衛「明石全登」(あかしたけのり)の猛攻に圧されて一時退却を余儀なくされますが、宇喜多秀家隊の進撃を阻止することに成功。

そして、西軍は「小早川秀秋」(こばやかわひであき)の寝返りにより瓦解して戦線は壊滅状態となります。福島正則はその後、西軍総大将「毛利輝元」(もうりてるもと)から大坂城を接収することに奔走し、戦後は安芸国広島と備後国鞆(とも)を合わせて49万8,000石を与えられました。

「太平記美濃霧中大合戦」の浮世絵

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詳細情報

浮世絵師 月岡芳年 浮世絵の題材 関ヶ原の戦い

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