合戦浮世絵
つきおかよしとし さく「あいづわかまつせんそうのず」 月岡芳年 作「会津若松戦争之図」

本合戦浮世絵に描かれているのは、「戊辰戦争」での戦いのひとつ「会津戦争」の終局となった「会津城籠城戦」(あいづじょうろうじょうせん)です。
1868年(明治元年/慶応4年)1月、「鳥羽・伏見の戦い」が起こり、戊辰戦争の火蓋が切られると、会津藩(現在の福島県)は旧幕府軍と共に、薩摩藩(現在の鹿児島県)や長州藩(現在の山口県)を中心とする新政府軍と戦うも敗北。その結果、会津藩は朝廷から朝敵(天皇や朝廷の敵対勢力)と見なされます。
その後の東北地方での戦いで会津藩は、陸奥国(現在の福島県、宮城県、岩手県、青森県)や出羽国(現在の山形県、秋田県)、越後国(現在の新潟県)の諸藩が結成した「奥羽越列藩同盟」(おううえつれっぱんどうめい)の支援を受けるなどして新政府軍に抵抗。しかし、会津若松城下での戦いに敗れ降伏しました。
本合戦浮世絵の制作者は、幕末から明治時代前期に活躍した浮世絵師「月岡芳年」(つきおかよしとし)です。月岡芳年は、戦いの様子を3枚続の迫力ある絵図で表現し、画面上部の詞書にも「未曽有の戦闘」であると記しています。