合戦浮世絵

うたがわよしとら さく「たけだかつよりてんもくざんじんどり」 歌川芳虎 作「武田勝頼天目山陣取」

武田勝頼天目山陣取

本合戦浮世絵は、1582年(天正10年)に「織田信長」が「武田勝頼」(たけだかつより)、「武田信勝」(たけだのぶかつ)親子を滅ぼした「甲州征伐」(こうしゅうせいばつ)における「天目山の戦い」(てんもくざんのたたかい)前の一場面です。

1575年(天正3年)の「長篠の戦い」で「織田信長・徳川家康連合軍」に大敗し、衰退していた武田家。織田信長はこれを機に徹底攻撃し、武田軍は有力な家臣に寝返られるなど、追い詰められます。しかし、わずかな家臣と共に「天目山」(現在の山梨県甲州市)目前にある田野の地で、最期の戦いを決意するのです。

画面右にいる武田信勝は盃を上げ、家臣は白米を炊いてにぎり飯を作って配り、まるで「腹が減っては戦ができない」と、意気盛ん。中央に座している武田勝頼は敵を見つけて軍配を振り、画面左にいる「土屋宗蔵」は敵を睨み付けています。史実では、ここで武田軍は信長軍「滝川一益隊」と対峙して、撃退。しかし、武田勝頼・武田信勝親子は敗戦を悟って自害。こうして甲斐武田家は滅亡しました。

この浮世絵をよく見ると、画面左の(のぼり)に描かれているのは、たくさんの二等辺三角形で、後北条氏を表す鱗の家紋。このことから、実はこの浮世絵は「甲州征伐」ではなく、「太閤記」に登場する「小田原征伐」をなぞらえた絵と分かるのです。1590年(天正18年)「豊臣秀吉」は、「北条氏政」(ほうじょううじまさ)、「北条氏直」(ほうじょううじなお)親子を滅ぼし、天下統一を成し遂げました。当時、豊臣秀吉の一生を記した「太閤記」が評判でしたが、これを危惧した幕府は出版を禁止。歌川芳虎はこれを風刺したのです。

本合戦浮世絵を描いたのは、「歌川芳虎」(うたがわよしとら)。江戸時代末期から明治時代中期にかけて活躍したトップ浮世絵師で、風刺(ふうし:社会や人物の愚かさを機知に富んだ表現で遠まわしに批判すること)を得意としていました。

「武田勝頼天目山陣取」の浮世絵

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詳細情報

浮世絵師 歌川芳虎 浮世絵の題材 天目山の戦い

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