武将浮世絵

うたがわよしつや さく「かわなかじまだいがっせんくみうちづくし こうさかだんじょうのじょう ほんじょうみまさかのかみ」 歌川芳艶 作「川中島大合戦組討尽 高坂弾正忠 本庄美作守」

川中島大合戦組討尽 高坂弾正忠 本庄美作守

本武将浮世絵は1857年(安政4年)に発表された「川中島大合戦組討尽」(全12枚)の12枚目にあたる浮世絵です。

武田軍「高阪弾正忠」(こうさかだんじょうのちゅう)と上杉軍「本庄美作守」(ほんじょうみまさかのかみ)の取り組み。 「高阪」とは、「高阪昌信」のこと。幼名は、春日源五郎虎綱。譜代家老衆を務める「武田四天王」のひとりで、「甲陽軍艦」(こうようぐんかん)の口述の著者と言われています。

弾正忠は官位で、真田幸隆、保科正俊と共に「戦国三弾正」と呼ばれ、特に「逃げの弾正」(撤退戦に強い武将)と言われました。川中島の戦いでは、最前線である「海津城」の城代を務めたことが有名です。

一方、「本庄」とは、「本庄慶秀/実乃」(ほんじょうよしひで/さねより)のこと。「上杉謙信」を幼少から補佐し、その器量を見抜かれて側近になった人物。「上杉景虎」(うえすぎかげとら:上杉謙信の養子)の軍学の師でもありました。

どうしてこの2人が対戦しているのかは、不明です。ただ、美作守本庄の顔が川に押付けられ、見えなくなっていることから推測すると、本当は越前守(本庄繁長のこと)と書きたかったのではないかと推測されます。「越前守」とは、上杉家の重臣で本庄城城主。本庄慶秀/実乃とは名字は同じですが、全くの無関係です。

1568年(永禄11年)に、上杉謙信に謀反を企て「本庄繁長の乱」を起こしています。まさに川に顔を汚し、上杉家に恥をかかせた人物と言えるのです。

川中島大合戦組討尽 高坂弾正忠 本庄美作守

「川中島大合戦組討尽 高坂弾正忠 本庄美作守」の浮世絵

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詳細情報

浮世絵師 歌川芳艶 浮世絵の題材 川中島の戦い

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