本太刀(たち)は筑後国(現在の福岡県北部)刀工「三池典太光世」(みいけてんたみつよ)の作とされる太刀。「妙純傳持[みょうじゅんでんじ]ソハヤノツルキ ウツスナリ」の切付銘(きりつけめい)から、征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が佩用した「楚葉矢[そはや]の剣」を写したものとされています。
江戸幕府初代将軍・徳川家康は死の直前に「この刀を久能山に納め、鋒/切先[きっさき:刀の刃の先]をいまだ不穏な西国に向けておくように」と言い遺して亡くなりました。徳川家康の遺言を守り、「ソハヤノツルキ」は久能山東照宮に大切に納められたため、徳川家の世は300年の長きに亘って続いたと言われています。