「桑名江」は、「徳川家康」の功臣として徳川四天王のひとりに数えられる「本多忠勝」(ほんだただかつ)の長男「本多忠政」(ほんだただまさ)が所持していた日本刀です。刃長は約69cmで、刀鍛冶である「郷義弘」(ごうのよしひろ:江義弘とも書く)によって作られています。
本多忠政は父・本多忠勝の跡を継ぎ、桑名藩「桑名城」(現在の三重県桑名市)城主として150,000石を領していました。この本多忠政が鷹狩りに出かけた際、休憩をした農家の神棚に祀られた日本刀を目に留めます。この日本刀が気に入った本多忠政は、頼み込んでどうにか譲り受けました。そして土地の名前に因んで、桑名江という号を付けます。
本多忠政の目利きは確かだったようで、日本刀鑑定家「本阿弥光徳」(ほんあみこうとく)に見立ててもらうと、「相州正宗」(そうしゅうまさむね)、「栗田口吉光」(あわたぐちよしみつ)と並び、「天下三作」と呼ばれるほど貴重な郷義弘と鑑定されました。金工家「埋忠寿斎」(うめただじゅさい)に磨り上げさせたのち、表に「義弘 本阿(花押)」、裏に「本多美濃守所持」と金象嵌銘を入れ、さらに拵を揃えました。1665年(寛文5年)には、「本阿弥光温」(ほんあみこうおん)が金300枚の折紙を付けています。
その後、岡崎藩本多家へ伝わり、昭和時代に重要美術品に指定されました。現在は「京都国立博物館」(京都市東山区)が所蔵しています。