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制作時代不明

おだのぶかつ しょじょう ひらいわかずえのかみ(ちかよし)あて 織田信雄書状 平岩主計頭(親吉)宛 五月十六日

織田信雄書状 平岩主計頭(親吉)宛 五月十六日

「織田信雄書状 平岩主計頭[親吉]宛 五月十六日」は、織田信長(おだのぶなが)の次男である織田信雄(おだのぶかつ)が、徳川家康(とくがわいえやす)の家臣で徳川十六神将(とくがわじゅうろくしんしょう)の1人にも数えられる、平岩親吉(ひらいわちかよし)に送ったもの。

内容は5ヵ条からなり、「茶入ふた」、「墨跡」(ぼくせき)の表具や「かたぬきの壺」について17日か18日に相談したい、などの言葉が並び、2人の間で茶の湯に関するやり取りがあったことが伺えます。

墨跡の表具を「織部殿」の好みにするよう申し付けたという一文は、千利休(せんのりきゅう)の高弟である古田織部(ふるたおりべ)の当時の影響力を物語ります。

本消息が書かれた年は不明ですが、注目すべきは宛書部分。日付より高い位置に「平岩主計頭」(ひらいわかずえのかみ=平岩親吉)と記し、敬称に「様」を用いています。1603年(慶長8年)徳川家康が征夷大将軍に就任して江戸幕府が成立し、古くからの徳川家臣は譜代大名として地位が向上。平岩親吉は特に徳川家康の信任が厚く、九男の徳川義直(初代尾張藩主)の傅役(もりやく)を任され、自身も犬山藩123,000石を治めました。

対して差出人の織田信雄は、本能寺の変後に織田家が衰退するなか、豊臣秀吉の家臣となるも1590年(天正18年)に一度改易され出家。関ヶ原の戦い後も、西軍派だったことで徳川家康により再び改易されました。

以上のことから、本消息は1603年(慶長8年)から平岩親吉が没する1611年(慶長16年)までの間、平岩親吉の立場が明らかに格上だった時期に書かれた可能性が高いと考えられます。当時の武将達の教養や趣味を垣間見られると同時に、人生の浮沈が激しい時代の雰囲気も伝わる一通です。

織田信雄書状 平岩主計頭(親吉)宛 五月十六日

織田信雄書状
平岩主計頭(親吉)宛 五月十六日の写真

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詳細情報

鑑定区分 - 推定制作時代 不明
代表的な
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

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