掛け軸

室町時代

はたけやまよしなり/よしひろ じきひつしょうそく 畠山義就 直筆消息

畠山義就 直筆消息

本消息を書いた室町時代中期の武将「畠山義就」(はたけやまよしなり/よしひろ)は、足利将軍家の一門であり、室町幕府において細川氏、斯波氏(しばし)と交替で「管領」(かんれい:将軍を補佐し、内外を問わず政務を統轄していた同幕府の重職)に代々就任していた「畠山氏」出身。

もともと管領職は、2大有力守護家であった細川氏と斯波氏の2家のみが世襲していましたが、1398年(応永5年)、室町幕府3代将軍「足利義満」(あしかがよしみつ)によって「畠山基国」(はたけやまもとくに)が管領に抜擢され、それ以降畠山氏は、細川氏や斯波氏と共に管領を出す家格となり、「三管領」と称されていました。その中でも畠山氏は、河内国(かわちのくに:現在の大阪府南東部)、越中国(えっちゅうのくに:現在の富山県)、紀伊国(きいのくに:現在の和歌山県全域、及び三重県の一部)といった京都周辺の重要な国々を、守護として治めていたのです。

畠山義就は、父「畠山持国」(はたけやまもちくに)が1455年(享徳4年)に没すると、その家督を継ぐことに。しかし、これに反対した一部の家臣が、畠山義就の従弟「畠山政長」(はたけやままさなが)を擁立して、お家騒動が勃発。畠山氏は二分することになり、家督をめぐって激しい戦いが起こりました。

これに乗じたのが、管領の「細川勝元」(ほそかわかつもと)と、京都の警備や刑事裁判、戦時の軍事を指揮する侍所(さむらいどころ)の長官を出す4家、すなわち「四職」(ししき/ししょく)のひとりであった守護大名「山名宗全/持豊」(やまなそうぜん/もちとよ)。幕府の実権を握ろうとしていた両者が、畠山義就と畠山政長、それぞれの両陣営の背後に組した結果、8代将軍「足利義政」(あしかがよしまさ)の後継者争いも絡み、全国の有力守護大名たちを巻き込んだ紛争へと発展。1467年(文正2年/応仁元年)より約11年に亘り、京都を主戦場とした「応仁の乱」(おうにんのらん)が繰り広げられたのです。

本消息は、畠山義就から大和国(やまとのくに:現在の奈良県)の栄山寺(えいさんじ)へ宛てた手紙。その1文目の「巻数一枝賜り候」(かんじゅひとえだたまわりそうろう)とは、「巻数を結んだ枝をひとつ頂きました」と言う意味。 「巻数」とは、願主から祈祷の依頼を受けた僧侶が読経を行ない、その題目などを記した文書のこと。「願い文」(ねがいぶみ)や「願書」(がんしょ)などとも呼ばれ、木の枝などに結んで願主に渡す風習がありました。応仁の乱の要因を作った張本人とも言える畠山義就は、その戦勝祈願を栄山寺に依頼し、成就したお礼として、本消息を送ったのです。

栄山寺と言えば、南北朝時代には南朝の「行在所」(あんざいしょ:天皇が外出されるときに用いる一時的な御所)が置かれた由緒正しい古寺。そのような格式高い栄山寺の僧侶に戦勝祈願を行なってもらっていることから、畠山氏は、同寺に寄進するなど、何らかのご縁を持っていたことが窺えます。

畠山義就 直筆消息

畠山義就 直筆消息の写真

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詳細情報

鑑定区分 - 推定制作時代 室町時代
代表的な
所蔵・伝来
畠山義就 → 栄山寺
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

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