書跡

江戸時代 前期

もうりてるもと・ひでなり りょうちもくろく 毛利輝元・秀就 領地目録

毛利輝元・秀就 領地目録

本領地目録は、毛利輝元の家臣「榎本就時」(えのもとなりとき)が1620年(元和6年)に「毛利秀就」(もうりひでなり)から、1,701石1斗7升を賜った際に発行された領地目録です。

紙面には、当時仕えていた毛利秀就の花押(かおう:署名の代わりに使用する記号や符号)の他、毛利秀就の父「毛利輝元」の花押もありますが、これは当時、毛利輝元が実質的な長州藩の藩主として家臣団をまとめており、本状も毛利輝元が承認した目録であることを意味しています。

榎本就時は、本状を授かる前、1611年(慶長16年)に毛利輝元から官途名(かんどな:主君が武功を挙げた家臣へ授ける非公式な官職名のこと)として「左近允」(さこんじょう)を、1612年(慶長17年)には毛利秀就から、官途名として「中務大輔」(なかつかさしょう)と、「伊豆守」の受領名、「就」の「偏諱」(へんき:元服の際に主従関係の証として、主君の名前の一文字を家臣へ与えること)を、それぞれ拝命されました。榎本就時が毛利輝元から厚い信頼を得ていたのは、父「榎本元吉」が毛利輝元の側近として活躍していたことが影響しています。

本領地目録には、榎本就時の弟である「毛利就宣」(もうりなりのぶ)にも300石の知行を与えるとの旨が記載されており、毛利就宣はこれより前の1617年(元和3年)にも、飯田氏の給地115石を譲られていました。合計で415石を知行することを毛利輝元・毛利秀就から認められたのですが、これに関しては榎本元吉が、「自身が当役に任命される厚恩を受けた上に、三男である毛利就宣までもこのような厚遇を受けるのは恐ろしく思う」として、のちに飯田氏の旧領115石を毛利輝元へ返上しています。

榎本就時は、初代長州藩主の毛利秀就と、2代藩主「毛利綱広」の執権役となり長年当役を務め、在職中は多くの藩法を制定。1660年(万治3年)に「堅田就政」(かただなりまさ:湯野領[現在の山口県周南市湯野]の領主堅田家2代目当主)と共に、財政再建のために減知(げんち:減封。知行の石高を減らすこと。)されていた藩士の所領を戻し、収入の25%を上納させて負担の軽減を図るなど、藩士の生活環境の向上に努めました。

毛利輝元・秀就 領地目録

毛利輝元・秀就 領地目録の写真

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詳細情報

鑑定区分 - 推定制作時代 江戸時代 前期
代表的な
所蔵・伝来
榎本就時 → 刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

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