書跡

安土桃山時代

とよとみひでつぐ しょうそく ほんどうただちかあて 豊臣秀次 消息 本堂忠親宛

豊臣秀次 消息 本堂忠親宛

本消息は、「奥羽仕置」後に起きた一揆の残党「和賀氏」(わがし:陸奥国和賀郡[現在の岩手県北上市周辺]の国人)、「稗貫氏」(ひえぬきし:陸奥国稗貫郡[現在の岩手県花巻市付近]の豪族)が逃げ込んだ先の領主「本堂伊勢守忠親」(ほんどういせのかみただちか)へ宛てて、「豊臣秀次」が送った物です。

内容は、「逃げ込んできた一揆残党の処罰について、大谷吉継から詳しく指示があるため、その指示に従うように」というもの。大谷吉継は、「大谷刑部少輔」(おおたにぎょうぶしょう)の通称でも知られる豊臣秀次の家臣で、病に冒されながらも生涯、豊臣家へ忠義を尽くしたその生き様から、現代でも人気が高い武将のひとりです。

「豊臣秀次」は、豊臣氏の2代目関白。「豊臣秀吉」の姉「瑞竜院日秀」(ずいりゅういんにっしゅう)の長男。1590年(天正18年)豊臣秀吉は、小田原の北条氏を征伐する際に召集命令に応じなかった奥羽の領主や大名を処罰するために奥羽へ向かい、奥羽仕置を施行します。

その後、領地を没収された各地の領主等の家臣や領民による一揆が勃発。一揆はすぐに鎮圧されますが、翌年1591年(天正19年)、再び一揆が起き、その混乱に乗じた南部氏一族の有力者「九戸政実」(くのへまさざね)が、南部家当主「南部信直」(なんぶのぶなお)及び奥羽仕置を行なった豊臣秀吉に対して反乱を起こします(九戸政実の乱)。

南部本家は、これを豊臣秀吉政権に対する謀反として豊臣秀吉へ援軍を依頼。豊臣秀吉は、甥である豊臣秀次を総大将に任じ、「徳川家康」、「上杉景勝」、「佐竹義重」など、名のある勇将を加えた討伐軍を編成して、反乱軍の謀反を食い止めます。

豊臣秀次 消息 本堂忠親宛

豊臣秀次 消息 本堂忠親宛の写真

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詳細情報

鑑定区分 - 推定制作時代 安土桃山時代
代表的な
所蔵・伝来
豊臣秀次 → 刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

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