錦絵

制作時代不明

あしかがたかうじ しょうぞうが 足利尊氏 肖像画

足利尊氏 肖像画

本肖像画は、「騎馬武者像」(または、他の尊氏像と区別するために「守屋家本」とも)と呼ばれ、「松平定信」(まつだいらさだのぶ:江戸時代中期の大名、陸奥白河藩[現在の福島県白河市周辺]3代藩主)が編さんした「集古十種」(しゅうこじっしゅ)の中で、「足利尊氏」の肖像画として紹介された絵の写しです。

原本は、京都国立博物館が所蔵しており、重要文化財にも指定されていますが、近年では、本肖像画に描かれた人物は尊氏ではなく、足利家家臣「高師直」(こうのもろなお)、または高師直の子「高師詮」(もろあきら)や「高師冬」(もろふゆ:高師直の従兄弟)ではないかという説が有力と言われています。

足利尊氏は、室町幕府初代将軍。鎌倉幕府の拠点「六波羅探題」を滅ぼしたり、「後醍醐天皇」の「建武の新政」に対抗し独自の武家政権を行なったり、朝廷に反逆した「逆賊の将軍」という印象が強い武将です。

しかし実際には、気前良く武家や家臣に贈り物を与えるなど、武家からの支持を多く集めていた一方で、後醍醐天皇から朝敵と見なされた際に、周囲の制止を振り切り、断髪して寺へ引きこもるなど、非常に繊細な性格でした。

後醍醐天皇が敷いた「建武の新政」を武力で排除したため、結果として朝敵となった足利尊氏ですが、足利尊氏には、朝敵となる意思がなかったことを示す文書が「清水寺」(京都府京都市)に残っています。

それは、比叡山へ逃れた後醍醐天皇の代わりに、光明天皇を擁立した直後に足利尊氏が、密かに清水寺へ置いていった起請文。「自分は出家するので、恩賞などはすべて弟の足利直義に与えてほしい。足利直義をお守り下さい」という内容であり、足利尊氏が、後醍醐天皇に対して反逆の意思がなかったことを示す文書とも見なされました。

その後、後醍醐天皇が崩御した際には、足利尊氏が声を上げて泣いたという逸話と併せて、近年では「逆賊の将軍」という評価が大きく見直されています。

足利尊氏 肖像画

足利尊氏 肖像画の写真

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詳細情報

鑑定区分 - 推定制作時代 不明
代表的な
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

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