筒
制作時代不明
きんなしじはちすかまんじもんまきえたちづつ 金梨地蜂須賀万字紋蒔絵太刀筒

本太刀筒は、徳島藩主「蜂須賀」(はちすか)家に伝来した作品です。蜂須賀家の祖は、「豊臣秀吉」の与力(よりき:侍大将などに付属する武士)だった「蜂須賀小六」(はちすかころく)。
徳島藩の石高は25万7,000石。大きな石高を誇った外様の雄藩に伝来した太刀筒らしく、本太刀筒は、「金梨地」(きんなしじ)塗の上に家紋である「蜂須賀万字」(はちすかまんじ)の蒔絵を施した美麗な逸品。また、金具についても、赤銅(しゃくどう:銅と金の合金)に家紋などの彫金がなされるなど、繊細な細工が施されています。
太刀筒は、江戸時代において「参勤交代」の際や、日本刀を将軍家に献上したり、将軍家から拝領したりした際の日本刀の収納容器として用いられた筒です。特に参勤交代においては、太刀を収納して運ぶための容器に止まらず、供の者が持つ大名道具のひとつとして、家格を示す存在でもありました。
徳島藩13代藩主「蜂須賀斉裕」(はちすかなりひろ)は、11代将軍「徳川家斉」(とくがわいえなり)の22子。本太刀筒は、将軍家との縁戚関係ができたことによって、家格が格段に上がった蜂須賀家にふさわしい逸品と言えます。