春日大社は、平城京遷都後に、「武甕槌命」(たけみかづちのみこと)を茨城県鹿嶋から神山「御蓋山」(みかさやま)山頂の「浮雲峰」(うきぐものみね)に祀ったことが始まりでした。その後768年(神護景雲2年)、「称徳天皇」の勅命で、左大臣「藤原永手」(ふじわらのながて)が、千葉県香取から「経津主命」(ふつぬしのみこと)を、また大阪府枚岡から「天児屋根命」(あめのこやねのみこと)と、「比売神」(ひめがみ)を迎えて春日造りの四棟の御神殿を建てお祀りしたのが始まりで、奈良県の都の守り神として仰がれました。
武甕槌命と経津主命は、日本の国を秩序ある国にするためにあらゆる神々と交渉し、平和裡に治めた功績のある神。また天児屋根命は、神事と政治を守り導く神であり、藤原氏の祖先神でもあります。比売神は、天児屋根命のお妃であると同時に、「天照大神」と同体であるとされました。春日大社の信仰は全国に広がり、全国に3,000社ある「春日神社」の総本社としても位置付けられています。
春日大社は、平安時代から南北朝時代の日本刀を数多く所有しています。その中でも至高の1振が「金地螺鈿毛抜形太刀」(きんじらでんけぬきがたたち)です。平安時代末期に「藤原頼長」が春日大社に奉納したと考えられるこの太刀の別名は、「黄金の太刀」。刀の金具部分には極めて純度の高い金が惜しみなく使われており、他に類を見ないほどの豪華な刀です。柄に透かしのある形状は、古墳時代に東北地方の「蝦夷」(えみし)が作っていた「蕨手刀」(わらびてとう)にも似ていますが、これを真似た物ではありません。このような形状になった理由としては、諸説ありますが、当時は、柄の部分に使う鮫皮の入手が困難だったので、荘重に見え、かつ重量を減らす工夫として、透かしが考案されたとも考えられています。
毛抜形太刀の他にも春日大社には、各時代を代表する太刀が勢揃いしています。「飾剣」(かざりたち)や「兵庫鎖太刀」(ひょうごぐさりたち)、「革包太刀」(かわづつみたち)など、各種の最高級品を所蔵。このように名刀の宝庫である春日大社ですが、それを象徴するエピソードがあります。1939年(昭和14年)に御本殿近くの宝庫の屋根裏から刀剣12振が発見され、研ぎ直しを行なったところ、そのうちの4振が特に貴重な作であるとの評価を受けました。1振は鎌倉時代後期に肥後で活動していた刀工「延寿国吉」(えんじゅくによし)の作品。国吉は、室町幕府6代将軍「足利義教」(あしかがよしのり)の日本刀を作っていました。2振は「長船派」や「福岡一文字派」へとつながっていく「古備前派」の物。残る1振は珍しい古伯耆物で、安綱の作と考えられる物です。これら名刀が屋根裏に眠っていたことに、春日大社と名刀の強い結び付きを感じずにはいられません。