刀剣ブーム

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アーカイブ ※この記事は2021年1月15日に発行されたものです。

「昔、市場で重刀の近江大掾忠広が千三百万円で取引できたんだよねェ、いい時代だったなァ」と大先輩の小澤さんがよく話されますが、その話は本当ですか?そのころの話を詳しく教えてください。また、高値になった理由なども教えてください-という質問が寄せられました。

おそらく、今から五十年近く前の昭和四十八、九年ごろの話かと思います。そのころ私はまだ㈱刀剣柴田で修業中であり、交換市場には出入りしていませんので、相場についてはわかりません。が、確かに当時の刀剣業界は好景気に沸き、展示即売会で特別貴重刀剣の角津田の刀が八百万円だったり、無銘の重要刀剣が七、八百万円だったりで売買されたことを覚えています。二十五、六歳で給与が六万円前後でしたので、刀剣はかなりの高値でした。

昭和四十二年ごろから刀剣の価格は徐々に上がり始め、四十九年をピークに毎年上がり続けたのですが、翌年ごろからゆっくりと長い坂を下り始めたのでした。小澤さんの話は刀剣ブームの最高潮のころの実話だったと思います。

そこで今回は、若いころを振り返りながら、刀剣業界がなぜ好況に至ったか、さまざまな要因について考えてみたいと思います。

〈要因①〉そのころ、わが国は高度成長期だった

昭和三十九年ごろから四十九年ごろにかけて、日本は好景気の中をまっしぐらに突き進む良き時代でした。私が高校二年生の三十九年に東京オリンピックが開催され、同年には東海道新幹線が開通、入社した四十五年三月からは大阪万博がありました。

特に四十年から四十五年は「いざなぎ景気」と言われる高度経済成長期のまっただ中であり、日本中が好景気に沸いていました。さらに四十七年には間もなく総理大臣に就任する田中角栄氏から日本列島改造論が打ち出され、拍車がかかりました。

土地ブームが全国に沸き起こり、地価は急騰していきました。
土地を売却して自宅を立派に建て替え、余るお金で車や美術品を買い求める例が珍しくありませんでした。デパートでは、そうしたニーズに応えて絵画や刀剣の展示即売会が盛んに行われたものです。

私の記憶では、四十五~五十一年ごろの刀剣柴田において、北は札幌青森秋田仙台新潟富山金沢、南は姫路新居浜今治など、東京では東京大丸・八王子大丸、三越日本橋本店同銀座店・同新宿店等々で刀剣展示即売会を恒常的に開催していたものです。大丸三越の各店には常設の刀剣コーナーを出店していて、私は四十八~五十五年に、東京大丸五階の刀剣コーナーに勤務していました。

東京大丸では初春と中元時期には八階の大催事会場で、五月と十月には五階画廊にて計四回の展示即売会があり、大忙しでした。デパートの最優先課題は何と言っても売り上げであり、そこで長年続けられたことは期待される営業成績が持続できたことを物語っています。

そのほかのデパート、例えば髙島屋・松坂屋・松屋・そごうなどでも、他の刀剣商の方々によって頻繁に展示即売会が開催されていました。しかも全国各地で開催されていたということは、いかに刀剣に人気があり、売り上げも好調であったかを物語っています。
しかし、世の中が好景気なだけで刀剣が大ブームになったのではありません。

〈要因②〉刀剣諸団体による愛刀家の育成、刀剣普及活動

当時は下記の刀剣団体があり、それぞれが特徴のある活動をされていました。
財団法人日本美術刀剣保存協会(以下「日刀保」)
②日本刀剣保存会
③日本春霞刀剣会
④刀苑社
⑤刀剣連合会
⑥中央刀剣会 ほか

各団体は会員を擁し支部があり(例えば日刀保では会員一万五千人、支部六十前後)、毎月あるいは隔月のペースで定例鑑賞会があり、全国大会も開催されていました。日刀保の本部鑑賞会には常に百名ほどの会員が集い、鑑賞刀約十振、鑑定刀五振を手に取り、熱心に勉強したものです。

私が学生の当時には、講師を務められる本間薫山先生・佐藤寒山先生・本阿弥日洲先生・沼田鎌次先生等の大先生方から貴重なお話を伺うことができ、大変勉強になった思い出があります。

昭和四十四年の日刀保全国大会は赤坂プリンスホテルで開催され、大盛況でした。当時、私は國學院大学の三年生で日本刀研究会に所属しており、部員四十名ほどで大会の警備のお手伝いをさせていただきました。全国の会員約千名の参加で会場は超満員になり、名刀の鑑賞のためにできた長蛇の列を整理・誘導するのに汗だくになった思い出があります。

そのころ他団体の定例鑑賞会はと言えば、日本刀保存会は小石川後楽園内にある涵徳亭で、日本春霞刀剣会は湯島天神で、刀苑社は新大久保にある稲荷神社で、本阿弥光博先生の日本刀研究会は上野の梅川亭で、それぞれ開催されました。それらの会に毎回通い、ご指導いただいたことを懐かしく思い出します。

このように、鑑賞・鑑定会を通して指導する各団体には古くからの愛刀家はもちろん、初心者、業界関係者などさまざまな方々が参加し、熱心に勉強したものでした。

〈要因③〉日本刀の啓発に貢献したデパートの名刀展

一般の方々に対する日本刀の普及啓発に、有名デパートにおける名刀展が果たした役割は看過することができません。昭和四十二~四十七年、デパートの催事会場では今ではとても考えられない夢のような名刀展が開催されたのです。

そのうちのいくつかをご紹介しましょう。

四十二年九月八日~二十日、銀座松屋八階催事場において、日刀保と日本経済新聞社の共催で「日本名刀展」が開催されました。出品内容としては、御物の十万束信房の太刀、名物平野藤四郎の短刀を筆頭に、日枝神社所蔵の則宗太刀など国宝七振を含む名刀八十七振、刀装・刀装具類では図録表紙になっている国宝銀銅蛭巻太刀拵や重文の城州伏見住金家(春日野図鐔)など六十点、さらに甲冑では国宝白糸威大鎧(日御碕神社蔵)を含む五領が展示されました。

加えて日本刀を代表する正宗と虎徹のコーナーを併設し、正宗では城和泉守正宗や九鬼正宗、庖丁正宗など代表作八振が、虎徹では重文を含む六振が堂々並びました。まさに空前絶後の大名刀展でした。

四十五年八月二十八日~九月二日に大丸東京店で開催されたのは、日刀保・毎日新聞社共催の「英米からの里帰りと国内の名作」と題された名刀展でした。この時は御物・国宝・重文を含む百余点が展示されました。

御物の名物鬼丸国綱、名物若狭正宗、国宝の会津新藤五日向正宗徳善院貞宗、ほかには久能山東照宮真恒の大太刀など、まさに圧巻でした。刀装では、京都・鞍馬寺所蔵の坂上田村麻呂佩剣とされる重文の黒漆剣が印象に残っています。この折、米国のコンプトン博士が照国神社に寄贈した国宝の国宗や、元英極東軍司令官・元帥サー・フランシス・フェスチング氏所蔵の二振の清麿(ただし正行銘)も話題を呼びました。

同様の名刀展はこの時期、東急百貨店・新宿伊勢丹・三越本店などでも開催されました。後年「なぜ日本刀が好きになったのですか」という質問に対して、「デパートで名刀を拝見したのがきっかけで」と答える方が驚くほど多くいましたが、デパートでの名刀展はどれほど多くの方たちに刀剣の魅力を伝えたか計り知れません。

名刀展の開催に尽力された日刀保・各新聞社・百貨店、出展に協力された宮内庁・文化庁、全国の社寺、並びに愛刀家の皆さまに深く敬意を表したいと思います。

昭和四十八年、熊本市の大洋デパートで発生した火災を契機に法改正が行われ、現在ではデパートの催事場などでの国宝・重文等の展示はできなくなっています。

〈要因④〉信頼性と付加価値を高めた認定書・鑑定書

厳しい審査を経て発行される諸団体の認定書や鑑定書も、刀剣ブームの一翼を担ったと考えます。例えば日刀保では現在、刀剣と刀装具類の審査会は別々にそれぞれ年四回行われています。審査はきわめて慎重に行われ、少しでも疑問の残る作は保留という形で向後の研究に待つことになります。

昭和四十五年前後には、毎週末、どこかの地方支部で審査会が行われていたものです。審査物件数は五〇〇~一〇〇〇ときわめて多く、審査員は正副二名のみで、支部の方々が押形や調書の記録をお手伝いするという態勢でしたから、多少の見落としがあったことは否めません。

しかし、全国各地で審査会が盛んに行われたことで、地方での日本刀の普及や活性化、愛刀家の育成に貢献したことは紛れもない事実です。
 
〈要因⑤〉日本刀の大衆化に寄与した出版とテレビ

昭和三十年代後半から四十年代後半にかけて、日本刀に関する書籍が盛んに出版されたことも、刀剣界の発展に大きく寄与しました。

代表的なものが「日本刀大鑑」全七巻、「新版日本刀講座」全八巻、「日本刀全集」全九巻などが挙げられます。これらはいずれも本間・佐藤両先生を中心に、日刀保の関係者が執筆・編纂したものですが、個人の執筆による単行本も数多くありました。

私の師匠、柴田光男先生は「日本の名刀」、「趣味の日本刀」、「十剣」、「日本刀入門」、「新々刀入門」など数十冊を出版しています。柴田先生はテレビ出演とも相まって、日本刀の「大衆化」を自ら牽引された方だと思います。

「日本刀は難しい」とはしばしば聞く話ですが、興味を持ち始めた方が知識を求めて手にする好個のツールが、入門書でした。次のステップに至ると、個別の研究書や名刀集も用意されているといった状況で、あのころの刀剣業界には誠に充実したシステムがありました。

そのほか、日本刀ブームを引き起こした要因はさまざま考えられますが、日本刀の価格が異常なまでに高騰した最大の理由は、年々価格が上がり続けたことにあると考えられます。土地や株式・絵画・貴金属に固有のものと思われていたのが、「買えば何でも儲かる」という社会現象が刀にも起こってしまったのです。

しかし、前述のように昭和四十九年の第一次オイルショック以降、日本刀の価格はゆっくりと下り坂を進み、十数年後の平成バブル期に再び上昇しますが、以前の最高潮期には及びませんでした。

明治以降、刀剣界はさまざまな困難を乗り越えてきました。

明治初年の廃刀令、大正十二年の関東大震災、昭和二十年のGHQによる武器提出命令…。幸い先人たちのご尽力により、登録制度の下に所持できることとなり、サンフランシスコ平和条約以降には現代刀も復活できました。

日本刀はわが国の宝であり、世界が認める鉄の芸術品です。コロナ禍の現在、刀剣業界は非常に厳しい状況にありますが、若い人たちが中心となって知恵と努力を出し合い、正しくより良い刀剣業界とされることを願っています。

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