靖国刀の鍛錬場跡を訪れて

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アーカイブ ※この記事は2020年9月15日に発行されたものです。

今年は終戦から七十五年の節目の年です。そこで、八月十八日に靖国神社を参拝し、併せて、境内の奥に今も残る靖国刀の鍛錬場跡を訪れました。

(財)日本刀鍛錬会の鍛錬場が当時のまま保存されていることを、最近まで筆者は知りませんでした。

現在、外観は当時のままですが、昭和六十二年に内部は茶室「行雲亭」に改装されています。

周囲には木々が生い茂り、建物の全体を見渡すことはできませんが、当時の写真からは横に長く作られた和風建築のように見えます。木造造りの玄関、事務室、来賓室と、鉄筋コンクリート造りからなる五カ所の鍛錬場と休憩所が一棟となり、二階部分には研ぎ場と鞘室が完備されていたとのことです(トム岸田著『靖国刀-伝統と美の極致』に詳しく紹介されています)。

昭和七年に国家主導で発足した日本刀鍛錬会により、鍛錬場は翌年に靖国神社境内に開設されました。その主な目的は陸海軍将校、同相当官の軍刀の整備でしたが、その動向は鍛刀技術の継承にも大きく貢献しました。多くの刀匠廃刀令以降、本職の刀を打てずに農具や刃物などの製作で食いつなぐ有様で、また刀匠の高齢化により作刀技術の伝承さえ困難になっていた時代です。

日本刀の素材となる和鉄を生産するたたらは、大正期に経済上の理由から廃業に追い込まれ、良質な玉鋼はわずかな量しか残っていませんでした。

そこで島根県に復興させたのが「靖国たたら」ですが、現在その技術は(公財)日本美術刀剣保存協会の「日刀保たたら」として継承され、現代刀の発展に大きく寄与しています。

靖国刀は機械を一切使用せず、横座の指揮で先手二名が大槌を振るう古式の鍛錬法により、終戦までの十二年間に八千百振を世に送り出しました。国家を動かし、これらの偉業を達成した当時の刀剣を愛する重鎮の方々のエネルギーは凄いものです。

昭和八年にはもう一つ、日本刀の荒廃を憂いて日本刀鍛錬伝習所が発足します。

衆議院議員・栗原彦三郎師が自邸内に私財を投じて開設した鍛錬場です。靖国刀は軍事的な要請からでしたが、栗原師は刀匠精神の衰退、鍛刀技術の伝承が危ぶまれていることを危惧して立ち上げます。

昭和十六年には神奈川県座間に日本刀学院を設けて多くの刀匠を養成、また文部省の後援を得て、自らが会長を務める大日本刀匠協会が主催し、新作日本刀展覧会を毎年開催します。これはコンクールの嚆矢とも言えるものです。

栗原師は当初、軍刀の需要に一切応えようとしませんでした。しかし日本刀復興への強い願いと、軍国主義へ向かう国内情勢に距離を置く限界もあり、やがて「軍刀報国」を唱え協力していきます。

日本刀鍛錬会の靖国刀とたたらの復興、栗原師と大日本刀匠協会の活動は、いずれも現代につながっていると言えるでしょう。

明治の廃刀令以降、刀剣の需要は低迷し、長い戦争を経験してきたために、単なる軍刀の時代とみなされ、名のある刀匠は別として、多くの刀匠の経歴や作刀には関心が持たれず、研究が進んでいません。またその手掛かりとなる当時の刊行物も現在は入手が難しく、その記録は貴重なものと言えます。

このような日本刀史の空白を埋めることは、今後の刀剣業界の課題でもあります。今に残る靖国神社の鍛錬場跡は、貴重な文化遺産の一つとも言えます。

刀剣に携わる者の一人として、靖国刀が日本古来の文化遺産の継承に大きく貢献した史実を考えれば、茶室へと改装した鍛錬場の一部を当時の状態に復元し、継承されてきた工芸遺産を次の時代に引き継いだ昭和の歴史として、保存してもらいたいものです。

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