新々刀その二

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アーカイブ ※この記事は2020年3月15日に発行されたものです。

前回は新々刀の作風変遷の中で濤瀾刃まで説明しましたが、今回は「復古刀」についてご説明しましょう。

復古刀の期間ですが、年代的に文化四(一八〇七)・五年から嘉永末年までの約四十五年間と考えられています。

姿の特徴としては、新々刀ですので全般にわたって重ねが厚く、平肉が乏しく、重量感のあるものが多いです。

復古刀は鎌倉期のものを理想としているところから、反りがある点が重要なポイントと言えます。元幅と先幅の差もあり、切先は鎌倉期のものに比してやや延び心になるところも特徴と言えます。

復古刀期間の四十五年間の中でも、姿に多少の変化があります。文化四・五年から文政年間の約二十二年間は、鎌倉期の姿を模しているものが多いです。次に天保年間の十四年間は、長さが二尺六寸あるいは二尺八寸前後と長寸になり、身幅も広く、元先の幅差は少なく、大切先の豪壮な姿が多く見られます。ただし、重要なポイントは反りがある点です。

弘化から嘉永にかけての約十年間は天保年間のものほど長寸でなくなり、反りはやや浅くなり、切先の延びた姿に変化します。つまり、この後の勤王刀姿に移行する過渡期の姿になってきます。

地鉄および刃文については、小板目のよく詰んだきれいな地鉄が多いですが、中には板目肌流れるものも見られます。刃文は、やはり丁子刃が主流です。丁子刃でもおのおのの刀工が特徴のある刃文を焼いています。

次に代表的な刀工の作風について述べることにしましょう。

◎水心子正秀

正秀は復古刀論の中で、鎌倉期および南北朝期の作品を理想と唱えていますが、南北朝期のものを写した作品は記憶にありません。南北朝期の作品を模したものは、時代の下った孫弟子たちである次郎太郎直勝や水心子正次らに見ることができます。

次に、正秀の復古刀の作風について述べてみますと、反りが深く優美な太刀姿ですが、重ねはやや厚く、平肉が乏しく、しかも手持ちのやや重い体配が多いです。そして、切先は延び心です。

地鉄は小板目よく詰み、無地風となります。刃文は匂本位の丁子乱れよく詰み、尖り刃交じり、焼き幅はさほど広くなく、しかも逆がかり、二個連なった丁子を交え、鎺元は染みており、全体的に元の刃の方が華やかで上半が幾分寂しくなった刃文が多いです。帽子は乱れ込んで先小丸に返ります。

正秀の理想は鎌倉期の一文字・長光・景光らであったようですが、実際には小反備前や応永備前などに似た刃文で終わってしまった感があります。

◎大慶直胤

直胤は復古刀最初期の文化四・五年ごろは二十八、九歳であり、終わりの嘉永六年(一八五三)が七十五歳です。まさに復古刀時代を駆け抜けた刀工の一人です。

備前伝が最も得意であり、次いで相州伝も巧みです。山城伝大和伝美濃伝にも精通し、誠に器用な刀工です。

ここでは備前伝の作風を年代順に述べてみます。

文化・文政年間のものは二尺三寸前後で、身幅尋常、重ねやや厚く、反り深く、中切先延び心の鎌倉期を思わせる姿。地鉄は小板目肌よく詰み、地沸細かにつき、乱れ映りの立つものが多いです。

刃文は逆互の目丁子、足長く入り、匂深く小沸つき、鎺元の刃の染みるものが多く、帽子は乱れ込み先小丸に返ります。

このころは背景や兼光あたりを狙った作風が多く、その代表作は重要美術品の文化十二年紀・杉原軍記正包の注文打ちの刀です。

天保年間の直胤には備前伝の作品は少なく、むしろ相州伝・大和伝の作品が多いです。備前伝の刀もわずかにありますが、その場合、兼光写しの片落ち互の目を焼いています。

天保十五年(一八四四)の作品で、刃長二尺五寸強、反り六分半、身幅広く腰反りにて大切先の姿、小板目に杢交じり地沸よくつき、刃中に弱い砂流し入り、帽子は乱れ込み先尖って返る刀があります。

このころの兼光写しの刀では、直勝に一歩譲るところがあります。直勝は直胤よりやや大きめの片落ち互の目を揃って焼いており、匂口は一段と明るく冴え、地にも乱れ映りが淡く立っています。

直胤晩年作(嘉永ごろ)の例としては、二尺五寸ほどのやや長寸の姿に反り七分半と深く、中切先延び心にて重ね厚く、地鉄は小板目肌に映り心があります。

刃文匂出来の角張った丁子に片落ち互の目交じり、尖り刃、小さな飛焼入り、物打ち辺の刃が華やかとなり、加えて刃中に砂流し交じり、直胤独特の刃文となります。

直胤は師正秀の復古刀論を忠実に実行した刀工で、景光・兼光を中心に、まれに応永備前を狙った作品を製作しました。全般的に見て、片落ち風になった逆がかった互の目、角張った丁子刃を焼き、地には映りを表現し、鋸元の刃を染みらせた作風であります。

◎細川正義

正秀門下で、直胤と双壁と言われた刀工が正義です。直胤より七歳年少ですが、共に復古刀の時代を駆け抜けました。最初期の文化年間にはわずかに濤瀾刃を残していますが、文化の後半から丁子刃を焼いています。

前期の作例としては、全般的に二尺二、三寸前後の姿のものが多く、刃文に大きな特徴があります。後期の焼き幅の広い丁子刃と異なり、さほど焼きは高くありません。匂出来にて匂口やや深く、師正秀に似たこづんで逆がかった小丁子、横山祐包風の茶花丁子、後の正義の源流とも言える足の左右に開いた丁子刃。この三種類の丁子刃を、一振の刀の中にうまく織り交ぜた刃文です。加えて、鎺元の刃は、染みています。

天保以降は、いわゆる正義風となります。姿は豪壮なものが多く、特に三尺前後の長大なものが十数点確認されています。

加えて、姿に大きな特徴があります。いわゆる正義の二段反りと言われるもので、鎺元の刃方にも棟方にも踏ん張りが強くつき、さらに中心の形も湾曲している、正義ならではの姿となります。

刃文も匂本位に小沸のついた焼きの高い重花風の丁子を交えて華やかに乱れ、焼き幅に高低が見られ、丁子の頭が角張り気味となり、焼き頭が押し合うように集まり、足が左右に開く、いわゆる細川丁子と呼ばれる刃文です。加えて、焼き頭の小さな飛焼も見どころです。そして、鎺元から中心に刃文が入り込む特徴があります。

そんな関係で正義の中心は長めとなり、鑢目の掛け出しが下がっているのです。帽子は焼きやや深く乱れ込み、先は尖り心に返ります。

このように、正義の丁子刃は前期と後期では作風が異なります。正義は丁子刃のほか、相州伝も上手であり、まれに直刃もあります。

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