「古」極めの定義と特徴

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アーカイブ ※この記事は2019年11月15日に発行されたものです。

①古伯耆極めの刀剣は平安時代後期~鎌倉時代初期と言われ、古吉井は鎌倉末期から南北朝期と言われています。同じ「古」が付くのに、なぜ時代が異なるのですか。
②古某の付いている流派等について、その特徴を詳しく教えてください。

①については、おのおのの流派などの「祖」と言われる刀工の出現の時期が異なっているためです。

②についてですが、生ぶ無銘の太刀や大磨上げ無銘の刀を極める場合、刀工の個名で極めることが難しい時に、何時代のどの国のどの流派に属するかが判断できれば、古某で極めることが多いものです。

古い時代の刀剣には特に在銘品が少ないことも、理由の一つです。

次に、古某極めのものはたくさんありますが、代表的な極めを挙げてみると、前述の古伯耆や古千手院、古京物、古波平、古備前、古青江、古一文字と続き、古宇多、古三原、古吉井、古金剛兵衛、さらにやや時代の下った古水田なども見られます。

それでは、おのおのについて詳しく見てみましょう。

■古伯耆
古伯耆とは、伯耆国において平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて活躍した刀工群およびその作刀を指す。安綱が最も有名で、その子と伝える大原真守、一門の有綱・貞綱・安家・真景などがいる。

作風については、姿は同時代共通のものであるが、身幅の割にがやや高く、鎬幅が狭い。加えて、平肉のよくついた造り込みが特徴とも言える。地鉄板目肌立ち、地沸がつき、地斑地景を交えて、地鉄が黒みを帯びている。

刃文は小沸出来にて、匂口がうるみ心に刃肌が立って、金筋砂流しなどがしきりにかかり、ところどころに小互の目や小湾れが独立して交じり、加えて区際に腰刃とか焼き落としのある点が古備前とは異なる。帽子は焼き詰めか崩れて火焔が多い。

■古京物
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、京には宗近・吉家らの三条派、包永・国永らの五条派、また久国・国安らの初期粟田口派の刀工たちがいた。古京物極めの太刀類は、にわかに流派・個名を指摘し得ないまでも、鎌倉初期を大きく下らぬ古い京物と鑑することができる作品を言う。

作風は、優美で古典的な形状に、地鉄は小板目肌よく詰み、地沸微塵に厚くつき、細かな地景入り沸映り立つ精美な肌合いとなる。刃文は直調にさまざまな小模様の乱れを交え、匂口明るく小沸のよくついた古雅な格調のあるものである。

■古備前
古備前とは、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて備前国に出現した刀工群を言う。同派の中では友成と正恒が最も有名で、特に正恒系には在銘作が多く、恒光・利恒・包平・吉包・助包・光忠・景安・信房など多くの名工が存在した。

古備前の一般的な作風は、生ぶの姿はやや長寸にて腰反り強く踏ん張りあり、先に行って伏し心を見せ小切先に結び、優美な太刀姿が多い。地鉄は板目に地沸つき、地景交じり乱れ映り立つ。刃文は小乱れ・小丁子・互の目が交じり、沸づき、金筋のかかるもので、総じて華やかに乱れるものは少なく、直刃調か浅い湾れを基調とするのが通例であり、総じて古雅である。

■古一文字
福岡一文字は備前国福岡庄において鎌倉時代初期から中期まで栄えた。その中で、則宗をはじめとして助宗・宗吉・成宗・宗忠・重久・貞真など鎌倉初期に活躍した刀工たちを、別に古一文字と称している。

作風は、古備前に比して丁子が目立って整い、映りが鮮明となるが、鎌倉中期の福岡一文字ほど華やかではなく、古備前同様に小沸出来のものである。

■古青江
備中国は古くから鉄の産地として知られ、青江派の刀工は同国の子位や万寿の地で作刀した。青江とは在地の地名である。

『日本古刀史』によると、古青江とは平安最末期から鎌倉初期までのものを一括して言うとあるが、現在では平安末期から鎌倉中期ごろまでのものとされている。

古青江の名だたる刀工としては守次・貞次・恒次・次家・包次・為次・康次・俊次・助次・次忠などがおり、「次」を通字にしている。なお、守次・貞次・恒次には名跡を襲うものが数代ある。

作風は、小板目がよく詰まって地鉄のきれいなものと、縮緬肌と言ってチリチリと肌立ち、澄肌と言う一種の地斑があり黒みのあるものとがあって、後者に特色を見る。刃文は小沸のついた直刃仕立てで、歯の中に小乱れ・小足の入るものがあり、古備前に比して地刃ともに地味で渋い感じのものである。

なお、は佩裏に切り、鑢目大筋違である点も、古備前とは相違する。

■古波平
平安時代後期、正国なる刀工が大和国から薩摩国谷山郡波平の地に来住して波平派の祖となったと伝え、その子を行安といい、その流れは幕末にまで及んでいる。同派の中でも南北朝期を下らぬ刀工およびその作刀を総称し、古波平と言う。刀工としては行安・家安・久安などが挙げられる。

波平の作風はすこぶる保守的であり、時代が下っても平安後期の大和物の特徴を継続し、これに九州物の特色を加味した独特の作風としている。

鎬高く、板目が総体に流れて柾がかり、地鉄はネットリとして軟らかみを帯び、鉄が白けている。刃文は細直刃調を主調にうるみ心を見せ、小沸つき、総体にほつれて匂口は沈み心となる。鎺元を焼き落とす特徴があり、帽子は焼き詰め二重刃がかる。

■古宇多
宇多派は鎌倉時代末期の古入道国光を祖として、南北朝期に国房・国宗・国次らの刀工がおり、同名相次いで室町時代末期にわたり越中国で栄えている。このうち、南北朝時代を下らぬ作品を古宇多と汎称している。しかし、南北朝期の在銘品はほとんどなく、無銘極めのものが大半を占める。

同派は大和国宇陀郡の出身であることから自然、大和気質の強いものが多く見られるが、同時に越中の先達の則重や江に倣ったと見られる相州伝風のものも存在する。

古宇多極めの作風は、姿は南北朝期の延文・貞治形が多く、地鉄は板目に杢流れ肌交じり、やや肌立つ鍛えに地沸厚くつき、太い地景がしきりに入り、鉄色黒味を帯び、肌目が粕立つところがある。

刃文は中直刃調によくつき、刃縁がしきりにほつれ、金筋・砂流しが激しくかかり、粗めのつぶらな沸がつき、匂口は沈み心となる。

大和伝・相州伝を加味し、加えて黒みを帯びた地鉄には北国気質も見られる作風である。

■古三原
備後国三原派は鎌倉時代末期に興り、以後、室町時代末期に至るまで繁栄した。一派のうち、鎌倉時代末期から南北朝期にかけてのものを古三原と汎称しており、代表刀工として正家・正広が挙げられる。

三原の地は中央の社寺の荘園が多くあった関係で、大和気質の作風が多く見られるが、まれに段映りの現れた隣国の青江に似た作風も見られる。

古三原極めの作風は、姿の点では南北朝前期ごろのものと延文・貞治ごろのものの二様があるが、共に鎬地の高い造り込みである。

地刃の点では大和本国のものに比べて沸の弱いのが一般的で、鍛えは白け心があり、まま板目の肌合いの中に杢が目立って肌立ち、刃文は直刃にて匂口が締まり心となり刃縁が盛んにほつれ、ところどころ食い違い刃を見せ、匂口は沈み心となる。帽子は穏やかとなり、直ぐに小丸にて返りが長くなるのも特徴の一つである。

■古吉井
備前吉井派は鎌倉時代後期に為則を祖として始まると伝え、鎌倉末期から室町時代にわたって繁栄した。同派のうち、南北朝期までの作を特に古吉井と称し、室町期のものは単に吉井と呼んで区別している。古吉井の代表刀工として景則・真則・則縄・盛則がいる。

吉井派の作風は、互の目が規則的に連れるところが見どころであり、また映りは備前物の中でも独特で、刃文の形がそのまま影になったように見えるものである。

中でも古吉井はこれらの特徴に加え、さらに沸がつき、刃中に砂流し・金筋が働くところが見どころであり、さらに帽子が掃き掛けることもある。

〈参考文献〉『日本古刀史』『重要刀剣図譜』『日本刀大鑑』

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