末備前

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アーカイブ ※この記事は2019年9月15日に発行されたものです。

■審査に出したら「無銘 末備前」として合格したのですが、刀工銘でなく、また流派極めでもありません。室町時代後期の備前国で製作された刀剣ということでしょうが、備前にはあまりに多くの刀工がおり、年代的にも範囲が広すぎてよくわかりません。
「末備前」と「末備前極め」の刀剣について詳しく教えてください。

それでは、末備前についてご一緒に学んでいきましょう。

まず、室町時代の備前刀は大きく次の三つに分類できます。

①応永備前・・・盛光・康光・実光・師光ら
②永享備前・・・経家・家助ら
③末備前

一般的に末備前の年代は、応仁の乱(1467~77)以降、いわゆる戦国時代に入ってから、天正十八年(1590)吉井川の大洪水によって備前鍛冶が全滅してしまう間の123年間を指しています。

次に末備前の代表的刀工ですが、寛正則光や祐光のように応仁時代を挟んで活躍している刀工もいます。彼らを末備前の先駆者に入れることが多いです。

前期の代表刀工としては、右京亮勝光・左京進宗光・彦兵衛尉忠光・法光・賀光

中期の代表刀工としては、次郎左衛門尉勝光・彦兵衛尉祐定・与三左衛門尉祐定・平右衛門尉貴光

後期の代表刀工としては、源兵衛尉祐定・次郎九郎祐定・新十郎祐定・五郎左衛門尉清光・孫右衛門尉清光・十郎左衛尉春光

等々が挙げられます。

室町後期には長船の町に「鍛冶屋千軒」と言われるほど大勢の刀工が集まってきました。末備前の中にあって『日本刀銘鑑』には祐定を名乗る刀工が六十八名も載っています。

次に末備前の特色についてですが、太刀が廃れて打刀が主流となりました。しかも片手打ちとなり、寸法が極端に短めとなり、加えての長さも短くなります。

姿の特徴ですが、重ねがやや厚くなり、先反りが強く、鎬地を大きく盗んだ姿です。

刀の長さは、応仁・文明ごろは二尺前後ときわめて短く、その後は年代が下るにつれてわずかずつ長くなっていきます。

永正ころまでは二尺一寸あるいは二尺二寸とやや短めです。天文ごろになると二尺二寸五分あるいは二尺三寸前後となり、永禄・元亀・天正に至ると二尺三寸五分~二尺四寸と、やや長寸に変化してきます。当然、寸法に比例して茎の長さも延びていきます。

末備前を鑑定する場合、刃長もその時代を知る重要なポイントと言えます。

短刀の長さも刀同様に変化していきます。

応仁前後は六寸前後と極端に短く、時代が下るにつれて七寸前後、八寸前後と移り、天正年間には九寸前後のものが多くなります。ただし、短刀の場合、六寸前後の刃長でありながら茎は長く、使用目的に合わせて作られています。

両刃の短刀は戦国時代に初めて現れました。右手指(めてざし)に使用したとも言われ、この時代を物語っています。なお、鎧通しと呼ばれる重ねの厚い、ふくらの鋭くなった短刀姿も流行しました。それらの寸法の変化は前述の通りです。

刃文は、互の目が割れていわゆる蟹の爪乱れ(複式互の目)のものが多いのも、末備前の特徴です。づいて沸がちの広直刃、大湾れ、皆焼なども見られます。

地鉄は応永備前よりも強いものがあって、地に映りがないものもあります。

帽子の焼きは全般に深く、返りが長く、棟焼きとなったものもあります。

注文打ちには、腰に濃厚な倶利伽羅や欄間透かしなどの彫刻も見受けられます。

茎の形はずんどうで、先は丸い栗尻となり、鑢目は浅い勝手下がりが多く見られます。特別な注文打ちの場合は、長銘で俗名を入れ、時には注文主の名を入れることもあります。当然、裏年記も入れられます。

しかし、数打ち物と称されるものには、単に「備州長船祐定」などと切られています。

ここで注意しなければならないのは、末備前の中にあって特に前期・中期ごろのものまでは、俗名が入っていない作品であっても注文打ちである場合が多く、名品もたくさんあります。

俗名が入っていない作品でも重要刀剣指定品がきわめて多いことが、そのことを如実に物語っています。

例えば、則光・祐光・勝光・宗光・忠光・祐定・法光・賀光・能光・在光・治光・幸光などで俗名の入っていない刀が重要刀剣に指定されています。

末備前の刀は、愛刀家にとって特に人気の高い存在でもあります。約123年間に、与三左衛門尉祐定というスーパー刀匠をはじめとして数多くの名工たちが名刀をたくさん製作しています。重要文化財四口、重要美術品十一口のほか、特別重要刀剣、重要刀剣は数百口に及んでいます。

しかし、末備前には注文打ちの名品ばかりではなく、時代の要求によって数打ち物と称される刀も製作しました。

年代的に永禄・元亀・天正ごろは、桶狭間の戦・川中島の合戦・三方ヶ原の戦・長篠の戦・小牧長久手の戦等々、日本中が常に戦渦の中にあり、刀剣の需要がピークに達した次代でもありました。

この時代には個人の製作から工場での生産になり、一族の数人、多い集団では四十人にも及ぶ人々が屋号的に同名を用いて製作した刀剣類もあります。

数打ち物と言うと、ややもすると粗悪品と思われがちですが、決してそうではありません。それは、それらの刀剣が江戸時代に長船の名刀と尊重され、立派な拵が添えられて現在に至っていることからも納得されるでしょう。

さて、ご質問の「末備前極め」の刀剣とは何かですが、前述のように、永禄~天正年間に備前鍛冶によって製作されたものと考えてよろしいのではないでしょうか。

この時代の刀は二尺四寸前後とやや長寸のものが多く、磨り上げられたものも多く見ます。祐定や清光・春光など同名の刀工が存在し、その人たちによって製作された刀剣で、後に磨り上げられて無銘になった場合、個名極めが難しく、「末備前」として極めざるを得ないものを総称して極めたものと思います。

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