越前来

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アーカイブ ※この記事は2019年7月15日に発行されたものです。

無銘の刀を審査に出したところ「越前来」に極められました。越前来とはどのようなものか、よくわかりませんので、詳しく教えてください。
 
無銘の刀を鑑定する場合、まずその刀が生無銘なのか、大磨上無銘なのかを判断しなければなりません。

次に、姿・地鉄刃文帽子などの調査はもちろん必須ですが、の状態、鑢目目釘穴の形なども重要な要素です。

さらに伝来、例えば古折紙が付いている場合、折紙が現物と合っているかどうかなど参考にしながら、鑑定を進めていきます。刀剣そのものの品格も重要なポイントです。

それらを総合的に調査し、在銘品と比較しながら、いつの時代のどこの国の何派の刀工であるか判断します。在銘の刀に最も近い作風であったり、折紙が付いている場合は個名で極められますが、「無銘 当麻」などと流派極めになる場合も多々あります。

ご質問の「越前来」は個名極めでなく、いわゆる流派極めの鑑定であります。

次に越前来について、関連文献を参考にしながら説明いたしましょう。

『日本刀大鑑』によれば、「本国が京で、来国安の弟子・千代鶴国安という者が貞治ごろ(南北朝中期)越前国に来て千代鶴の祖となった。国安は越前丸とも称し、銘に千代鶴とも来国安とも切るといい、同国に来宗光なる刀工がいて、共に越前来とも言われている」とあります。

『日本刀大鑑』(石井昌国編)では、国安を三名挙げています。

国安 
越前来。千代鶴派の祖。生国山城。摂津にても打つ。来国末孫。来国安門。来国安とも切るという。

来国安
越前来。千代鶴。敦賀住。嘉慶(南北朝後期)頃。越前。

国安
越州住国安。越前住千代鶴作。来。千代鶴。越前。

各代あるのか、一人説なのか、現在のところ不明です。

重要刀剣では「越前来」極めの指定は一振もありませんが、無銘 来国安や無銘 伝来国安の極めで三振が指定されています。『重要刀剣図譜』の説明文には、

▽国安は本国は山城で、一説に来国末の孫といい、後に越前に移住し、千代鶴派の祖となった。

とあります。

次に、越前来の作風についてですが、『鑑刀日々抄』続2に越前来国安極めの刀を、「地刃に五か伝ずばりでない作風があって北国物の感あり(板目流れ肌交じってややざんぐりとした地景入り地沸よくつき地斑黒めに交じる)、南北朝時代のいわゆる越前来国安ならば一応首肯される」と説明しています。

一般的に越前来に極められている作風と述べると、

▽姿・・・延文・貞次頃の姿、南北朝後期に見られる姿の二様がある。

▽地鉄・・・板目に杢目・流れ肌を交え、肌立ちごころとなり、地沸微塵に厚くつき、地景細かくしきりに入り、黒みがある。

▽刃文・・・広直刃調に小丁子足入り、来国光あたりにも見えるが、一歩譲るところのもの、直刃調に小湾れ、互の目交じり、入り、よくつき粗めの沸交じり、砂流しの目立つものの二様がある。

▽帽子・・・浅く湾れ込み、小丸に掃き掛ける。

結論的には、越前来とは南北朝中期~後期にかけて越前国にて活躍した越前千代鶴国安を中心に製作された刀剣であり、作風は地刃に南北朝期の来派の特色を表しながらも、地刃が肌立ちごころとなり黒みがかり、帽子も掃き掛けるなど、北国気質の見られるものが越前来と言えます。

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