鉄砲四六九丁の販売や、軍事拠点だった大坂城で鉄砲のメンテナンスに関わる

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アーカイブ ※この記事は2019年5月15日に発行されたものです。

堺市に所在する井上家の鉄砲鍛冶屋敷には、江戸時代以来の鉄砲の生産現場が残り、堺市の有形文化財(建造物)に指定されている。

堺市と関西大学は、共同研究調査として、平成二十七年度から四年間にわたり、鉄砲鍛冶屋敷の古文書調査を実施してきたが、その成果の一部をこのほど報告書として刊行した。

井上家の資料群は江戸時代から明治時代にわたるもので、総点数は二万点を越え、鉄砲の注文から代金の引き渡しに至る江戸時代の鉄砲ビジネスの仕組みが初めて明らかになるなど、日本の鉄砲生産の歴史を書き換える貴重な成果を得ることができたという。

慶応二年(一八六六)には鉄砲四六九丁を販売し、売り上げは三〇二九両(約三億円相当)だったことが判明した。また、日本最大の軍事拠点だった大坂城で鉄砲のメンテナンスに関わっていたこともわかった。

調査に当たった関西大の藪田貫名誉教授(日本近世史)は、「戦はなくても、有事の備えとして鉄砲は必要だった。農民たちも獣害対策として鉄砲を使っていた。外国船が来航した幕末には、沿岸警備の需要もあった。資料だけでも『平和が続いたから鉄砲産業が衰退した』という定説を覆すに十分な証拠になる」と評価している。

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