剣聖塚原卜伝

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アーカイブ ※この記事は2017年9月15日に発行されたものです。

二回にわたり「ふるさと鹿島」について書いてきたが、最後に、戦国時代の剣士で兵法家でもある塚原卜伝を取り上げたい。

卜伝は今から五百年以上前の延徳元年(一四八九)常陸国一之宮鹿島神宮の神職である卜部家吉川左京覚賢の二男として誕生。幼少のころ、沼尾の塚原城主塚原土佐守安幹の養子となり、後に元服して塚原新右衛門高幹と名乗る。

幼少のころから実父に鹿島の太刀を、師の松本備前守に天真正伝香取神道流を学び、永正二年(一五〇五)には十六歳で回国修行の旅に出て、十四年間腕を磨き、初めての真剣勝負や戦場での戦いを経験する。

同十五年に帰国すると、鹿島神宮に千日籠もって精神修行に励んだ。やがて悟りを得た卜伝は、大永三年(一五二二)に二回目の回国修行に出かけ、天文元年(一五三二)に戻ると塚原城主となり、妙を妻に迎える。

しかし、短い結婚生活で妻が亡くなると、城を養子に譲り三回目の修行の旅に出かける。

京では時の将軍足利義輝や伊勢の北畠具教、細川幽斎ら多くの大名や武人に剣を教え、十一年後、鹿島に戻る。

三回目の修業後、卜伝は塚原城近くの草庵に住み、弟子たちに剣を指南しながら、元亀二年(一五七一)八十三歳の生涯を閉じた。

「塚原卜伝」は平成二十三年にドラマ化され、連続七回にわたりBS時代劇として放送された。

よく知られている真剣勝負に、川越城下での梶原長門との対決がある。幾度も真剣勝負に望みつつ、一度も刀傷を受けなかったという伝説により「剣聖」とうたわれ、好んで講談などの題材とされ広く知られた。

若いころの宮本武蔵が卜伝の不意を襲ったところ、とっさに囲炉裏に掛かる鍋の蓋を盾にして武蔵の刃を受け止めたという有名な逸話がある(月岡芳年の錦絵などでも知られる)が、この二人はそもそも同時代ではなく、全くのフィクションである。

親子が、兄弟が、血で血を洗う凄絶な戦国時代にあって「剣は人をあやめる道具にあらず、人を活かす道具(活人剣)なり」と、平和思想を持って生き抜いた卜伝を、いつしか人々は「剣聖」の名でたたえたのである。

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