鮎目貫 銘:光長作

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アーカイブ ※この記事は2016年11月15日に発行されたものです。

光長は松平大和守家の武士であった斎藤喜三郎の子として、幕末の嘉永三年(一八五〇)に江戸で生まれました。

文久二年(一八六二)十二歳のときに父子ともども職禄を辞し、彫金を業とすることを志します。その後、十六歳で初代豊川光長の門人となり、一心に柳川派の工法を学びました。十九歳のとき、見込まれて師の娘ハルと縁組をし、二代目光長となります。

彼は人格・見識に併せて彫金の技量にも優れ、晩年までに多くの門弟を育てました。

大正十二年(一九二三)九月一日、七十四歳のときでしたが、関東大震災に遭い、墨田区本所で生涯を閉じました。文京区本駒込の養昌寺に墓があります。

通常は左右合わせて「光・長」と刻銘するところ、それぞれに「光長」銘を刻しています。これは廃刀令以降に製作されたもので、既に目貫としての需要はなくなっていたため、莨入れの前金具にも使えるようにとの配慮がなされたものであると考えられます。

色上げも今となっては継承されていない非常に高い技術を示しており、鮎が生き生きして今にも泳ぎ出すかのようです。

この鮎目貫は当時製作された桐箱に収まっており、箱書きも本人の筆です。光長の号銘である白山子に落款が押されていて、脇に七十三歳と書き添えられています。ちょうど関東大震災で逝く一年前の作品ということがわかります。

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