短刀 銘 祐光 長さ13·6㎝

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アーカイブ ※この記事は2017年5月15日に発行されたものです。

刀には当然のことながら、一振一振に刻まれた歴史や物語がある。

入手した祐光短刀に毛筆の書付が付されていた。著名な人物名も記されているので、知人に見せたところ、解読してくれた。内容は以下の通りである。

水戸藩を訪れた清河八郎と国事を論じた際、大いに共鳴し、友人佐野竹之助から贈られていたこの短刀を黙契の証しとして進呈した。

清河はその後、関東の浪士組二百三十四名の長として西上せんとするとき、某楼に宴を張ったが、たけなわに至って取締役山岡鉄舟の夫人の前に伏し、「今回の成否は天のみぞ知る。われわれは元より生還を期してはいない。もし一敗地にまみれれば累はどこまで及ぶか計り知れない。その際にはこれで自裁していただきたい」と、短刀を差し出した。すると、満座が感動に包まれたという。

将軍警衛を建前として幕府から派遣された浪士組であったが、清河は京に着くや、尊皇攘夷の先駆けとなることを宣言する。その結果、芹沢鴨や近藤勇らは袂を分かち、壬生浪士組から新撰組結成へと向かうのである。

一方、天皇に上表文を提出し、勅諚を賜った清河ら浪士組は攘夷戦争に備えて東帰する。しかし、幕府にとって最も危険な人物となってしまった清河は、江戸に着いて間もない文久三年(一八六三)四月十三日、刺客・佐々木只三郎らによって暗殺されてしまう。享年三十四。

明治の世になってしばらくして、筆者は山岡夫人英子刀自を根岸の屋敷に訪ねた。往時の思い出話に、涙することもしばしばであった。夫人が愁然として言うには、「この短刀は長いこと鏡箱の奥にしまってきましたが、もはや無用です。清河殿の知友であるあなたにお返ししましょう」と。

それからは折に触れて取り出し、故人らを偲んでいるが、私も既に老いて余齢も少なく、また欲しいものもない。できれば後世、これを見る人たちが多生のよすがと思ってもらえれば望外の喜びである。

佐野竹之助は桜田烈士の一人。享年二十一。山岡鉄舟は幕臣として征討大総督府参謀西郷吉之助と駿河において談判し、江戸城無血開城への道を開いた。その後、新政府に出仕し、明治二十一年(一八八八)没、享年五十三。

書付の筆者は「和田某」とあるのみで、詳細は不明である。 幕末動乱期の裏面史の一場面を垣間見るようで、興味深い。

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