「岡山県立博物館」は、1971年(昭和46年)に開館。古代日本において、「吉備国」(きびのくに)と呼ばれていた岡山県は、大陸や朝鮮半島に近く、その文化的影響をより受けていたとされる北九州や、都があった近畿と共に、古代から文化を形成、繁栄させてきました。主な収蔵品には、平安時代後期に遡る甲冑(鎧兜)で、国宝に指定されている「赤韋威鎧兜、大袖付」(あかがわおどしよろいかぶと、おおそでつき)をはじめとして、宮山墳墓群(みややまふんぼぐん:島根県総社市)出土の「特殊器台」、高塚遺跡(岡山市)出土の「突線流水文銅鐸」(とっせんりゅうすもんどうたく)、両宮山古墳群(りょうぐんざんこふんぐん:赤磐市[あかいわし])出土の「長持形石棺」があります。これらの出土品はいずれも国の重要文化財に指定されています。
このように、古代から文化的にも繁栄してきた岡山県ですが、すぐに思い浮かぶ文化財と言えば、やはり日本刀。「五箇伝」のひとつとして栄えたことで知られる「備前伝」をはじめとして、現在の岡山県西部に位置していた「備中国」においても、「青江派」などの刀工によって数多くの名刀が生み出されてきました。近隣地域において、複数の刀工集団が存在し、腕を競い合うようにして鍛刀を行なった結果、備前・備中一帯は、日本刀の一大生産地として、大きく発展を遂げたのです。
岡山県立博物館には、国の重要文化財に指定されている「太刀」が2振、収蔵されています。1振は「則宗」(のりむね)の銘が入った刀。則宗は、岡山県東部を流れる「吉井川」の東岸を拠点とした「福岡一文字派」(ふくおかいちもんじは)の祖と言われている人物です。直刃調の小乱れの刃文が焼かれ、細身で優雅な姿は、備前国において平安時代中期に興った刀工集団の一派「古備前」の趣。収蔵されている太刀は、鎌倉時代の作品であると考えられますが、古備前の特徴を受け継いでいると言えます。
もう1振が「長光」(ながみつ)の銘が入った刀。長光とは、備前国の刀工集団「長船派」(おさふねは)の代表的な刀工で、現存する古刀(平安時代中期から桃山時代末期の間に作られた日本刀)のうち、銘が入っている物が最も多いひとり。国宝に指定されている物も6点あります。日本刀に詳しい人でなくとも、「長船長光」という名前を一度は耳にしたことがあるでしょう。長光は、長船派の祖である「光忠」(みつただ)の子だと言われており、太刀から小太刀、短刀、薙刀、剣と、その作品の幅が広いことが特徴です。