渡辺美術館は、1978年(昭和53年)に開館。1987年(昭和62年)に財団法人渡辺美術館を設立・2012年(平成24年)に公益財団法人に移行しました。コンセプトは、生活に根付いている物の中にも芸術品はあり、日本には数多くの芸術品があると展示品を通して知ってもらうことです。調べて学び、触れて楽しむことで、美術品を身近に感じることができます。これは地域文化を掘り起こし、地域に根ざした美術館につながっていく、という考えに基づいています。
渡辺美術館のマスコットキャラクターは「かっ・ちゅうくん」。甲冑(鎧兜)姿の男の子と足軽姿のねずみのキャラクターです。キャラクターからも分かるように、渡辺美術館は、国内屈指の甲冑(鎧兜)の収蔵数を誇っています。その数は約250領で、そのうちの約100領は常設展示。長い展示ケースにズラリと甲冑(鎧兜)が並んでいる様は圧巻です。
鳥取池田藩のルーツをたどると、「徳川家康」にたどり着きます。鳥取池田藩初代藩主「池田光仲」(いけだみつなか)は、池田輝政(いけだてるまさ)の三男・池田忠雄(いけだただかつ)の子。輝政から始まる池田宗家の流れを汲んではいません。しかし忠雄は、単なる三男ではありませんでした。忠雄の母で輝政の側室「督姫」(とくひめ)は家康の二女。つまり、忠雄は家康の外孫に当たり、光仲はひ孫に当たるのです。さらに光仲の正室は、家康の正室の第十子で、紀州徳川家の祖徳川頼宣(よりのぶ)の娘である「茶々姫」(ちゃちゃひめ)。備前池田藩や備中池田藩、播磨池田藩などの数ある「池田藩」の中でも、徳川将軍家との間には強いつながりを誇っていました。
鳥取藩の藩主たる因州(いんしゅう)池田氏に伝来する日本刀として名高いのが、脇差「浦島虎徹:銘長曽弥興里」(ながそねおきさと)です。1660年(萬治3年)に作られたこの脇差は、刃の表に「浦島太郎」、裏に「倶利伽羅龍」(くりからりゅう)の彫り物が入っていることから、そう名付けられました。「虎徹」とは、長曽弥興里の入道(出家)名。元々彼は金沢で甲冑師として活動していましたが、50歳で刀工に転身し、年を重ねるごとに急激な成長を遂げます。転身後、15年ほどの間に200本以上の作刀を行なうなど、精力的に日本刀を作り続けました。その作品の美しさから、上流階級からの人気が高く、重要文化財に指定されている物が数多く存在しています。