備前長船(現在の岡山県瀬戸内市長船町)は、古くから日本刀の生産地として名を馳せていました。
鎌倉時代初期から中期にかけて、長船町内の福岡地域では、「福岡一文字派」と呼ばれる刀工の集団が隆盛を極め、鎌倉時代中期になると、長船地域においても「長船派」と呼ばれる刀工の集団が興ります。長船派の初代は「光忠」と呼ばれる刀工で、息子の「長光」や、孫の「景光」らによって集団での生産体制が確立したため、数多くの優れた作品が作られるように。長船派の作品は、福岡一文字派のように美しく、時代のニーズに合った作品であったことから、多くの人々を魅了してきたのです。
鎌倉時代中期から室町時代にかけて隆盛を誇った長船派ですが、室町時代末期に入ると、災害など様々な要因から徐々に衰退。江戸時代になると、わずかに残った刀工たちによって細々と作刀が行なわれていきました。
その後、「廃刀令」など数々の困難もありましたが、日本刀制作の地という誇りが人々の心に強く根付いていたため、現在も日本刀に携わる職人が瀬戸内市に多く在住しています。
このように長い間、名刀の産地であった「備前長船」の地に、1983年(昭和58年)「備前長船刀剣博物館」を新設。2004年(平成16年)には日本で唯一の日本刀専門の公立博物館としてリニューアルされ、その一環として日本刀の制作工程が見学できる「備前長船刀剣工房」や、昭和初期に日本刀の復興に尽力し、後進の育成に努めた今泉俊光刀匠を記念する「今泉俊光刀匠記念館」が併設されました。
当博物館は、備前で制作された日本刀を中心とした刀剣専門の博物館として、多くの来場者を迎えると共に、備前長船刀剣工房では、刀匠が火を使って行なう日本刀制作の工程や、塗師(ぬし:漆芸家のこと)や、刀剣彫刻の職人が日々作品を制作する作業風景を見ることができます。
また、月に何日かは、研師(とぎし)、柄巻師(つかまきし)、鞘師(さやし)が来場し、日本刀を観るだけではなく、日本刀の制作工程を間近に見ることができる博物館となっています。