佐野美術館は、1966年(昭和41年)静岡県三島市に設立されました。美術館の名前は、佐野隆一氏に由来。佐野氏は、出身地である静岡県三島市に様々な寄付を行なっており、そのひとつが美術館の設立でした。現在の収蔵品は、刀剣類や茶器、仏像など、日本の美術品を中心に、その数は2,500点を超えています。メインは時代、流派、種類など幅広い日本刀のコレクション。その背景には、創設者である佐野氏のコレクション方法にありました。佐野氏は日本刀を収集する際、「時代ごと」、「流派ごと」、「種類ごと」などに分類し、自分が持っていない分野の物を広く収集。このように、佐野氏が幅広い分野の日本刀を収集したことで、様々な日本刀が揃っているのです。
佐野美術館は、日本刀に関する収蔵・展示が全国の美術館の中でも質量ともに屈指です。それを受け、日本刀などの刀剣類の寄贈先や寄託先として選ばれることが多々あります。その代表的な寄託作品が、「蜻蛉切」(とんぼきり)と呼ばれている槍です。槍の穂先に止まった蜻蛉が切れてしまったと言う伝説に由来する蜻蛉切は、徳川四天王の1人本多忠勝(ほんだただかつ)が愛用していました。「日本号」、「御手杵」(おてぎね)と並び、「天下三名槍」(てんがさんめいそう)に数えられる逸品です。
また、佐野美術館の日本刀コレクションの中でも、一際目を引く物が「義弘」(よしひろ)の朱銘が入った重要文化財の日本刀です。義弘とは、鎌倉時代末期の「正宗」(まさむね)の高弟10人とされている「正宗十哲」(まさむねじってつ)の1人にして、「正宗」、「粟田口吉光」(あわたぐちよしみつ)と並ぶ「天下三作」の1人である「郷義弘」(ごうのよしひろ)のこと。南北朝時代に越中(現在の富山県)で活動した義弘の作風は、「相州伝」を基調として、地刃ともに明るく冴えるのが特徴です。新刀期(1596~1781年)の一流刀工たちがその作品を写したと言われている程の影響力を持っていました。義弘は銘を切らなかったことでも知られており、その作品はすべての日本刀の中で最も入手困難な物のひとつであると言われています。