宗勉 (本名:宗勝)

「宗勉」(そうつとむ)は、1927年(昭和2年)に「宗正光」(そうまさみつ)の息子として福岡県で生まれました。父の正光は刀匠「小宮四郎國光」(こみやしろうくにみつ)の下で学んだ刀匠です。

勉は1946年(昭和21年)、19歳の時に父に師事し、刀匠としての道を歩み始めます。その後、作刀技術発表会にて努力賞を3回受賞の他、1955年(昭和30年)より出品を始めた新作名刀展では、奨励賞1回、努力賞6回、入選4回など受賞を重ね、1990年(平成2年)に無鑑査刀匠に認定されました。

五箇伝のうち、金筋や砂流しなどを特徴とした相州伝を得意としており、なかでも幕末の名匠、源清麿(みなもときよまろ)の作風を忠実に再現した「清麿写」(きよまろうつし)である「刀銘 筑州山王住宗勉作」(かたなめいちくしゅうさんのうじゅうそうつとむさく)などの傑作を残しています。

また、備前伝山城伝日本刀(刀剣)も多数作刀した他、晩年には「越前守助広」(えちぜんのかみすけひろ)を始祖とする、打ち寄せる波をイメージした「濤乱刃」(とうらんば)にも取り組んだ刀匠です。

長いキャリアと多くの受賞歴を誇る現代刀匠のひとりでしたが、2015年(平成27年)に惜しまれつつ亡くなりました。

宗勉が制作した刀剣

刀 銘 筑州山王住宗勉作
刀 銘 筑州山王住宗勉作
筑州山王住
宗勉作
平成十二年
正月日
鑑定区分
未鑑定
刃長
77.8
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

三上貞直 (本名:三上孝徳)

「三上貞直」(みかみさだなお)は、1955年(昭和30年)に島根県邑智郡(しまねけんおおちぐん)の瑞穂町(現邑南町)に生まれました。

1974年(昭和49年)、奈良県にて活動していた人間国宝(重要無形文化財保持者)「月山貞一」(がっさんさだかず)に入門。1980年(昭和55年)に文化庁の作刀認証を受け、広島県山県郡北広島町に三上貞直日本刀鍛錬道場を設立しました。

1981年(昭和56年)より新作名刀展において高松宮賞を2回、文化庁長官賞を2回、毎日新聞社賞を1回、薫山賞を2回、優秀賞を1回、努力賞を3回と数多くの賞を受賞し、1995年(平成7年)に無鑑査刀匠に認定されています。2013年(平成25年)には、「吉原國家」(よしはらくにいえ)の後任として全日本刀匠会会長となり、現在も刀剣界を牽引する存在です。

南北朝時代に相州伝を取り入れた鍛刀法として考案された「相伝備前」(そうでんびぜん)を得意とし、刀匠・備前長義(びぜんちょうぎ)の製法に倣った作品を多く生み出しています。

2012年(平成24年)にはアニメーション作品[新世紀エヴァンゲリオン]に登場する「ロンギヌスの槍」を、弟子の「橋本庄市」(はしもとしょういち)とともに制作したことでも話題になりました。

宮入法廣 (本名:宮入法廣)

宮入法廣(みやいりのりひろ)は、1954年(昭和29年)に長野県坂城町で生まれました。

1978年(昭和53年)に國學院大学文学部を卒業後、重要無形文化財保持者である「隅谷正峯」(すみたにまさみね)に師事。1984年(昭和59年)に新作名刀展での寒山賞受賞を皮切りに、高円宮賞、文化庁長官賞、薫山賞、全日本刀匠会理事長賞、新作小品展で産経新聞賞などを多数受賞しています。

正峯の下で5年、父の「宮入清宗」(みやいりきよむね)の下で9年修行を積んだのち、長野県東御市(とうみし)に鍛錬場を設立。1995年(平成7年)に39歳で無鑑査刀匠に認定され、2000年(平成12年)には短刀を作刀し、警視総監特別賞を受賞しました。

父の清宗や伯父の「宮入行平」(みやいりゆきひら)ら、宮入一門は代々五箇伝のうち相州伝をもとにしていましたが、法廣が師事した正峯は備前伝をもとにしており、「隅谷丁子」(すみたにちょうじ)と呼ばれる独自の美しい丁子刃文を生み出した芸術家。法廣は一門とは異なる流派に弟子入りすることで、流派に縛られない作風を切り拓く決心をしたのです。

2011年(平成23年)に長野県無形文化財保持者に認定された法廣は、現在に至るまで精力的に作刀を続けています。

宮入法廣が制作した刀剣

刀 銘 宮入法廣作之
刀 銘 宮入法廣作之
宮入法廣作之
平成十一年弥生
鑑定区分
未鑑定
刃長
72.4
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

榎本貞吉 (本名:榎本貞市)

刀匠「榎本貞吉」(えのもとさだよし 本名:貞市)は、1908年(明治41年)、徳島県に生まれました。初等教育を終えた貞市は故郷を離れ、大阪の鉄工所で働き始めます。

そして1928年(昭和3年)、大阪の刀匠・月山貞勝(がっさんさだかつ)に入門、師匠より「貞」の字を受けて「貞吉」と名乗り、刀匠としての修行を始めました。

1943年(昭和18年)、師匠・貞勝が亡くなると刀匠として独立し、静岡県三島に拠点を移します。貞吉は、富士山麓の伏流水が湧水として注ぐ菰池(こもいけ)の水で作刀し、この頃から「湧水心」(ゆうすいしん)、または「湧水子」(ゆうすいし)とも名乗るようになります。

また、貞吉は師匠である貞勝が得意とした相州伝綾杉肌を継承した刀匠としても知られています。綾杉肌とは、奥州月山一派が得意とした地肌であり、大きく波打ったような柾目模様が浮き出た美しい地肌のことです。貞吉は鍛えの名人として高い評価を受け、数多くの作品展で入賞。名工がそろう月山貞勝の門下の中でも評価が高く、「鍛えの貞吉」と称されるほどでした。

1966年(昭和41年)には文化財保護委員会から作刀承認を与えられ、1996年(平成8年)には日本美術刀剣保存協会によって無鑑査に認定。

貞吉は、同じく刀匠である息子「貞人」(さだひと 本名:栄七郎)との合作など、2000年(平成12年)92歳で没するまで多数の作品を残しました。

榎本貞吉が制作した刀剣

刀 銘 豆州三嶋住湧水心貞吉作
刀 銘 豆州三嶋住湧水心貞吉作
豆州三嶋住
湧水心貞吉作
昭和二二十七年
二月日
鑑定区分
未鑑定
刃長
76.4
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

瀬戸吉廣 (本名:瀬戸吉廣)

サラリーマンからの転身という、異色の経歴を持つ刀匠・瀬戸吉廣(せとよしひろ)は、1945年(昭和20年)、福岡県に生まれました。大学を卒業後、東京で医薬品販売会社に勤務していた吉廣は、医療用メス製造の後継者不足を知り、鍛冶職人となることを決意、退職します。

しかし、吉廣はメスの鍛冶職人から入門を断られ、刀匠の道を勧められます。そこで吉廣は、刀匠・天田昭次(あまたあきつぐ)の門を叩きますが、病から回復して間もなかった天田は、刀匠・宮入行平(みやいりゆきひら)を紹介。宮入を訪ねた吉廣は入門を許され、刀工としての修行を始めます。

その後、1971年(昭和46年)に吉廣は宮入の下を離れ、のちに人間国宝となる石川県の刀匠・隅谷正峯(すみたにまさみね)の門下となります。隅谷の下で雑務をこなしながら、吉廣は鍛刀技術を修得。様々な新作刀展に出品し、数多くの入賞を果たしました。

そして1977年(昭和52年)、吉廣は文化庁より作刀を承認されて独立。一層意欲的に鍛刀に取り組みます。その結果、1996年(平成8年)には公益財団法人日本美術刀剣保存協会より無鑑査として認定されました。

独立後もしばしば師匠の下に通い技を高めた吉廣の作風は、師匠である隅谷によって授けられた備前伝に則る物で、丁子(ちょうじ)と呼ばれる刃文が美しい日本刀(刀剣)を生み出しています。

瀬戸吉廣が制作した刀剣

刀 銘 豊前住吉廣作之
刀 銘 豊前住吉廣作之
豊前住吉廣作之
昭和戊午年
二月日
鑑定区分
未鑑定
刃長
77.4
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

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