無鑑査刀匠一覧(31名)

吉原國家(三代) (本名:吉原荘二)

「吉原國家(三代)」(よしはらくにいえ)は「吉原國家(二代)」の次男、「吉原義人」(よしはらよしんど)の弟として、1945年(昭和20年)に東京都で生まれました。

祖父である初代國家の仕事を見て育ち、高校卒業後、本格的に作刀の修行を開始。1965年(昭和40年)に兄の義人とともに文化庁認定刀匠となりました。1966年(昭和41年)に新作名刀展での努力賞受賞を皮切りに、同展で努力賞・奨励賞・特賞を続けて受賞し、1982年(昭和57年)に37歳の若さで無鑑査刀匠に認定。三代目國家を襲名しました。

実兄の吉原義人とともに五箇伝のひとつである備前伝を研究する他、江戸時代に活躍した刀匠「源清麿」(みなもときよまろ)をルーツとする清麿一派などにも魅せられて技を磨き、これまでに3度「伊勢神宮式年遷宮御神宝太刀」(いせじんぐうしきねんせんぐうごしんぽうたち)を作刀しています。

1995年(平成7年)に全日本刀匠会常務理事となり、1999年(平成11年)には靖国神社にて鍛刀実演。2002年(平成14年)に全日本刀匠会副会長、2008年(平成20年)に同会長に就任するとともに、東京都指定無形文化財保持者に認定されました。

さらに、2003年(平成15年)には明治維新直後の侍を描いた映画「ラストサムライ」に刀匠役で出演するなど、様々な形で日本刀(刀剣)の普及・発展に貢献しています。

吉原國家(三代)が制作した刀剣

太刀 銘 武蔵住吉原国家
太刀 銘 武蔵住吉原国家
武蔵住吉原国家
鑑定区分
未鑑定
刃長
79
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
太刀 銘 武蔵国住吉原荘二作之 昭和己未歳二月吉日
太刀 銘 武蔵国住吉原荘二作之 昭和己未歳二月吉日
武蔵国住吉原
荘二作之
昭和己未歳
二月吉日
鑑定区分
未鑑定
刃長
78.8
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

月山貞利 (本名:月山清)

「月山貞利」(がっさんさだとし)は、人間国宝「月山貞一」(がっさんさだいち)の3男として、1946年(昭和21年)に大阪府で生まれました。

月山は元々、鎌倉時代から室町時代にかけて多くの日本刀(刀剣)を残した流派です。実用性の高さと、杉の木地に似た地肌を持つ綾杉肌(あやすぎはだ)を特徴とする月山伝(がっさんでん)はこの時代に全国に広まり、五箇伝それぞれの技法を用いた月山の名刀が多く残されています。

貞利のルーツは幕末から続く大阪月山派ですが、明治時代の廃刀令や戦後のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による武器製造禁止令により、日本刀(刀剣)を作ることができない危機がたびたび訪れ、貞利の2人の兄は刀匠の仕事を諦めざるを得ませんでした。

しかし、貞利が大阪工業大学在学中の1967年(昭和42年)に父の貞一が人間国宝に認定されたことから、「その技術だけでも残したい」と思い立ち、貞利は月山家を継ぐことを決意。大学卒業後の1969年(昭和44年)に月山家の後継になることを決めました。

同年に文化庁の作刀認証を受け、1975年(昭和50年)に新作名刀展で高松宮賞などを受賞。1982年(昭和57年)に36歳で無鑑査刀匠に認定され、ボストン美術館やニューヨークメトロポリタン美術館でも作品が展示されるなど、海外でも広く知られる存在になっています。

月山貞利が制作した刀剣

刀 銘 月山貞利
刀 銘 月山貞利
大和国住
月山貞利彫同作
(花押)
平成十二二壬午年二月吉祥日
鑑定区分
未鑑定
刃長
72.7
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

上林恒平 (本名:上林勇二)

刀匠「上林恒平」(かんばやしつねひら)は、1949年(昭和24年)に山形県東田川郡で生まれました。1967年(昭和42年)に山形県立鶴岡工業高校を卒業したのち、重要無形文化財保持者である宮入行平(みやいりゆきひら)に師事。

1973年(昭和48年)に文化庁の作刀認証を受け、同年の新作名刀展での努力賞をはじめ、奨励賞・文化庁長官賞・高松宮賞・薫山賞など数多くの受賞を果たしました。そして、1985年(昭和60年)に36歳で無鑑査刀匠に認定されます。

作風としては五箇伝のうち、軽量ながらも強度が高いことで知られる相州伝を得意とし、師匠の行平と同じく重要無形文化財保持者である柳村仙寿(やなぎむらせんじゅ)から学んだ芸術性の高い刀身彫刻を数多く残しています。

1986年(昭和61年)、山形市大字長谷堂に自身の鍛刀場を開設。高橋恒厳(たかはしつねよし)や「加藤慎平」(かとうしんぺい)ら、次世代の優れた刀匠を輩出。

また、自身も2008年(平成20年)に山形県重要無形文化財に指定されており、2018年(平成30年)に行なわれた「嘉納治五郎(かのうじごろう)師範 没後80年式典・偲ぶ会」では、式典のために特別に作刀した3振に加え、演舞用3振の合計6振の日本刀(刀剣)を奉納しました。

様々な展示会で恒平作の日本刀(刀剣)を目にすることができる他、本人もイベントで鍛錬の実演を積極的に行なうなど、日本刀(刀剣)文化の普及活動に取り組んでいます。

嘉納治五郎師範 没後80年式典・偲ぶ会嘉納治五郎師範 没後80年式典・偲ぶ会
「嘉納治五郎師範 没後80年式典・偲ぶ会」が行なわれ、東建コーポレーションから特別に制作された日本刀(刀剣)が献納されました。

上林恒平が制作した刀剣

刀 銘 羽州長谷堂住上林恒平
刀 銘 羽州長谷堂住上林恒平
長谷堂住恒平作
献納左右田鑑穂
平成三十年
五月四日
嘉納治五郎師範没後八十周年
鑑定区分
未鑑定
刃長
70.9
所蔵・伝来
東建コーポレーション →
講道館 献納刀
脇指 銘 羽州上林恒平
脇指 銘 羽州上林恒平
長谷堂住恒平作
平成三十年
五月四日
献納左右田鑑穂
鑑定区分
未鑑定
刃長
55.6
所蔵・伝来
東建コーポレーション →
講道館 献納刀
短刀 銘 羽州上林恒平
短刀 銘 羽州上林恒平
長谷堂住恒平作
平成三十年
五月四日
鑑定区分
未鑑定
刃長
25.8
所蔵・伝来
東建コーポレーション →
講道館 献納刀

河内國平 (本名:河内道雄)

「河内國平」(かわちくにひら)は、1941年(昭和16年)に刀匠「河内守國助」(かわちのかみくにすけ)の次男として大阪で生まれました。

1966年(昭和41年)に関西大学法学部を卒業後、重要無形文化財保持者である「宮入行平」(みやいりゆきひら)に師事。五箇伝のひとつである相州伝を学びます。

1972年(昭和47年)に独立し、東吉野村平野に鍛刀場を設立。1984年(昭和59年)に同じく重要無形文化財保持者の「隅谷正峯」(すみたにまさみね)に師事し、ここでは備前伝を学んでいます。

1988年(昭和63年)に無鑑査刀匠に認定。同年には、文化庁主催の美術刀剣刀匠技術保存研修会講師や刀職技能訓練講習会講師も務めました。

1995年(平成7年)には相州伝、備前伝に続き、大和伝を修得。東京藝術大学にて特別講義「日本刀製作」を行なったり、NHKドラマ「聖徳太子」において鍛治指導を行なったりするなど活動の場を広げ、2005年(平成17年)に奈良県無形文化財保持者となりました。

國平の作品の(なかご)に刻印される「無玄関」という言葉には、私は他人との間に壁を作らないので、どこからでも日本刀(刀剣)の世界に入って来て欲しいという意味が込められています。

現在は、母校の関西大学で日本刀研究会会長を務め、日本刀(刀剣)文化の普及に取り組んでいます。

河内國平が制作した刀剣

刀 銘 國平製之
刀 銘 國平製之
祝 昭和期
當主福老寿
綿谷喜寿刻印
平成十六年
五月三十一日
國平製之
(棟)泉州佐野川徳平家
鑑定区分
未鑑定
刃長
73
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

大野義光 (本名:吉川三男)

「大野義光」(おおのよしみつ)は、1948年(昭和23年)に新潟県西蒲原郡黒埼町(現新潟市)に生まれました。学生時代より日本刀(刀剣)に関心を持ち、1969年(昭和44年)に「吉原義人」(よしはらよしんど)に師事。日本大学獣医学部に通いながら(1972年に卒業)、1976年(昭和51年)まで義人の下で修行を続けました。

1975年(昭和50年)に新作名刀展に初出品し、奨励賞を受賞。同年に全日本刀匠会に入会するとともに、文化庁の作刀認証を受けています。翌1976年(昭和51年)、新潟に大野義光鍛刀場を設立。1980年(昭和55年)まで連続で努力賞、1981年(昭和56年)に奨励賞、1982年(昭和57年)に高松宮賞を受賞し、全日本刀匠会の正会員となりました。

その後も、同展では1984年(昭和59年)から4年連続で高松宮賞を受賞。1987年(昭和62年)、無鑑査刀匠に認定されています。

義光の作品では、指表(さしおもて)側に見られる半島状の口(においぐち)が特徴の「山鳥毛写」(やまとりげうつし)がよく知られ、「大野丁子」(おおのちょうじ)と呼ばれる華やかな重花丁子乱れも、高く評価されています。

2012年(平成24年)には葛飾区指定無形文化財に認定され、現在に至るまで作刀文化の普及に努めている刀匠です。

大野義光が制作した刀剣

太刀 銘 越後国義光作 (山鳥毛写し)
太刀 銘 越後国義光作 (山鳥毛写し)
越後国義光作
鑑定区分
未鑑定
刃長
78.1
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

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