歴史好きな女性を指す言葉「歴女」。大河ドラマやゲームなどの影響により、戦国武将や幕末志士らに胸ときめかす歴女も多いのではないでしょうか。
「歴女向け歴史ガイド」では、そんな歴女のために、「城」、「城下町」、「史跡」、「宿場町」、「神社」の5つの観点から歴史を紐解きます。「好きな武将ゆかりの地をめぐりたい」、「歴史も観光も楽しみたい」という歴女の方は、ぜひ参考にしてみて下さい。

歴女について

2000年代に入ってから、突如として登場した「歴女」。従来の歴史好きの女性と、歴女と呼ばれる人々の特徴には、実は大きな違いがありました。ここでは、歴女とは何か、彼女達はどういった存在なのかをご紹介します。
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「仏像女子」、「武将萌え」、「城ガール」という言葉があるように、「歴女」と呼ばれるファン・マニアのなかにも、様々なジャンルがあります。彼女達はどこを入口として歴史の世界へアプローチし、どんな楽しみ方をしているのでしょうか。 ここでは、その想いや行動パターンに触れ、歴史を楽しむヒントを探っていきます。自分ならではの視点で歴史にアプローチをして、新たなジャンルを作ってみるのも一興です。
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歴史が好きな女性を歴女と言いますが、歴女の中でも、古代史のロマンを感じられる遺跡「古墳」が好きな女性のことを、「古墳女子」と言います。古墳女子は、丸や四角を組み合わせた形に、かわいさや安らぎを感じており、墳丘や埴輪(はにわ)の形をしたグッズなども人気です。 「古墳女子とは」で、古墳女子について、人気の古墳も併せて見ていきましょう。
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御陵印、御墳印とは

御陵印、御墳印とは

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昨今の仏像ブームにより「仏像が好き」、「お寺めぐりが好き」という女性が急増中。そんな仏像や仏教に惹かれる女性達のことを、「仏像女子」と呼びます。彼女達は、仏像を観ると癒される、または安心した気持ちになるということで、仏像に会うためお寺に足を運んでいます。仏教の伝来から、仏像女子も癒される「アルカイック・スマイル」を持つ仏像について見ていきましょう。
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神社仏閣を参拝した際に、その証しとして授与される「御朱印」(ごしゅいん)。昨今の日本史ブームとパワースポットブームが相乗効果を生み、収集する人達が急増しています。そんな中で、実際に御朱印巡りを行なっていても、そもそも御朱印とはいったいどんな物なのか、また、御朱印を拝受する際のマナーはどのようなことに気を付ければ良いのかなど、疑問に思っている方も多いのではないでしょうか。御朱印の由緒や歴史についてご説明すると共に、御朱印巡りの実状についても解説します。
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近年、若い女性を中心に「〇〇ガール」や「〇〇女子」、「〇女」といった造語が生まれていますが、そのひとつである「城ガール」とは、「お城女子」とも呼ばれるお城が好きな女性のこと。城ガールはフットワークが軽いため、様々なお城を巡り、楽しんでいます。 そんな城ガールの特徴と、人気のお城をご紹介します。
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御城印とは

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歴女におすすめの城

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歴女におすすめの古戦場

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戦国武将と言えば、「織田信長」、「豊臣秀吉」、「徳川家康」の三英傑を思い浮かべる人も多いことでしょう。しかし、戦国時代には三英傑だけでなく、多くの武将が戦乱の時代を鮮烈に生き、足跡を残しました。憧れとなるその生き様は日本人の心に刻まれ、その史跡は多く残されているのです。そんな歴女に人気の戦国武将達を、ゆかりの地や食べ物と共にご紹介していきます。
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江戸時代末期、京都治安維持のために結成された「新撰組」(しんせんぐみ)。新撰組は、「尊皇攘夷思想」(そんのうじょういしそう:天皇を敬い、外国人を打ち払う考え)を持ち、京都で乱暴狼藉を行なっていた、不逞浪士の取り締まりをするために結成されました。この組織のリーダーに「近藤勇」、副長「土方歳三」、隊士「沖田総司」らがいます。 彼らは様々なドラマや小説、漫画やゲームなどの登場人物として取り上げられ、今なお歴史ファンや歴女を魅了してやみません。そんな新撰組と、近藤勇、土方歳三、沖田総司の3人についてご紹介します。
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歴女におすすめの甲冑

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歴女におすすめのお祭り

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歴女におすすめの浮世絵

歴女におすすめの浮世絵

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歴女のためのお城見学ポイント

現在、私達がイメージする日本のお城とは、どんな建造物でしょうか。豪華な天守に立派な石垣に堀、その周囲には家臣や職人が住む城下町が広がる。そんな風景が思い浮かんだのではないでしょうか。実はこれは、「織田信長」が作り上げたと言われているイメージなのです。 ここでは、日本におけるお城の歴史や、「戦国三英傑」による築城についてご紹介します。お城めぐりは、歴女の「聖地巡礼」の中で定番とも言えるイベント。知識が増えれば、お城めぐりがより一層楽しくなること間違いなしです。
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「城郭」(じょうかく)とは、お城のことです。日本には数千ものお城があると言われますが、歴女でも意外と基本的なことを知らずにいるのではないでしょうか。お城にはどんな種類があり、どんな目的で作られたのか。なぜこれだけ多くのお城があるのか。どこから材料を調達して、誰がどのように作ったのか。歴女必見、城郭の基礎知識をご紹介します。
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城主の権威を見せ付ける「天守」は、まさにお城の顔。どれも同じように見えますが、それぞれの城主の思いや考えのもとに造られており、外観が似ることはあっても、そっくり同じ天守は存在しないと言われています。天守の種類や形式を知れば、「築城主」や「時代背景」、「文化」、「風習」など、様々なものが見えてくるのです。 そして、歴女とお城は切っても切り離せない関係にあります。なぜなら、お城と言えば名のある戦国武将達が居住した他、数々の合戦が繰り広げられた舞台でもあるからです。
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「御殿」(ごてん)と言うと、江戸城本丸御殿内にある私邸(大奥)を舞台に繰り広げられた女性達の愛憎ドラマ「大奥」が、歴女にも人気です。大奥に入ると鈴が鳴り、両端に、かしずく女中の間を将軍様以下御台所、側室らが悠然と歩いていく、あの総触れのシーンは大奥の世界観を示すお馴染みの光景。大奥に限らず、御殿は城主の権力の象徴として造られた物であり、どこを観てもため息が出るほど贅を尽くした造りです。現存の御殿は4城ある他、復元された御殿が全国各地に点在。ここでは、歴女なら誰もが憧れる御殿の基礎知識と、日本全国の有名な御殿をご紹介します。
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軍事拠点であるお城には、橋、壁、堀など、すべての構造に様々な工夫が凝らされています。敵軍にとっては突破が難しく、自軍にとって有利に戦を運ぶことができるように考え尽くされたその工夫は、歴女ならずとも思わず唸ってしまうこと間違いなしです。 ここでは、「虎口」(こぐち:城郭や陣営などの要所にある出入り口)の進化に合わせて造られた「馬出」(うまだし:お城の虎口や城門を掩護するために、その前に設ける土塁や石塁)、塀に仕込まれた「狭間」などのお城の工夫や、こうした難攻不落の構造を突破するために編み出された戦術をご紹介します。
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城郭防衛の要となっていた「櫓」(やぐら)や「門」には、先人達の知恵と工夫が詰まっています。櫓と門は切っても切り離せない関係にあり、城の正面玄関となる「大手門」(おおてもん)は、格式と防御力の高さが重要視されていました。江戸時代の城郭には、両脇に石垣を伴い、上層が櫓となった強固な「櫓門」が多く採用されていたことから、その重要性が分かるとのこと。 ここでは、櫓や門が生まれた経緯や、その名称と種類をご紹介します。歴女ならではのこだわりの視点で、個性豊かな櫓・門の隠れた面白さを見付けてみましょう。
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歴女が胸をときめかせるお城の魅力のひとつに、「石垣」の美しさがあります。優美な天守も捨てがたいですが、そびえ立つ石垣の力強さもまた、人を引き付けているのです。いろいろなお城の石垣をよく観てみると、どのお城も石垣の加工の仕方や積み方に、個性があるのに気付くでしょう。面白いのは、石垣に用いられている技術によって、築かれた時代をある程度推測することができること。石垣の構造や見方を知ると、さらに楽しいお城鑑賞となるに違いありません。ここでは、そんなお城の石垣について、詳しくご説明します。
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お城造りの達人達は、敵が侵入するのを防ぐため、入念な防御策を施しました。門や櫓はもちろんのこと、お城の周囲に「堀」を張り巡らせ、さらに土を高く盛って斜面を付けた「土塁」(どるい)を造り上げたのです。土塁と堀はセットで、お城を守る最前線に置かれました。 敵の侵入を防ぐ最強の土塁・堀とはどういう物で、一体誰が築いたのでしょうか。地味に思えて知れば知るほど面白い、土塁・堀の世界。歴女必見のコンテンツです。
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歴女オススメ・武将の史跡めぐり

歴女ブームの火付け役として知られる戦国武将「伊達政宗」。伊達政宗を主人公に据えたゲームが大ヒットしたことで、幅広い年齢層の女性ファンが歴史の世界へ誘われることになり、伊達政宗に魅了される歴女は増え続けています。 伊達家の繁栄をかけて戦国の世を駆け抜けた伊達政宗は、奥州(おうしゅう:現在の東北地方)の覇者となってからも飽くなき野望を抱き続け、天下取りを夢見ていました。今回は、伊達政宗が戦国から江戸時代にかけて拠点地としていた宮城県に伝わる史跡をご紹介します。
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歴女人気の高い戦国武将「上杉謙信」の跡を継ぎ、出羽国置賜郡(でわのくにおきたまぐん:現在の山形県南部置賜郡地方)米沢藩初代藩主となった「上杉景勝」(うえすぎかげかつ)。そして、上杉景勝の右腕として藩政を主導し、米沢藩上杉家を生涯かけて支え続けた人物と言えば「直江兼続」(なおえかねつぐ)です。 上杉謙信の遺志を継ぐ者として語られることの多い直江兼続は、家老でありながら2009年(平成21年)に放映されたNHK大河ドラマ「天地人」の主人公に抜擢され、上杉謙信と同様に歴女から圧倒的な人気を集める戦国武将になりました。今回は、上杉謙信亡きあとの上杉家を守った名将・直江兼続の史跡をご紹介します。
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赤い甲冑を身にまとった勇猛な武将というイメージで、歴女からの人気も高い「真田幸村」(さなだゆきむら)。戦国武将を題材にしたゲームで主要キャラクターにも選ばれていることから、武将ブームの火付け役のひとりとも言える人物です。 真田幸村と言えば、誰もが一度は聞いたことのある名だと思いますが、実は本名は「真田信繁」(さなだのぶしげ)。生前「幸村」という名を名乗ったことはなかったと言われています。しかし、江戸時代を通して多くの作品で描かれていく中で、真田幸村という名が定着していったのです。真田幸村という名が、完全に創作された名前であったのか真偽は定かではありませんが、今回は現代の歴女から親しまれている呼び名の真田幸村で統一させて頂きます。 多くの創作物に描かれ、時代を超えて人々を魅了してきた真田幸村の史跡を見ていきましょう。
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「前田利家」と言えば、派手な長槍を振り回し、「槍の又左」(やりのまたざ)と呼ばれた「かぶき者」として有名な人物。派手好きな長身美男子という風貌でありながら、勇ましい猛将である前田利家に、心を掴まれる歴女も多いはず。血気盛んな青年時代から壮年期まで、前田利家が過ごした町を舞台に、前田利家ゆかりの史跡を巡っていきましょう。
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日本の歴史上、最も出世した人物として語られる「豊臣秀吉」。時代を変えた戦国武将として、「織田信長」、「徳川家康」と共に「戦国三英傑」と称され、農民という低い身分から天下人へと上り詰めた経歴を持つことで、絶大な人気を誇っています。謎に包まれた出自や、物語性を感じる武将人生から、多くの歴女を虜にしてきた天下人。今回は、豊臣秀吉の故郷である愛知と、天下統一を果たした大坂(大阪)に残る豊臣秀吉ゆかりの史跡を見ていきましょう。
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戦国時代を終わらせ、泰平の世となった江戸時代を築いた「徳川家康」。戦国の最終覇者として、歴女からの人気はもちろんのこと、誰もが知る戦国武将のひとりです。そんな徳川家康が、実は幼少期から天下人を目指すまでは、苦難の人生を歩んでいたことをご存じでしょうか。 今回は、江戸幕府300年の礎を築いた将軍・徳川家康のルーツとなった史跡に焦点をあて、天下人への道を歩むきっかけとなった、徳川家康ゆかりの地をご紹介します。
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徳川四天王のひとりで、生涯「徳川家康」を支え続けた「本多忠勝」(ほんだただかつ)。初陣から57回の戦歴のなかで1度も手傷を負わなかったという武勇伝を持ち、戦国最強の武将とも語られている人物です。本多忠勝の猛将ぶりもさることながら、徳川家康に忠義を尽くした重臣という性格が、歴女からの人気が高い理由のひとつ。ここでは、徳川家康に追従して拠点を置いた、東海・関東の本多忠勝ゆかりの史跡を紹介します。
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天下人「豊臣秀吉」にその才を見出され、のちに豊臣政権の五奉行にまで上りつめた「石田三成」(いしだみつなり)は、歴女人気の非常に高い戦国武将のひとりです。武将と言っても石田三成は、武功を挙げることよりも聡明な頭脳を活かし、「太閤検地」(たいこうけんち)などの難易度の高い政務をこなしたことから、知略に長けた生真面目な「智将」として知られています。 石田三成は、主君・豊臣秀吉の右腕として共にあり、豊臣秀吉の死後もなお、豊臣家に忠義を尽くしたという「義」の人物。群雄割拠(ぐんゆうかっきょ:多くの英雄達が各地に勢力を持ち、互いに対立して競うこと)の戦国時代を駆け抜けた石田三成の史跡をご紹介します。
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九州の最大都市、福岡ゆかりの武将として知られる「黒田長政」(くろだながまさ)。父は天才軍師と呼ばれた「黒田孝高」(くろだよしたか)こと通称「黒田官兵衛」(くろだかんべえ)です。 近年では、2014年(平成26年)に放映されたNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」によって、黒田親子が一躍脚光を浴びました。「関ヶ原の戦い」で戦功を挙げたことで、福岡藩初代藩主を務めることとなった黒田長政は、1601年(慶長6年)から約7年の歳月をかけて「福岡城」を築き、城下町を発展させていったのです。 今回は、歴女ならば一度は訪れたい壮大なスケールの福岡城跡を中心に、福岡の基盤を築いた黒田長政の史跡を見ていきます。
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「織田信長」、「豊臣秀吉」、「徳川家康」といった権力者に仕え、戦国の世を渡り歩いた武将「細川忠興」(ほそかわただおき)。細川家と言えば、清和源氏の名門・足利家の支流で、父「細川藤孝/幽斎」(ほそかわふじたか/ゆうさい)は、室町幕府13代将軍「足利義輝」(あしかがよしてる)に幕臣として仕えていました。細川忠興は、文化人としても有名な父の血を受け継ぎ、猛将でありながら優れた教養人として歴史に名を残した人物です。一方で、妻への愛が「深すぎる」武将としても語られてきた細川忠興。「エリート武将」と「危ない夫」という二面性が、歴女の好奇心を掻き立てる存在でもあります。 今回は、強烈な個性で歴女にも人気の高い戦国武将・細川忠興の人物像に迫りながら、ゆかりのある関西と九州の史跡を辿ってみましょう。
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歴女が訪れたい城下町

かつて伏見(現在の京都府京都市伏見区)は、平安貴族が別荘を構える風光明媚な土地として知られていました。「豊臣秀吉」は伏見城を築いて武家の首都として発展させ、「徳川家康」は中継拠点としての基盤づくりに貢献。幕末には「坂本龍馬」をはじめ、勤王の志士達が日本の未来を語り合った拠点です。多くの英雄達にゆかりのある町であると共に、「天下の酒どころ」として全国に名を轟かせている城下町・伏見。今回は、その歴史を振り返りながら、歴女必見の見どころについてご紹介します。
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「姫路城」(現在の兵庫県姫路市)は、安土桃山時代の武将「池田輝政」が築城し、当時のままの天守が現存する名城のひとつです。白鷺が羽を広げたかのような美しい佇まいから、「白鷺城」(しらさぎじょう)とも呼ばれています。歴史的に価値が高いことはもちろん、その佇まいの美しさから、1993年(平成5年)には、「世界遺産」に登録されました。 城下町の歴史はもちろん、姫路藩ゆかりの伝統工芸、姫路城のビューポイントなど、歴女におすすめの姫路の魅力をご紹介します。
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加賀百万石の歴史を、町のあちらこちらに映し出す金沢城下町。歴代藩主の影響によって花開いた、美しい伝統工芸や食文化は、城下町の歴史と共に受け継がれ、現代ではモダンアートの町として名を馳せるまでになりました。金沢は、歴女が心惹かれる趣のある風景はもちろん、一言では語り尽くせない魅力がある城下町。ここでは、多彩な見どころにあふれた金沢城下町をご紹介します。
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白と黒のコントラストが映える松本城(長野県松本市)は、「烏城」(からすじょう)とも呼ばれる美しいお城。現存する5層6階の天守閣は日本最古で、お城好きの歴女からも人気が高い名城のひとつです。現在も、松本城下町には大火の経験から生まれた「なまこ壁」の土蔵が残り、「鉤の手」(かぎのて)や「丁字路」(ていじろ)など、敵の侵入を防ぐ複雑な仕掛けがたくさん。そんな松本城下町の歴史を振り返りながら、歴女必見の温泉や信州蕎麦などのご当地グルメについてご紹介します。
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「水の都」と呼ばれ、日本屈指の商都にまで発展した大阪。その礎を築いた「豊臣秀吉」を、大阪の人々は親しみを込め「太閤はん」と呼びます。 豊臣秀吉が「織田信長」の志を継ぎ、「大坂城」の築城をスタートさせたのは、1583年(天正11年)のこと。この城下町の繁栄を支えたのは水路でした。その後、江戸幕府のもとで水路開発はさらに進み、水運ネットワークの充実が「天下の台所」を生み出したのです。そして、今日の「食い倒れの街」へと繋がりました。 ここでは、天下の台所を支えた水路をテーマに、歴女の視点からその足跡をたどります。
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東北を代表する名城として名高い「鶴ヶ城」(つるがじょう:別名若松城)をシンボルに仰ぎ、繁栄を遂げてきた福島県にある城下町・会津若松。1868年(慶応4年/明治元年)の「戊辰戦争」(ぼしんせんそう)において、「白虎隊」(びゃっこたい)の悲劇を生んだ地としても知られ、歴女はもとより多くの人々が訪れる地です。 そんな会津若松城下町は、ここ数年で、「日本屈指の酒どころ」として熱い視線が注がれるようになりました。会津のお酒は、毎年春に開催されている「全国新酒鑑評会」(ぜんこくしんしゅかんぴょうかい)でも高い評価を得るまでに飛躍したのです。今回は、歴女の視点で会津若松の城下町の歴史を振り返りながら、「酒どころ」会津の魅力を探っていきます。
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1429年から1879年までの450年間、長きに亘って存在した「琉球王国」。その政治・経済・文化の中心地であった「首里城」には、海運王国として栄え育んできた独自の文化が色濃く反映されています。それは建築様式にとどまらず、琉球における様々な文化にも影響を与えたのです。 首里城は、2019年(令和元年)10月に火災が発生し、主要な建物が全焼してしまいましたが、本土では味わうことのできない独特の情緒は、歴女にも大人気でした。今回は、復興に向けた取り組みが注目されている首里城を中心に発展した、琉球王国の歴史と文化についてご紹介します。
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山口県萩市にある萩城下町は、「幕末の風雲児」と呼ばれた「高杉晋作」(たかすぎしんさく)をはじめ、「久坂玄瑞」(くさかげんずい)や「木戸孝允」(きどたかよし:別名・桂小五郎)など、維新を牽引した英傑達の故郷としても広く知られており、幕末好きの歴女にとっては、聖地のひとつになっています。 2015年(平成27年)、「明治日本の産業革命遺産」のひとつとして萩城下町が登録されたことで注目度が高まっており、「萩焼」や「ご当地スイーツ」など、歴女旅の楽しみ方も多彩です。
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「尾張名古屋は城でもつ」と言われるように、愛知県名古屋市の繁栄は名古屋城から始まりました。その城下町は、「清洲越し」という壮大なプロジェクトによって生まれ、日本三大都市へ発展する礎となったのです。 名古屋城の築城を命じた「徳川家康」はもちろん、天下統一を目指した「織田信長」、その遺志を継いだ「豊臣秀吉」。戦国時代のシンボルとも言える「三英傑」(さんえいけつ)は、名古屋にゆかりのある武将として、今も地元の人々から愛され続けています。現在に残る往時の町割、英傑達が若き日々を過ごした場所など、戦国武将好きな歴女にとっても魅力にあふれた城下町です。 ここでは、三英傑・織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の思いを感じながら散策してみたくなる、名古屋の城下町について述べていきます。
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歴女が好きな戦国武将ランキングにおいて、常にトップクラスの人気を誇る「伊達政宗」(だてまさむね)。「東北の雄」(とうほくのゆう)として名を馳せた伊達政宗により、青葉山に「仙台城」(別名青葉城)が築かれたことから、仙台は繁栄の道を歩み始めました。伊達政宗が築いた城下町の姿は、戦時下の仙台空襲によって消えましたが、その後、伊達政宗の思いは地元の人々へと受け継がれ、「杜の都」(もりのみやこ)として蘇っています。仙台城の築城から400年以上の歳月が過ぎた今も、伊達政宗を慕う歴女達がゆかりの地を訪れ、たいへんな賑わいを見せているのです。 今回は、仙台城下町の歴史を振り返りながら、伊達政宗が現在の仙台にもたらしたものについて、歴女ならではの視点でご紹介します。
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偉人を祭った神社

尾張の守護代だった織田氏の一族に生まれ、「天下布武」の旗印のもと天下統一を目指してまい進した「織田信長」。織田信長は苛烈な性格で知られていますが、戦においても政治においても、既存の価値観にとらわれない革新的な考えの持ち主でもありました。ドラマチックな生涯とも相まって、歴女にも人気が高い戦国武将です。 「本能寺の変」によって志半ばでこの世を去った織田信長ですが、その亡骸が見付からなかったことから、織田信長の墓は各地に存在。明治になると、政府によって織田信長を祀る「建織田社」(たけしおりたのやしろ)が建立され、のちに「建勲神社」(たけいさおじんじゃ)の社号が下賜されました。
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愛知県名古屋市中村区にある「豊國神社」(豊国神社)は、農民の家に生まれながら数々の功績を挙げ、ついには天下人にまで登りつめた三英傑のひとり「豊臣秀吉」を主祭神とする神社。豊臣秀吉は、当時としては珍しく「寧々」(ねね)と恋愛結婚をしたことや、織田信長の姪で浅井長政の娘「茶々」(ちゃちゃ:淀殿[よどどの])を側室として迎え入れたことなど、女性関係の逸話が多いことでも有名です。 今回は、豊臣秀吉ゆかりの豊國神社(豊国神社)と、「加藤清正」を祀る熊本県熊本市「加藤神社」の意外な関係、そしてご縁を結びたい歴女必見!「常泉寺」(じょうせんじ)の「むすびの輪」などをご紹介します。
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「応仁の乱」(おうにんのらん)から始まった戦国時代に終止符を打ち、徳川幕府の初代将軍として約260年に及ぶ江戸時代の礎を築いた「徳川家康」。「織田信長」、「豊臣秀吉」と並ぶ「戦国三英傑」と称され、三河国(みかわのくに:現在の愛知県東部)の小大名から天下人となった武勇や知略で、歴女のみならず高い人気を有する武将です。 「織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 座して食らうは 徳の川」と、徳川家康の天下取りを揶揄した狂歌もありますが、幼少期には織田家、その後19歳まで今川家の人質として過ごし、戦国大名となってからも領内の平定や隣国の脅威など、苦労を乗り越えて上り詰めていきました。そして、死後は「東照大権現」(とうしょうだいごんげん)の神号を授けられ、絢爛豪華な「日光東照宮」(にっこうとうしょうぐう)に祀られています。
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数多くの戦国武将が活躍した戦国時代。そして、新しい時代に向けて多くの志士が歴史に名を残した幕末。大きな転換期となったこの2つの時代は、日本史のなかでも圧倒的な熱情と輝きを放っています。昨今の歴女ブームを語る上でも、戦国武将と幕末維新の志士達は欠かせない存在。 今回は、激動の幕末を駆け抜けた偉大な思想家「吉田松陰」(よしだしょういん)と共に、吉田松陰を祭神とする2つの「松陰神社」(しょういんじんじゃ)についてご紹介します。
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「伊達政宗」(だてまさむね)と言えば、独眼竜の異名で知られる戦国時代の大名です。戦国の世に名を馳せ、「豊臣秀吉」や「徳川家康」に仕えながら東北の覇者となったことで知られる伊達政宗は、戦国武将としてのたくましさに加え、隻眼というミステリアスな風貌を併せ持っていたことから、現代でも絶大な人気を誇っています。伊達政宗は、近年の歴女ブームを牽引する中心的人物と言っても過言ではありません。そんな伊達政宗ゆかりの地として名高い宮城県仙台市は、伊達政宗にまつわる神社仏閣が多く存在します。
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2017年(平成29年)に、「続日本100名城」にも選ばれた山形県の米沢城跡。桜の名所としても知られる城跡には、熱狂的な歴女ファンが多い「上杉謙信」(うえすぎけんしん)を祭神として祭る「上杉神社」が鎮座しています。 戦国時代に越後国(えちごのくに:現在の新潟県)を統一し、米沢藩上杉家の礎を築いた上杉謙信。「軍神」と称され、「義」を重んじる名将として語られてきました。 ここでは、上杉謙信ゆかりの聖地であり、米沢市の観光名所でもある上杉神社についてご紹介します。
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「甲斐の虎」(かいのとら)の異名を持ち、勇猛果敢な騎馬隊を率いて「徳川家康」や「上杉謙信」にも怖れられた戦国時代きっての名将「武田信玄」。恰幅のいい肖像画が有名で、猛々しく戦うイメージが強い一方、法律の制定や当時としては珍しい合議制政治の導入など、内政においても手腕を発揮したことで知られ、高い人気を誇る武将です。 また「清和源氏」(せいわげんじ)を祖とする名門「甲斐源氏」の流れをくみ、鎌倉幕府を開いた「源頼朝」(みなもとのよりとも)や室町幕府の足利将軍家とも血縁関係にあったこと、さらには「川中島の戦い」で鎬を削った上杉謙信とのライバル関係など、物語性の高い武将であることも歴女心をくすぐるところ。 そんな武田信玄を祭神として祀る「武田神社」は、武田信玄が本拠地とした山梨県甲府市に鎮座しています。
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「前田利家」は、「織田信長」や「豊臣秀吉」のもとで武功を挙げ、戦国の世にその名を轟かせた名将です。当時では珍しい182cmの高身長で容姿端麗だったと言われている前田利家は、歴女人気が高い武将のひとり。また、前田利家が女性ファンの心を掴む理由に、正室「芳春院」(ほうしゅんいん)こと通称「まつ」との夫婦愛も挙げられます。 2002年(平成14年)には、大河ドラマでも2人の夫婦愛が描かれたことから、共に認知度が高くなりました。そして、加賀藩祖として前田利家が礎を築いた石川県金沢市には、前田利家とまつを祭神として祀る「尾山神社」(おやまじんじゃ)があります。
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兵庫県神戸市にある「湊川神社」(みなとがわじんじゃ)は、鎌倉幕府を滅亡させ、「後醍醐天皇」(ごだいごてんのう)に忠義を尽くして戦い果てた武将、「楠木正成」(くすのきまさしげ)を祀った神社です。南北朝時代を代表する英雄として語られることの多い彼は、猛将でありながら戦術家としても名高く、「南北朝一の知将」とも称されてきました。 時代を超えて多くの偉人達に影響を与え、後世に語り継がれてきた楠木正成は、歴女にとって興味深い存在です。地元では「楠公さん」(なんこうさん)の愛称で親しまれている湊川神社が、どのような歴史的背景で創建されたのか、見どころと合わせてご紹介します。
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伝統の残る宿場町紹介

鳥取県八頭郡智頭町(やずぐんちづちょう)にある「智頭宿」(ちづしゅく)は、因幡街道(いなばかいどう)の宿場町。鳥取県南部に位置し、岡山県との県境に近い山あいにあります。 因幡街道は、播磨国姫路(はりまのくにひめじ:現在の兵庫県姫路)と因幡国鳥取(いなばのくにとっとり:現在の鳥取県鳥取市)を結ぶ街道のこと。また、畿内(きない:山城、大和、河内、和泉、摂津の五ヵ国の総称)と因幡を結ぶ他、瀬戸内海・太平洋側の山陽と日本海側の山陰をつないでいるため、交通の要衝として人や物、文化が往来したと言います。智頭を通ることから「智頭往来」(ちづおうらい)、または鳥取側から見ると都へ向かうので、「上方往来」(かみがたおうらい)とも呼ばれていました。
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福島県下郷町(しもごうまち)にある「大内宿」は、江戸時代に会津(あいづ:現在の福島県西部)の城下と、下野国(しもつけのくに:現在の栃木県)を結ぶ街道「会津西街道」の北の出発点にあたり、会津城下から3番目の宿場町として栄えました。会津西街道は、「下野街道」(しもつけかいどう)とも呼ばれており、総延長は現在の福島県会津若松から、栃木県日光市今市(いまいち)までの約130kmにも及びます。 大内宿は、会津西街道が開通した1640年 (寛永17年)頃に整備され、会津藩をはじめ新発田藩、村上藩、米沢藩などの参勤交代や、商人、旅芸人など、様々な旅人が行き交う交通の要所として重要な役割を果たしていました。つまり、大内宿には歴女の好奇心を刺激する歴史エピソードも多くあると言うことです。福島県南会津郡下郷町に位置する大内宿は、会津鉄道の湯野上温泉駅からシャトルバスで約15分。今なお江戸時代の風情が色濃く残る宿場町・大内宿の魅力をご紹介します。
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1625年(寛永2年)に、「北国街道」(ほっこくかいどう:現在の国道18号旧道で軽井沢と上越市をつなぐ)の宿場として開設された「海野宿」(うんのじゅく)。その一番の魅力は、江戸時代の「旅籠屋造り」(はたごやづくり)の建物と、明治以降の「蚕室造り」(さんしつづくり)の建物が調和した町並みにあり、閑静な佇まいが海野宿の歴史を物語っています。 歴女を自認する人はもちろん、そうでない人も、ぜひ静かに流れる時間に身を任せ、のんびりとその歴史や文化を楽しんでみましょう。
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江戸の日本橋から京都の三条大橋までを結んだ中山道(なかせんどう)の中間にある「奈良井宿」(ならいじゅく:長野県塩尻市)は、江戸時代に多くの旅人や商人、大名行列、幕府の役人などの往来で栄えていた宿場町です。 奈良井宿の見どころは、京都の宇治から江戸城まで、徳川将軍家御用達のお茶を運んだ格式高い「お茶壺道中」の行列。「奈良井千軒」と呼ばれる、江戸時代の面影が残るノスタルジックな町並みを背景に行列が行く様子は、まるで時代絵巻です。 歴史ある建物に囲まれながら、当時の暮らしに思いを馳せ、奈良井宿の郷土料理やお菓子に舌鼓を打ちながら、江戸時代の旅人気分で歩いてみましょう。
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長野県にある「妻籠宿」(つまごじゅく)は、かつての「中山道」(なかせんどう)の江戸と京を結ぶ69次、江戸から数えて42番目の宿場。中山道と「伊那街道」(いなかいどう)が交差する交通の要衝として、本陣が1軒、脇本陣が1軒、「旅籠」(はたご)や茶屋など、旅人が宿泊・休憩をする場所が30軒以上整備され、古くから賑わいをみせていました。 現在、江戸時代末期の町並みがそのまま残る妻籠宿は、世界的に有名なガイドブックやイギリスのBBC放送で紹介されたことから、外国人観光客の間で「サムライの道」と呼ばれるようになり、大人気です。日本のみならず、海外でも人気が高い中山道と妻籠宿の魅力をご紹介します。
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三重県にある「関宿」(せきじゅく)は、江戸・日本橋を起点とした東海道五十三次47番目の宿場町。「東追分」(ひがしおいわけ:木崎)から「西追分」(にしおいわけ:新所)までの約1.8㎞の道のりに、本陣、脇本陣、旅籠、問屋場などの建物が並び、旅の便宜を図っていました。江戸時代以前から交通の要衝として栄え、「鈴鹿関」が置かれていましたが、東海道が整備されることになり、参勤交代や伊勢参りの人びとで一層の賑わいを見せるようになったと言われています。
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福井県若狭町(わかさちょう)にある「熊川宿」(くまがわじゅく)は、若狭で水揚げされた海産物などを京の都まで運ぶ重要なルートに位置する町です。その歴史は古く、安土桃山時代にまで遡ります。 1589年(天正17年)、豊臣秀吉に重用された武将「浅野長政」(あさのながまさ)が若狭小浜の城主となり、交通と軍事の拠点である宿場町としました。商家や問屋、「旅籠」(はたご)などが集まり、江戸時代には1日に1,000頭もの牛馬が行き交うほどの賑わいを見せたと伝わっています。 山あいに開かれた緑豊かな里、熊川宿は全長1㎞余りの街道。そぞろ歩けば、道沿いに「前川」(まえがわ)が続き、流れるせせらぎの音が心地良く旅気分を盛り上げてくれます。その清らかな水は、平成名水百選にも選出。また、左右に並ぶ雪国ならではのベンガラ塗りの商家や土蔵は往時の面影を残し、まるで時代劇の舞台を思わせる風景を今なお留めています。 この土地特有の歴史や伝統を後世に残す人々の活動、その舞台となった価値ある建造物などが一体となって評価され、2008年(平成20年)には、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。食通の歴女が見逃せないおいしい話を紹介していきます。
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幕末、14代将軍「徳川家茂」(とくがわいえもち)のもとに降嫁する「皇女和宮」(こうじょかずのみや)の嫁入り行列が通り、新撰組の前身の浪士隊が江戸から京の都をめざした中山道。69次ある宿場のうち、江戸から数えて43番目にあたるのが、岐阜県中津川市の「馬籠宿」(まごめじゅく)です。ここは、文豪「島崎藤村」ゆかりの地としても知られ、自伝的小説【夜明け前】の舞台になった宿場町でもあります。 江戸時代は多くの人が行き交う街道として利用され、明治以降は忘れ去られた道となっていましたが、多くの文化人が刻んだ歴史と文化はしっかりと受け継がれ、馬籠は世界の旅人が訪れる場所になりました。旅人を惹き付けてやまない馬籠宿、その特徴と人気スポットを、島崎藤村の作品と共にご紹介します。
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