島原の乱
島原の乱
江戸時代、海外とできるだけ交流を持たない、いわゆる「鎖国」(さこく)が行なわれていました。同時に、江戸幕府より厳しく取り締まりを受けていたのがキリスト教です。「島原の乱」(しまばらのらん)は、そんな江戸時代においてキリシタンが反乱を起こす形で始まります。
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島原の乱の概要

島原の乱は、キリシタンが迫害されていた江戸時代初期に、肥前国(ひぜんのくに:現在の対馬市壱岐市を除く長崎県、及び佐賀県)の島原半島と、肥後国(ひごのくに:現在の熊本県)の天草(あまくさ)諸島の領民によって起きた大規模な一揆です。

徳川秀忠

徳川秀忠

そもそも、キリシタンの迫害が厳しくなったのは1612年(慶長17年)のこと。徳川家の江戸幕府2代将軍である秀忠(ひでただ)が「禁教令」(きんきょうれい)と呼ばれるキリスト教信仰禁止令を敷いたことが始まりでした。もともと、天草はキリシタン大名であった小西氏によって治められていましたが、「関ヶ原の戦い」で領主の座を奪われてしまいます。

小西氏の代わりに天草の領主になったのが、肥前国唐津藩(からつはん:現在の佐賀県唐津市)の藩主であった「寺沢広高」(てらざわひろたか)。唐津の飛び地として天草を与えられた広高は、本来の2倍もの年貢を、領民から搾り取るようになったのです。

そして、島原半島が属する松倉家(まつくらけ)領の島原藩(現在の長崎県島原市)でも同様に、年貢による重税が課されていました。キリシタンが多くいた両地における禁教令と無慈悲な統治。島原・天草の領民達に限界が訪れるのは時間の問題でした。

そんな中、1614年(慶長19年)に天草からマカオに追放されたママコス(ママコフ)神父の言葉を、人々は思い出します。神父は、25年後に16歳の希望が現れることを言い残していたのです。

天草四郎

天草四郎

そして、人々の前に現れたのが、「天草四郎時貞」(あまくさしろうときさだ)。四郎の本名は「益田四郎」(ますだしろう)で、その洗礼名は当初は「ジェロニモ」、島原の乱のときには「フランシスコ」と言いました。キリスト教の迫害と、生活を困窮させる年貢、そして大凶作、何もかもが悪い方向に向かっていた当時の島原において、天草四郎はまさに希望の光だったのです。

そして1637年(寛永14年)、ついに島原の人々を怒りの頂点へと導く事件が起きます。年貢を納められなかったと言う家の女性が寒い冬の川で、さらし者として殺されたのです。しかも、女性は子を身ごもっていました。このことがきっかけとなり、天草四郎を総大将に民衆が立ち上がることとなったのです。

島原城」(しまばらじょう:現在の島原市城内)を陥落させた四郎らは「富岡城」(とみおかじょう:現在の熊本県天草郡)へと進軍。そして、「原城」(はらじょう/はるのじょう:現在の長崎県南島原市)に立てこもります。

原城での籠城戦

原城での籠城戦

原城に集まった民衆の数は、2万7,000人とも3万7,000人とも伝えられていますが、この籠城戦は長くは続きませんでした。快進撃を続けた四郎率いる民衆軍に対して危機感を覚えた幕府側は、12万人もの大軍を集めて出陣させたのです。

あっと言う間に、幕府側の討伐軍に包囲された原城。幕府側も降伏するようにと民衆軍を説得しますが、その呼びかけに答えることはありません。

結局3ヵ月間、原城に立てこもった民衆軍でしたが、討伐軍に包囲されてから、わずか一夜ですべてが終了。まだ16歳だった四郎を含め、籠城していた民衆達が処刑されたのです。日本でも最大規模と言われる島原の乱は今も悲劇の歴史として伝えられています。

島原の乱の戦場跡

島原城

島原城

島原の乱では、島原城や富岡城、原城などが戦場となりましたが、その中でも有名なのが、天草四郎と民衆達が最期を迎えた「原城跡」(はらじょうあと)です。島鉄バス「原城前」(はらじょうまえ)のバス停より徒歩10~15分ほどの場所。堀や大手門跡がある他、総大将を務めた悲劇の人・天草四郎の像も建っており、春には桜が彩ります。

なお島原周辺には、天草四郎や島原の乱に関連する施設がいくつもありますが、四郎最期の地であった原城に近い場所にあるのが「南島原市有馬キリシタン遺産記念館」。

世界文化遺産に指定された原城跡について知ることができるだけでなく、キリシタン弾圧の歴史など、当時の状況も学習可能。島鉄バス「役場前」(やくばまえ)より、徒歩15分の場所にあるスポットです。

歴史上の人物が活躍した合戦をご紹介!

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  • 原城跡です。
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  • 原城石標です。
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  • 原城の城壁は取り壊され、石は島原城に使用されています。
    原城の城壁は取り壊され、石は島原城に使…
  • 城壁で使われていた石です。
    城壁で使われていた石です。
  • 島原の乱で防衛のため、掘られた空濠です。
    島原の乱で防衛のため、掘られた空濠です…
  • 天草四郎の像です。
    天草四郎の像です。
  • 原城跡の案内板です。
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  • 原城跡にある3体の石像です。
    原城跡にある3体の石像です。
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「原城跡」施設情報

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所在地 〒859-2414
長崎県南島原市南有馬町丁
電話番号 050-3381-5032
交通アクセス [自動車]
松島有料道路「合津IC」から19.6km
[バス]
島鉄バス「原城前」のバス停より徒歩10~15分

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駐車場 有り
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