西南戦争
西南戦争
「西南戦争」は、1877年(明治10年)2月15日~9月24日に起こった国内最後の内戦です。明治維新の立役者のひとり「西郷隆盛」を総大将に、「薩摩軍」と新政府軍が争いました。かつて西南戦争が繰り広げられた鹿児島県鹿児島市の古戦場西南戦争薩軍本営跡をご紹介します。
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西南戦争の概要

西郷隆盛と明治維新

西郷隆盛

西郷隆盛

薩摩藩」(現在の鹿児島県)の下級武士だった「西郷隆盛」は、藩主「島津斉彬」(しまづなりあきら)に見出され、江戸へと足を運ぶようになります。

江戸幕府倒幕の機運が高まった1866年(慶応2年)に、薩摩藩の代表として「長州藩」(現在の山口県)と会見。

坂本龍馬」らの仲介のもと「薩長同盟」を結び、江戸幕府を倒幕へと追い込みました。

江戸幕府15代将軍「徳川慶喜」(とくがわよしのぶ)が天皇に政権を返上した「大政奉還」(たいせいほうかん)のあと、薩長(薩摩藩・長州藩)や「岩倉具視」(いわくらともみ)らが中心となり、徳川家が政治に関与しないよう「王政復古の大号令」を発布。天皇を中心とする新政府が樹立されました。

これに対し、辞官や納地を不服とした徳川慶喜は、旧幕府軍として挙兵。1868年(慶応4年/明治元年)~1869年(明治2年)旧幕府軍と新政府軍による「戊辰戦争」(ぼしんせんそう)が勃発します。

西郷隆盛は、新政府軍の参謀となり采配を振り、薩摩軍は新政府軍に大勝利をもたらしました。そして、新政府軍による江戸城総攻撃は、西郷隆盛と「勝海舟」の会談により取り止めとなり、「江戸城無血開城」が実現したのです。江戸城無血開城は、世界でも稀にみる戦乱の平和的解決として評価されています。

西郷隆盛は、明治新政府でも参議となり、様々な近代化政策を打ち出すなど、明治維新の立役者として活躍。西郷隆盛がいなければ、明治維新は成しえなかったとまで言われています。

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征韓論で下野

江戸幕府と「李氏朝鮮」(りしちょうせん:現在の朝鮮半島)は、両国共に「鎖国政策」(さこくせいさく:外国との通行、貿易を禁止、または制限する政策)を布くなかでも、国交がありました。明治政府は、李氏朝鮮に対して、江戸幕府同様に明治政府とも国交を求める親書を送りましたが、李氏朝鮮は頑なに拒絶。明治政府を日本の新政府と認めない意思を示していました。

そこで「江藤新平」(えとうしんぺい)や「板垣退助」(いたがきたいすけ)らは、武力で開国を迫る「征韓論」(せいかんろん)を主張します。この主張の背景には、明治維新により多くの特権を奪われた武士の不満を国外へそらせるという目的もありました。西郷隆盛は自らが朝鮮に赴き、平和的に開国要求を行なうと主張。1873年(明治6年)10月、閣議において西郷隆盛の朝鮮派遣が決定します。

岩倉具視

岩倉具視

しかし、西郷隆盛の朝鮮派遣に反対したのが、欧米視察を終えて帰国した岩倉具視や「大久保利通」(おおくぼとしみち)、「木戸孝允」(きどたかよし)です。

彼らは、万一、西郷隆盛が殺される事態になれば戦争になりかねないこと、戦争になった場合、日本の軍事力では負ける可能性が高いこと、今は国内の政治を優先させるべきという観点から、征韓論に異議を唱えます。そしてついには、決定していた朝鮮派遣までも中止となるのです。

「明治6年の政変」と呼ばれるこの事件により、西郷隆盛や江藤新平、板垣退助は明治政府を去ることになりました。明治政府で影響力のあった3人が辞めたことにより、同調して辞職する官僚と軍人が続出。その数、約600人にも上ったと言われています。

征韓論の賛否は、新政府への不信感を生むきっかけとなり「西南戦争」の火種になりました。

歴史上の人物が活躍した西南戦争をご紹介!

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西南戦争

国内で相次ぐ士族の反乱

明治政府を去った西郷隆盛は、郷里の鹿児島に戻ったのち、後進の育成に努めます。1873年(明治6年)には私学校を開き、若者達に「文・武・農」を教え、人材育成、軍事訓練に励みました。しかし、征韓論に敗れた者のなかには、主張を通そうと新政府に楯突く者も現れます。

1874年(明治7年)には、不満が爆発した佐賀藩(現在の佐賀県長崎県の一部)の士族が江藤新平を担ぎ「佐賀の乱」を蜂起。江藤新平は裁判により処刑が決まり、晒し首となりました。また、1876年(明治9年)熊本では「神風連の乱」(しんぷうれんのらん)、福岡では「秋月の乱」など、佐賀の乱と同様に不平士族による明治政府への反乱が相次ぎました。

しかし、西郷隆盛は相次ぐ士族の反乱に加担することなく、後進育成に注力。西郷隆盛が作った私学校は鹿児島県の支援もあり、どんどん勢力を増大して行きました。ついには、私学校出身者が県政を牛耳るようになり、新政府は鹿児島県を警戒せざるを得ない状況に発展していきます。

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西南戦争勃発

西南戦争の直接のきっかけは、1877年(明治10年)1月29日、西郷隆盛の求心力と鹿児島県の軍事力を恐れた明治政府が、鹿児島県内にあった陸軍の弾薬庫から火薬や弾薬を運び出したこと。加えて、約20名の警察官を密偵として鹿児島県に潜入させたのです。

明治政府の仕打ちに、血気盛んな私学校の若者達は激昂。弾薬庫を襲撃し、武器を強奪してしまいます。それでもまだ、西郷隆盛は積極的に反乱を起こそうとしませんでした。江戸無血開城の立て役者。血を流す戦ではなく、平和的に解決することを望んでいたのです。

しかし、明治政府が西郷隆盛の暗殺を計画しているという噂が流れ、西郷隆盛の仲間や不平士族、私学校の生徒から出兵論が巻き起こります。もはや衝突は避けられないと悟った西郷隆盛は、「おいの身体は、お前達に差し上げもんそ」と述べ、仲間の期待に応えるため挙兵したのです。

西郷隆盛の座右の銘は「敬天愛人」(けいてんあいじん)。天を敬い、人を愛することを説くこの言葉に、自分を慕う人のために尽くして天命を迎える、西郷隆盛の覚悟が表現されているかのようです。

西南戦争の攻防

熊本城

熊本城

西南戦争は、鹿児島県はもとより熊本県宮崎県大分県など九州各県が戦乱の舞台となりました。

まず、1877年(明治10年)2月15日、薩摩軍が鹿児島県を出発し、1877年(明治10年)2月21日には「熊本城」(現在の熊本県熊本市)を包囲します。

難攻不落とうたわれた熊本城。薩摩軍はなかなか落とすことができません。鉄壁の守備に加え、新政府は絶え間なく援軍を送り続けたのです。

そこで、薩摩軍は作戦を変更し、熊本城へ物資等を届けるための補給路「田原坂」(たばるざか)を狙います。新政府軍に比べて、軍事力も兵士の数も圧倒的に劣る薩摩軍でしたが、田原坂では善戦。攻防は17日間も続き、1日320,000発もの弾雨が降り注いだと言います。

薩摩軍に手を焼いた新政府軍は、「会津藩」(現在の福島県)出身者が中心となった警察部隊「抜刀隊」(ばっとうたい)を結成。会津藩は、幕末に薩長連合軍に滅ぼされた経緯があり、薩摩軍に遺恨がありました。

薩摩軍に押されていた政府軍ですが、抜刀隊投入により形勢逆転。1877年(明治10年)3月20日、西南戦争中で一番の激戦とされる田原坂における戦いは新政府軍に軍配が上がり、薩摩軍は次第に追い詰められていきます。

1877年(明治10年)9月1日、ついに西郷隆盛率いる薩摩軍は鹿児島に戻り、市内の「城山」(しろやま)を占拠しました。鹿児島の住民は薩摩軍に協力的だったため、一時薩摩軍が盛り返したかと思われましたが、新政府軍の軍事力にはかないません。

1877年(明治10年)9月6日には、新政府軍が城山を包囲。薩摩軍300人程度に対し、政府軍は70,000人もの兵で応戦したと言われています。そしてついに、1877年(明治10年)9月24日、西郷隆盛は「別府晋介」(べっぷしんすけ)の介錯により自刃。西南戦争は、明治政府樹立に大きく貢献した西郷隆盛の死により幕を閉じました。「明治天皇」は西郷隆盛の死に涙したと言います。

新政府軍、薩摩軍の死者は合わせて10,000を超え、国家予算も大幅に消費。明治政府にとって大きな痛手となりましたが、西南戦争以降は武士による反乱も落ち着き、日本は近代国家への道を突き進むこととなったのです。

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西南戦争の古戦場

西南戦争において戦場となったのは、鹿児島県を中心に熊本県や宮崎県、大分県など九州の広範囲に亘ります。各県に残った西南戦争の資料や史跡を見ていきましょう。

鹿児島県

西郷南洲顕彰館

西郷南洲顕彰館

鹿児島県鹿児島市には、西南戦争にまつわる史跡が多く遺っています。

西南戦争薩軍本営跡」や「西郷隆盛洞窟」、「西郷隆盛終焉の地」は、戦争を生々しく感じる場所。西郷隆盛が創設した「私学校跡」には、石垣に多くの銃弾が打ち込まれた跡が残り、戦いの壮絶さを物語ります。

また、西南戦争や西郷隆盛について多くの資料が展示されている「西郷南洲顕彰館」(さいごうなんしゅうけんしょうかん)も必見。

鹿児島市内にある西南戦争ゆかりの地は、市電やバスで巡ることができます。

「石垣」をはじめ、歴女に人気の「城」、「城下町」、「史跡」、「宿場町」、「神社」についてご紹介します。

熊本県

弾痕が残る蔵

弾痕が残る蔵

西南戦争において、一番の激戦地と言える熊本県。

熊本市北区にある田原坂には、弾痕が残る蔵が復元されています。

「熊本市田原坂西南戦争資料館」では、西南戦争で実際に使われた銃や弾などの貴重な資料を展示。

JR鹿児島本線「田原坂駅」から車で約6分、九州自動車道「植木IC」からは車で約15分です。

宮崎県

宮崎県延岡市にある「西郷隆盛宿陣跡資料館」(さいごうたかもりしゅくじんあとしりょうかん)は、「和田越の決戦」で大敗した薩摩軍が立ち寄った家屋です。資料館には西郷隆盛の遺品や戦争資料を展示し、軍議の模様を再現した部屋も見応えたっぷりです。東九州自動車道「北川IC」から車で約5分です。

大分県

臼杵城

臼杵城

大分県臼杵市の「臼杵城」(うすきじょう)では、薩摩軍と新政府軍による激しい攻防戦が繰り広げられました。

臼杵の旧士族達は「臼杵勤王隊」(うすききんのうたい)を結成し、新政府軍に加勢。警視隊と共に薩摩軍に立ち向かいますが、薩摩軍が勝利し、臼杵城は落城となります。

現在、公園として整備されている臼杵城跡には、戦死した臼杵勤王隊を祀る碑が建てられています。JR日豊本線「臼杵駅」より徒歩10分です。

「西南戦争薩軍本営跡」施設情報

「西南戦争薩軍本営跡」の施設情報です。「この施設の詳細を見る」ボタンからより詳しい投稿情報をご確認頂けます。

所在地 〒892-0853
鹿児島県鹿児島市城山町21-6
交通アクセス 鹿児島市電第一期線「市役所前駅」下車 徒歩10分

交通アクセス情報を見る

公式サイト -

西南戦争薩軍本営跡のアクセス

西南戦争薩軍本営跡
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西南戦争薩軍本営跡は、城山公園内にあります。
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西南戦争薩軍本営跡の付近の様子です。
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