野田城の戦い
野田城の戦い
「野田城の戦い」は、現在の愛知県新城市(しんしろし)豊島にあった「野田城」をめぐって、1573年(元亀4年)1~2月の1ヵ月間にわたり、「武田信玄」率いる武田軍と、「菅沼定盈」(すがぬまさだみつ)が率いる徳川軍の間で起きた戦いです。武田軍による「西上作戦」(せいじょうさくせん)の終盤戦とも位置付けられている戦いで武田軍は勝利しますが、この戦いで武田信玄の病気が悪化。武田信玄にとって、生涯最後の戦いとなりました。かつて野田城の戦いが繰り広げられた愛知県新城市の古戦場野田城跡をご紹介します。
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野田城の戦いの概要

野田城の概要

野田城は、愛知県新城市豊島にあった城で、「菅沼定則」(すがぬまさだのり)の居城として、1505年(永正2年)に築城されました。別名「根古屋城」(ねごやじょう)、または「三河野田城」と呼ばれています。本宮山麓の丘陵地に建つ小さな城で、「三河物語」では「藪のうちに小城あり」とも評されています。

野田城は、本丸、二の丸、三の丸、廓、侍屋敷が直線状に連なった構造(連郭式)で、東西両端は谷になっており、川を堰き止めて外堀にしています。この地形と構造が、のちの戦において、武田軍の攻撃を防ぐ大きな役割を果たすことになります。

武田信玄による西上作戦

三方ヶ原の戦い

三方ヶ原の戦い

1572年(元亀3年)9月、武田信玄は上洛を目指し、西上作戦(甲斐の武田軍による遠征)を発動。武田信玄率いる武田軍本隊が、「徳川家康」の所領である遠江及び三河に攻め込みます。

同年12月、武田信玄は「三方ヶ原の戦い」で徳川家康を撃破。遠江国の形部村に滞在し、年を越した武田信玄は、翌年1月11日に三河へ侵攻し、野田城を包囲しました。

徳川方は、先の三方ヶ原の戦いで敗戦し、援軍を出す余裕はありません。援軍のない中で、野田城城主の菅沼定盈は、500あまりの兵とともに野田城に立て籠もり、武田軍の攻撃に備えることになりました。

野田城開城降伏

野田城城主・菅沼定盈は、500余りの兵と共に野田城に立て籠もり、30,000の武田軍の攻撃に粘り強く耐え抜きます。恵まれた地形を十分に活かした野田城の構造を前に、武田軍は攻めあぐねていました。

武田信玄は、甲斐から金山掘りを呼び寄せて地下道を掘り、水の供給を断つ手段にでます。野田城は、水を断たれたうえ、30,000の軍勢に城を取り囲まれました。

遅れて徳川家康が5,000の援軍を率いて到着しますが、武田軍に阻まれて加勢することができません。野田城に立て籠もった菅沼定盈は、1ヵ月ほど堪えましたが、兵を助命することを条件に、ついに降伏を決意。野田城は約1ヵ月の籠城を経て、2月16日に開城、降伏となり、城主・菅沼定盈は、捕虜として武田軍に連行されることになりました。

武田信玄最後の戦となった「野田城攻め」

武田信玄

武田信玄

こうして野田城は開城しましたが、武田信玄の病状が悪化したことにより、武田軍はこれより先の侵攻を諦め、甲斐へと引き返します。

しかし、その道中、武田信玄が病没したことにより、この野田城の戦いが、武田信玄の最後の戦となったのです。

ただし、武田信玄の死因については諸説あり、徳川家の家伝「松平記」では、野田城の戦いで城を包囲した際、城内から流れてくる「村松芳休」(ほうきゅう)の笛の音に、武田信玄が聞き惚れていたところを狙撃され、その傷が原因で亡くなったと記されています。

同年3月10日、徳川家と武田家の人質交換により菅沼定盈が解放されると、菅沼定盈は再び野田城の城主に納まりました。武田軍に捕らわれても、徳川家康に引くことなく仕え続けた功績が高く評価され、菅沼氏は、徳川政権下において厚遇されることになったのです。

野田城の戦いの古戦場

野田城跡

井伊直虎

井伊直虎

「野田城跡」は、井伊直虎を題材にしたNHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」のなかで、武田信玄の狙撃シーンで登場するなど、ドラマゆかりの地でもあります。また、野田城における武田信玄狙撃説をベースにして、黒澤明監督の映画「影武者」が生まれたことでも有名です。

現在の野田城跡には、「野田城址」の石碑、土塁の一部、堀の跡、また武田信玄が撃たれたとする場所の案内板などが残っており、城跡を自由に散策することが可能です。

野田城跡から歩いて約2分の場所にある「法性寺」(ほっしょうじ)の山門は、野田城の門を移築した物です。門をくぐると「野田城戦死病没者慰霊供養塔」が立っており、境内の左手にある石段を登ると、石祠と武田信玄が狙撃された場所と書かれた案内板があります。

アクセス方法は、新東名高速道路「新城IC」から車で約15分、JR飯田線「野田城駅」から徒歩約10分です。

新城市設楽原歴史資料館

新城市設楽原歴史資料館

新城市設楽原歴史資料館

「新城市設楽原歴史資料館」は、野田城跡から車で約15分の新城市竹広にあり、野田城の模型や地図などの資料が展示されている資料館です。野田城の戦いの他、「設楽原の戦い」の資料や火縄銃なども展示されています。

館内には、野田城の戦いの狙撃で使用したとされる鉄砲が展示されており、長さ105cm、重さ11kg、口径20mmの鉄砲で、鉄砲の木部は失われて銃身のみになっています。

この鉄砲は、日本に残っている火縄銃のうちで、最も古い銃のひとつとされていますが、野田城の戦い当時の物だという確証はありません。しかし、地元では先祖代々銃撃説が伝承されており、野田城の模型や地図などの資料とともに大切に保管されています。

道の駅 もっくる新城

もっくる新城

もっくる新城

新城市設楽原歴史資料館から車で約3分、新東名高速道路・新城IC近くにあるのは「道の駅 もっくる新城」。ここは、かつて伊那街道「山の湊」として栄えた交通の要衝でもあり、現在でも多くの観光客が訪れています。

道の駅内では、地元野菜で作ったお惣菜バイキングやジビエ料理「ししラーメン」などが提供され、食を通して奥三河の歴史や文化に触れることができます。

また、開湯1300年の歴史を有する湯谷温泉の湯を使用した足湯や、様々な催事も開催されており、奥三河の魅力を存分に味わえるスポットです。

「野田城跡」施設情報

「野田城跡」の施設情報です。「この施設の詳細を見る」ボタンからより詳しい投稿情報をご確認頂けます。

所在地 〒441-1345
愛知県新城市豊島本城
電話番号 0536-23-1111
交通アクセス 「野田城駅」下車 徒歩10分

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駐車場 無し
入場料 無料
公式サイト -

野田城跡のアクセス

野田城跡
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野田城跡の写真一覧

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野田城跡の石碑です。
野田城跡の石碑です。
野田城の土橋です。
野田城の土橋です。
野田城の空堀です。
野田城の空堀です。
武田信玄が狙撃されたと伝わる場所です。
武田信玄が狙撃されたと伝わる場所です。
野田城跡にある野田城稲荷です。
野田城跡にある野田城稲荷です。
野田城跡の案内板です。
野田城跡の案内板です。
野田城跡にある井戸です。
野田城跡にある井戸です。
野田城周辺の様子です。
野田城周辺の様子です。
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