藤原仲麻呂の乱
藤原仲麻呂の乱
「藤原仲麻呂の乱」は、764年(天平宝字8年)、「孝謙上皇」(こうけんじょうこう)・「道鏡」(どうきょう)と対立していた「藤原仲麻呂」(ふじわらのなかまろ)が、政権を奪うべく起こした奈良時代きっての大クーデターです。しかし、クーデターは失敗し、仲麻呂は琵琶湖西岸の乙女ヶ池(滋賀県高島市勝野)で捕らえられ、処刑されました。
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藤原仲麻呂の乱の概要

藤原仲麻呂

藤原仲麻呂

藤原仲麻呂は、「藤原不比等」(ふじわらのふひと)の長男で藤原南家(なんけ)の祖「藤原武智麻呂」(ふじわらのむちまろ)の次男という、エリート貴族に生まれました。

749年(天平勝宝元年)7月に「聖武天皇」(しょうむてんのう)が譲位し、娘の「孝謙天皇」(こうけんてんのう)が即位すると、聡明な仲麻呂は藤原氏出身の叔母「光明皇太后」(こうみょうこうごう)と共に、政治の実権を握るようになります。

756年(天平勝宝8年)、聖武上皇が亡くなり、遺言により「天武天皇」(てんむてんのう)の孫「道祖王」(ふなどおう)が皇太子になりました。

しかし、道祖王は聖武上皇の喪中に女官と密通したことを咎められて、翌757年(天平勝宝9年)3月に皇太子を廃されます。そこで、仲麻呂の推薦で次の皇太子に立てられたのが「大炊王」(おおいおう)こと、のちの「淳仁天皇」(じゅんにんてんのう)です。実は大炊王は、仲麻呂の早世した長男の未亡人を妻としており、仲麻呂の邸に住まう身内同然の人物でした。

そんな仲麻呂の台頭を良く思わない「橘奈良麻呂」(たちばなのならまろ)は、廃太子(はいたいし:王位継承者が廃されること)の際、天武天皇の孫にあたる皇族を擁立する計画を立てますが、757年(天平勝宝9年)6月、密告により企てが発覚。関係者は捕らえられ、数百名が処刑・配流となる大事件となりました(橘奈良麻呂の乱)。

奈良麻呂の企てを事前に防ぐことにより、仲麻呂はますます専横(せんおう:わがままな振舞い)を強め、翌758年(天平宝字2年)8月には大炊王を即位させて淳仁天皇とすることに成功。760年(天平宝字4年)1月、仲麻呂は太師(たいし:太政大臣の唐風名)に任じられ、位人臣(くらいじんしん:臣下の中で最高の地位)を極めます。

孝謙上皇・道鏡との対立

孝謙上皇・道鏡との対立

しかし、同年6月、仲麻呂の大きな後ろ盾だった光明皇太后が死去。さらに、この頃病気がちとなった孝謙上皇は、祈祷僧・道鏡をそばに置き、寵愛するようになります。

仲麻呂は、淳仁天皇を通じて孝謙上皇に道鏡との関係を諫め(いさめ:忠告)させましたが、かえって孝謙上皇の怒りを買い、孝謙上皇は淳仁天皇の政治における重要事の決裁権を取り上げようとしました。

こうして「孝謙上皇・道鏡」対「仲麻呂・淳仁天皇」の対立が深まり、仲麻呂はクーデターを決意。764年(天平宝字8年)9月、仲麻呂は諸国の兵士を集めて教練する際に、1国あたり20人の定員を600人に変更する動員令を出そうとします。つまり、600人×国数=数千人規模の軍勢を手に入れようしたのです。

しかし、この動員令は密告により事前に露見。孝謙上皇は先手を打ち、淳仁天皇から皇権の発動に必要な駅鈴(えきれい:律令制で駅馬を利用するときに必要な鈴)と御璽(ぎょじ:天皇の印鑑)を奪い、仲麻呂一族の官位を剥奪しました。

平城京を脱出した仲麻呂は、息子「藤原辛加知」(ふじわらのしかち)が国守を務める越前国(現在の福井県)に向かおうと、琵琶湖西岸を北上しますが、朝廷軍は琵琶湖東岸から先回りして辛加知を殺害し、越前の関所である愛発関(あらちのせき)を固めてしまいました。

仲麻呂は行く手を阻まれ退却し、近江国高島郡の勝野(乙女ヶ池)で最後の戦いに敗れます。進退窮まった仲麻呂は舟を出し湖上に逃れようとしますが、捕らえられて斬首。仲麻呂の一族郎党34人も勝野で処刑されます。こうしてわずか1週間で、藤原仲麻呂の乱は幕を閉じたのでした。

藤原仲麻呂の乱の戦場跡

乙女ヶ池

乙女ヶ池

藤原仲麻呂の乱最後の戦場となった乙女ヶ池へは、JR湖西線「近江高島」駅下車、徒歩約5分。

乙女ヶ池は琵琶湖から分かれた内湖ですが、当時は琵琶湖の水面が乙女ヶ池の西の山麓地帯まで拡がっていたと考えられています。

当時の戦乱がうそのように、静かな公園です。藤原仲麻呂を悼む石碑などはありませんが、乙女ヶ池の歴史を記した解説文を読むことができます。

「乙女ヶ池」 観光・案内サイトのご紹介

乙女ヶ池写真一覧

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  • 乙女ヶ池と太鼓橋です。
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  • 乙女ヶ池の中心あたりに太鼓橋が架かっています。
    乙女ヶ池の中心あたりに太鼓橋が架かって…
  • 乙女ヶ池は釣り人に人気のスポットです。
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  • 淡水真珠の養殖場にもなりました。
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  • 太鼓橋です。
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  • 乙女ヶ池の案内図です。
    乙女ヶ池の案内図です。
  • 乙女ヶ池の看板です。
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  • 大溝城の外濠として利用されていた池でもあります。
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「乙女ヶ池」施設情報

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所在地 〒520-1121
滋賀県高島市勝野3061-1
電話番号 0740-33-7101
交通アクセス 「近江高島駅」下車 徒歩5分

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駐車場 有り
入場料 無料
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