三木合戦
三木合戦
「三木合戦」(みきかっせん)は、1578年(天正6年)~1580年(天正8年)、「三木城」(現在の兵庫県三木市)を舞台に、織田方の「羽柴秀吉」(のちの「豊臣秀吉」)と、毛利方の「別所長治」(べっしょながはる)が戦った合戦です。羽柴秀吉軍は、難攻不落の三木城を「兵糧攻め」で攻撃。長期籠城の末、兵糧が尽きた別所長治は三木城を開城。織田方の羽柴秀吉軍が勝利しました。城内で多数の餓死者を出したこの戦いは、「三木の干殺し」(みきのひごろし)とも言われています。かつて三木合戦が繰り広げられた兵庫県三木市の古戦場三木城跡をご紹介します。
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三木合戦の概要

合戦の背景

羽柴秀吉(豊臣秀吉)

羽柴秀吉(豊臣秀吉)

天下統一を目指す「織田信長」は、中国地方の雄・毛利氏を討つため、羽柴秀吉を総大将として播磨への侵攻を開始します。

1577年(天正5年)5月、中播磨の「小寺政職」(こでらまさもと)が織田方に付くことを決めると、これに呼応し多くの播磨の武将が織田方に付くことを表明。同年10月、羽柴秀吉軍は、播磨の全域を一旦は制圧します。

ところが、1578年(天正6年)、播磨の大名家の筆頭格である別所長治が反旗を翻し、離反。別所氏の影響下にあった東播磨の勢力も同調し、加えて浄土真宗の門徒を抱える三木氏や宇野氏らも別所氏を支援し、情勢は一変します。

別所長治を中心とする播磨国の大名達は、毛利氏の庇護下にあった前将軍「足利義昭」から毛利方に加勢するよう要請を受けたことや、織田軍が播磨の赤松氏を攻撃したことなどを理由に、織田氏へ反旗を翻し、毛利方に寝返ったと言われています。

三木合戦の開戦

別所長治

別所長治

別所長治らの離反が明らかになると、1578年(天正6年)、羽柴秀吉軍は三木城を包囲し、三木合戦が開戦します。

別所長治は、浄土真宗の門徒など東播磨一帯から約7,500人を集めて籠城。これに対し羽柴秀吉は、軍師の竹中半兵衛が提言したとされる奇策・兵糧攻めを開始します。

羽柴秀吉軍は三木城の北側に、40数ヵ所にも及ぶ「付城」(つけじろ:攻撃の拠点として敵城の近くに築いた城)を構築。さらに、付城の間にはや柵などを設置。これによって、三木城への食糧の補給は完全に絶たれることとなりました。

三木城の別所軍は、1年10ヵ月にわたって籠城を余儀なくされることとなり、城内は数千人の餓死者が出るほど地獄と化します。

1580年(天正8年)1月、織田軍はすべての支城を落とし、三木城への最終攻勢を開始します。同年1月15日、城内の兵糧がいよいよ尽き、飢えに苦しむ城兵や領民の様子を目の当たりにした別所長治は、その惨状に耐え切れず、城内の将兵の命を助けることを条件に自害し、三木城が陥落。長かった三木合戦は終わりを告げました。

三木合戦の古戦場

三木城跡

三木城跡

三木城跡

三木合戦が繰り広げられた戦場跡は、兵庫県三木市にあり、「三木城跡」として整備されています。

三木城跡の見どころは、「別所長治公像」や、別所長治の辞世の句が彫られた「歌碑」です。

また、三木城跡のすぐ隣には、地元の憩いの場として親しまれている「上の丸公園」があり、園内では「三木合戦図」や「三木城想像図」を観ることできます。

なお、三木城跡や付城跡などは、国指定史跡に指定されています。

三木城跡への最寄り駅は、神戸電鉄の粟生線「三木上の丸駅」で、城跡の入口までは徒歩約3分です。

みき歴史資料館

三木城の二の丸跡には、「みき歴史資料館」があります。

館内は、6つの時代に分けて、三木の歴史や歴史資料を分かりやすく紹介しています。その中に、三木城や三木合戦に関するコーナーがあり、法界寺に現存している「三木合戦軍図」の複製掛け軸は必見です。

付城跡群/平井山ノ上付城跡

平井山ノ上付城 羽柴秀吉本陣跡

平井山ノ上付城 羽柴秀吉本陣跡

三木城を取り囲む形で東西約6km、南北約5kmの範囲に、羽柴秀吉軍が築いたとされる付城跡があります。

文献史料によると、付城は約40ヵ所築かれたとされており、そのうち20ヵ所が現在も残っています。

竹中半兵衛の墓

竹中半兵衛の墓

竹中半兵衛の墓

羽柴秀吉軍の参謀として活躍した竹中半兵衛の墓が、三木城近くの兵庫県三木市平井にあります。

竹中半兵衛は、1579年(天正7年)4月、三木合戦中に病に倒れ、死去したと伝えられています。

法界寺

兵庫県三木市別所町にある「法界寺」(ほうかいじ)は、別所氏の菩提寺で、別所長治の遺体が埋葬されています。

法界寺内には、霊廟や別所長治夫妻の霊牌がある他、縦約2.2m、幅約1.4mの「三木合戦絵図」が収蔵されており、戦死者の姿や飢えて馬を食す場面、集団で切腹する場面などが生々しく描かれています。この三木合戦絵図は、1841年(天保12年)に、別所氏の末裔「別所九兵衛長善」が画師の「中条竹趣」に模写させて法界寺に奉納した物です。

毎年4月17日には、絵解き(絵の意味の説明)が行なわれています。

雲龍寺

雲龍寺 別所長治公首塚

雲龍寺 別所長治公首塚

上の丸公園から10分ほど歩くと、別所長治とその妻の首塚がある「雲龍寺」(うんりゅうじ)があります。

別所長治が、この寺の住職に自らの死後を託し、愛用していた金天目(金色のすりばち形の抹茶茶碗)の湯呑みを贈ったと伝えられています。

「三木城跡」施設情報

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所在地 〒673-0432
兵庫県三木市上の丸町5
電話番号 0794-82-5060
交通アクセス 神戸電鉄粟生線「三木上の丸駅」下車 徒歩約5分

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駐車場 有り
入場料 無料
公式サイト -

三木城跡のアクセス

三木城跡
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「三木城跡」
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天守跡にある別所長治が詠んだ辞世の句が彫られた歌碑です。
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三木城跡の本丸跡です。
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三木城跡にある別所長治公像です。
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三木城跡にある本丸井戸です。
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三木城跡の説明看板です。
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三木城が包囲されたときの様子が描かれた配置図です。
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三木城跡の城址内略図です。
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三木城跡の様子です。
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