倶利伽羅峠の戦い
倶利伽羅峠の戦い
「源平合戦」の戦には、松明(たいまつ)を角に付けた牛の逸話があります。これが歴史上に名高い「倶利伽羅峠の戦い」(くりからとうげのたたかい)です。戦が起きたのは、平安時代後期の1183年(寿永2年)5月11日、現在の富山県と石川県の境にある砺波山・倶利伽羅峠。ここで、「木曽義仲」(きそよしなか:源義仲とも)軍と「平維盛」(たいらのこれもり)軍が戦いました。別名「砺波山の戦い」(となみやまのたたかい)とも呼ばれるこの戦は、長期にわたった源平合戦の中でも、ひとつの大きな山場だと言われ、勇猛果敢な武将として知られる木曽義仲が平家軍に大勝しました。かつて倶利伽羅峠の戦いが繰り広げられた富山県小矢部市の古戦場倶利伽羅県定公園をご紹介します。
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倶利伽羅峠の戦いの概要

倶利伽羅峠の戦いに至るまで

平清盛

平清盛

1179年(治承3年)に「平清盛」(たいらのきよもり)が起こした「治承三年の政変」により、「後白河法皇」(ごしらかわほうおう)が幽閉され、関白「松殿基房」(まつどのもとふさ)を追放。

後白河天皇の第3皇子であった「以仁王」(もちひとおう)は、全国にいる源氏方に対し、平氏追討の令旨を発します。これを受けて1180年(治承4年)、信濃国(現在の長野県)を拠点としていた木曽義仲(きそよしなか)も越中国(現在の富山県)方面に向けて進軍。翌年の1181年(治承5年/養和元年)には「横田河原の戦い」で、数に勝る平家方の「城長茂」(じょうながもち)軍に勝利し、北陸道への影響力を強めました。

また、木曽義仲の勝利によって、若狭国(現在の福井県)や越前国(現在の新潟県)などでは反平氏勢力の武士達による動きが活発になっていきます。木曽義仲の進行に対し、平家は北陸道に向けて、平清盛の孫「平維盛」(たいらのこれもり)を総大将とする100,000の大軍を差し向けました。

この対応については、食糧事情が大きく関係していると言われています。1181年(治承5年/養和元年)、日本ではひどい飢饉が起こっていました。春夏の日照りに続き秋の台風の影響で、作物の収穫がままならない状態だったのです。さらに追い打ちをかけたのが、その翌年の凶作と疫病。当時の京都は、かなりの人口が集中していましたが、それに反して食糧の供給や衛生管理は行き届いていませんでした。

京都への食糧供給は、近畿と北陸によって賄われていましたが、2年にわたる飢饉のため、近畿からの食糧調達が難しくなります。こうした事情もあり、平氏側にとって北陸の街道は、何としても死守しなければならない補給路でした。

初戦は有利に進んでいた平維盛

「木曽義仲に北陸を支配されたままにしてはならない」という、大きな使命のもと、1183年(寿永2年)4月、平氏は平維盛を大将として北陸に出陣。越前国・加賀国(現在の石川県)の反平氏勢力が立て籠もる「火打城」(ひうちじょう)を落とします。これが「火打城の戦い」です。

この平氏側の勝利によって、木曽義仲は越中国まで一旦後退しました。この隙を突いて、平維盛は、越中国に土地勘のある「平盛俊」(たいらのもりとし)を進軍させます。このときの平盛俊の手勢は兵5,000。木曽義仲は、この平氏側の動きを知ると、配下の「今井兼平」(いまいかねひら)に6,000の兵を任せて先遣隊として送りました。

1183年(寿永2年)5月9日に、平盛俊が般若野(はんにゃの:現在の富山県砺波市)で野営をしていることを察知した今井兼平は、朝方に奇襲をしかけ、「般若野の戦い」に勝利します。

平盛俊軍が敗走すると、今井兼平軍は木曽義仲軍の本体と合流し、5月11日の朝に倶利伽羅峠へと約50,000の兵を率いて進軍しました。般若野の戦いで不覚を取った平家方は、軍を後退させると能登国志雄山(現在の宝達山から北方の山々)に、「平通盛」(たいらのみちもり)、「平知度」(たいらのとものり)率いる30,000の兵を配置。そして砺波山・倶利伽羅峠に平維盛、「平行盛」(たいらのゆきもり)、「平忠度」(たいらのただのり)率いる70,000余りの兵に分かれて陣を敷きました。

知略で勝利を掴んだ木曽義仲

木曽義仲

木曽義仲

この平氏の動きを知った木曽義仲は、家臣「楯親忠」(たてちかただ)を志雄山へ向かわせて牽制し、自らは倶利伽羅峠へと進軍します。

平維盛を倶利伽羅峠に足止めしたのも、木曽義仲の策略でした。平氏軍が倶利伽羅峠に差しかかったとき、わざと越中国側の麓に源氏の白旗を数多く掲げて警戒を誘い、歩みを抑制。あえて昼間のうちは戦をしかけず、隙を見て今井兼平の兄「樋口兼光」(ひぐちかねみつ)の軍を平氏軍の背後へと回らせました。

木曽義仲は、平氏方の動きに合わせ「軍勢を7手に分けて配置する」という周到な作戦を取ります。

平氏軍が寝静まった夜半、角に松明をくくり付けた牛の大軍が野営していた陣へとなだれ込みました。一説によるとその数は400~500頭とも言われます。暴れ狂う牛達の突然の襲来に、平氏軍は大混乱に陥ります。その機に乗じて、木曽義仲軍が果敢に攻めかかりました。70,000の兵は逃げ惑い、敵が攻めてこない方へと我先に逃げ出します。

しかし、その先には倶利伽羅峠の断崖が待ち受けていたのです。平氏の武将や兵達は次々に崖下へと転落し、峠の下には死者の山が積み重なったと伝わります。そうした歴史的背景から、この崖には「地獄谷」という名称が付けられました。

この倶利伽羅峠の戦いにより、平氏方は多大な犠牲を被ります。木曽義仲追討軍100,000のほとんどが失われ、かろうじて生き延びた平維盛は京都へ敗走。大勝利を収めた木曽義仲は勢いを付け、同年7月には念願の上洛を果たすことになります。

一方、この大打撃により平氏は弱体化が加速し、体制を立て直すことなく京都から四国へと落ち延び、滅亡の運命をたどりました。

この「牛の角の松明」の逸話は、木曽義仲の華々しい戦場面として絵巻物でもよく主題に選ばれますが、それが事実であるのかは分かりません。なぜなら、わずかな時間に多くの牛を集め、牛の頭に松明を取り付けることが困難であることと、牛達が炎を見ても怯えず、思い通りの方向に進行できるのかということも疑問視されているためです。いずれにせよ倶利伽羅峠の戦いで平氏側に大損害を与えたことは間違いありません。

こうした木曽義仲の大勝利によって、各地の源氏方は一層勢い付いていきました。

倶利伽羅峠の戦いの古戦場

倶利伽羅峠眺望

倶利伽羅峠眺望

倶利伽羅峠の戦いがあった砺波山は、倶利伽羅山の古い呼び名です。現在の富山県と石川県の間に広がる、矢立山、源氏ケ峰、国見山などが含まれています。砺波山は、古くから北陸方面への交通の要所として知られており、北陸道を制する上では重要な場所でした。

そして、この倶利伽羅峠は標高260mの峠です。崖に落ちた場合、命が助かるのは難しかったと推測されます。現在、倶利伽羅峠のある旧北陸道は、富山県小矢部市桜町から石川県津幡町竹橋まで「歴史国道」として整備されており、ハイキングコースとしても人気の名所です。

そして、「倶利伽羅県定公園」(富山県小矢部市)は、春は約6,000本の八重桜に彩られ、北陸のお花見スポットランキングで第1位を獲得している人気の場所。

埴生護国八幡宮 木曽義仲騎馬像

埴生護国八幡宮 木曽義仲騎馬像

歴史国道の入り口である「埴生護国八幡宮」(富山県小矢部市)も、倶利伽羅峠の戦いに赴く前に、木曽義仲が戦勝祈願した神社として有名な観光地です。埴生護国八幡宮は、倶利伽羅峠の東側に位置し、起源は718年(養老2年)まで遡り、「宇佐神宮」(大分県宇佐市)を分霊したのがはじまり。

埴生護国八幡宮は、国家安全、五穀豊穣への信仰の対象でしたが、倶利伽羅峠の戦い以降は、「勝ち運の神」としても知られるようになります。戦国武将前田利家」など、数多くの武将が篤く信仰を寄せました。

境内には、勇壮な姿をした「木曽義仲騎馬像」もあります。像の重量だけで5tもあり、乗馬した人物像としては日本最大級です。また、宝物殿には、木曽義仲にゆかりの深い品々を多数展示。展示品である木曽義仲が戦勝祈願した文書や、などからは、当時の戦への想像をかき立てられます。

「倶利伽羅県定公園」施設情報

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所在地 〒932-0836
富山県小矢部市埴生
電話番号 0766-30-2266
交通アクセス 「石動駅」下車 徒歩17分

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駐車場 有り
公式サイト -

倶利伽羅県定公園のアクセス

倶利伽羅県定公園
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