上月城の戦い
上月城の戦い
「上月城の戦い」(こうづきじょうのたたかい)は、1578年(天正6年)、播磨国(現在の兵庫県佐用郡)にある「上月城」で、「尼子勝久」(あまごかつひさ)が尼子家再興のため、「毛利輝元」(もうりてるもと)と戦った合戦です。この戦いで、毛利軍が勝利し、尼子勝久は自害しました。かつて上月城の戦いが繰り広げられた兵庫県佐用郡佐用町の古戦場上月城跡をご紹介します。
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上月城の戦いの概要

戦いの背景

上月城の戦いが始まる以前、尼子氏は代々、出雲守護代を務め、山陰・山陽地方8ヵ国を領地とし、約120万石の広大な領土を支配していました。

1566年(永禄9年)、「尼子義久」の代に、「毛利元就」の侵攻を受け、このとき尼子氏は一度滅亡しますが、尼子家の家臣であった島根の武将「山中鹿介幸盛」(やまなかしかのすけゆきもり)が、尼子家を再興させようと計画します。

山中鹿介幸盛は、尼子家の家臣だった「立原源太兵衛尉久綱」(たちはらげんたびょうえのじょうひさつな)らとともに、京都で東福寺の僧侶になっていた尼子誠久の子を「還俗」(げんぞく:僧侶になった者が僧侶を捨て、俗人に戻ること)させ、「尼子勝久」として擁立します。

山中鹿介幸盛らの呼びかけにより、尼子勝久の周囲には尼子家の旧臣が集結。尼子家の再興をかけて、かつての居城であった「富田城」を攻めますが、毛利軍に大敗を喫します。その後、勝ち目がないと見た尼子氏は「織田信長」を頼り、中国地方攻略を任されていた羽柴秀吉(のちの「豊臣秀吉」)の旗下に入り、上月城の戦いが始まったのです。

第一次上月城の戦い

織田信長

織田信長

上月城は、播磨国にある山城で、播磨・美作・備前の国境の最前線に位置しており、織田氏毛利氏の戦線における非常に重要な軍事拠点でした。中国地方を制圧したい織田信長にとって、上月城は何としても抑えておきたい前線基地だったのです。

織田信長は、1577年(天正5年)、羽柴秀吉に上月城攻めを命じ、「第一次上月城の戦い」が開戦します。

羽柴秀吉軍は、尼子勝久らとともに、井戸を奪って「水」の供給を遮断し、上月城の周りを15,000の軍勢で包囲。一方、毛利軍は10,000の軍勢(毛利軍7,000、宇喜多軍3,000)で対抗します。

数で勝っていた羽柴秀吉軍は、宇喜多軍を備前との国境付近まで追いやり、再び上月城へ総攻撃を仕掛けた結果、羽柴秀吉軍が見事勝利。上月城に籠っていた毛利方の城主「赤松政範」は追放され、代わって尼子勝久と山中鹿介幸盛らが入城し、念願であった尼子家再興の拠点を取り戻しました。

第二次上月城の戦い

上月城が奪われたことを知った毛利軍は、1578年(天正6年)4月、毛利軍の「吉川元春」と「小早川隆景」が率いる30,000の大軍を上月城へと進軍させ、尼子勝久が守る上月城を包囲します。その窮状を知った羽柴秀吉は、援軍として総勢10,000人の軍勢で上月城に駆け付け、高倉山付近に陣を敷きますが、対する毛利軍は30,000の軍勢だったことから膠着状態となります。

三木城跡

三木城跡

この頃、播磨の最大勢力で「三木城」の城主だった「別所長治」(べっしょながはる)が毛利方に寝返り、籠城戦を開始。さらに、織田方か毛利方か立場を明確にしていなかった播磨諸豪族衆も別所長治に同調し、毛利方へ付いたのです。

1578年(天正6年)、羽柴秀吉は織田信長へ、上月城への親征(君主が自ら軍の指揮を執り戦争に出ること)を要請しますが、織田信長はこれに応じず、上月城の援軍を引き払い三木城を包囲するよう命じます。織田信長の命令に逆らうことができない羽柴秀吉は、三木城へと向かい、上月城からの撤退を余儀なくされます。

羽柴秀吉は、上月城で籠城している尼子勝久に対して、城を明け渡し、逃げるよう使者を送りますが、尼子勝久は、尼子家再興のため、最後まで毛利軍と戦うことを選択。その結果、上月城は毛利軍の総攻撃を受け、1578年(天正6年)7月に陥落。尼子勝久は、城内にいる武士達の命を助けることを条件にして城を明け渡し自害しました。

この戦いにより、尼子氏は滅亡。尼子勝久は、山中鹿介幸盛に対し「一時なりとも尼子家を再興できたことに感謝する」と伝え、上月城を明け渡したと言われています。

上月城の戦いの古戦場

上月城跡

上月城跡

上月城跡

「上月城跡」は、兵庫県佐用郡佐用町にあり、「本丸跡」や「二の丸跡」、「横堀跡」などが見どころです。

「本丸跡」の敷地内には、歴代の城主や戦死者を供養するため、1825年(文政8年)に営まれた250回忌の慰霊碑が建立されており、上月城の城主だった赤松政範をはじめ、132名の戦死者の名が刻まれています。

また、上月城跡のふもとにある登山口近くには、上月城の歴史を展示した「上月歴史資料館」がある他、尼子橋付近には「山中鹿之介追頌之碑」や「尼子勝久公四百年遠忌追悼碑」など、上月城に関係する武将達の供養碑があります。

「上月城跡」施設情報

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所在地 〒679-5524
兵庫県佐用郡佐用町寄延
電話番号 0790-82-0670
交通アクセス 「上月駅」下車 徒歩11分

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駐車場 無し
入場料 無料
公式サイト -

上月城跡のアクセス

上月城跡
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上月城跡にある戦死者250回忌の慰霊碑です。
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慰霊碑は上月城本丸跡の敷地内にあります。
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尼子勝久・山中鹿介幸盛の追悼碑です。
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上月城についての説明看板です。
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上月城跡の史跡説明看板です。
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上月城跡の様子です。
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上月城跡への遊歩道があります。
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上月城跡への登山道入口です。
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