伊豆討ち入り
伊豆討ち入り
関東の戦国時代がはじまりを告げるのは、「北条早雲」(ほうじょうそううん)が1493年(明応2年)に起こした「伊豆討ち入り」だとされています。これは、北条早雲が戦国大名としての第一歩を踏み出すきっかけでもありました。北条早雲を祖とする「後北条氏」は、伊豆討ち入りののち、小田原城を居城に、5代100年に及ぶ統治を行ないます。伊豆討ち入りは、後北条家の礎を築いた北条早雲の快進撃のはじまりであり、戦国時代の「下剋上の嚆矢(こうし:物事の始まり)」と言われています。かつて伊豆討ち入りが繰り広げられた静岡県伊豆の国市の古戦場韮山城跡をご紹介します。
文字サイズ

伊豆討ち入りの概要

北条早雲と今川家の縁

北条早雲

北条早雲

北条早雲は、もとは伊勢姓を名乗っており、正確には「伊勢宗瑞」(いせそうずい)と言いました。

室町幕府の政所執事であった伊勢氏の出自で、父 「伊勢盛定」(いせもりさだ)は第8代将軍「足利義政」の申次衆(もうしつぎしゅう:将軍御所に参上した人物の名、用件などを取り次ぐ役)でした。

北条早雲の姉が「今川義忠」と婚姻関係にあり、嫡男「龍王丸」(のちの今川氏親)を産んだことから、今川氏との浅からぬ縁を結びました。今川義忠の死後、甥である龍王丸のうしろ盾となり、また1483年(文明15年)、北条早雲は足利将軍家の申次衆となりました。

今川氏の家督を龍王丸が継ぎ、「今川氏親」(いまがわうじちか)を名乗るようになると、北条早雲には伊豆との国境近くにある「興国寺城」(現在の静岡県沼津市)に所領が与えられ、今川氏の家臣として甥の今川氏親を補佐していました。そんな中、伊豆一国を支配していた「足利政知」が死去し、足利政知の長子「茶々丸」による継母・異母弟殺害事件が勃発したのです。

下剋上の嚆矢となった伊豆の討ち入り

北条早雲が居を構えていた興国寺城は伊豆に近く、北条早雲が幕府の要職に就いていたこともあり、室町幕府の実質上の将軍となっていた「足利清晃」(茶々丸の異母弟、のちの第11代将軍「足利義澄」)の命を受けて伊豆堀越御所にいる茶々丸に奇襲をかけました。これを伊豆討ち入りと呼びます。

このとき、北条早雲の手勢は200人。ここに今川氏親に借りた300人を合わせた総勢500人が10艘の船で西伊豆の海岸に上陸したのです。西伊豆の住人は、海賊の襲来かと慌てふためき、家財道具を背負って山に逃げたとされています。そもそも、茶々丸の統治は非常な悪政。茶々丸を追い払い、善政を施した北条早雲が住民に受け入れられるまでに、さほど時間はかかりませんでした。

北条早雲の側に付けば本領を安堵(所職の存在などを保証すること)し、兵の乱暴狼藉なども禁じたのですから、それも当然のこと。一説によれば、北条早雲は伊豆一国をわずかひと月ほどで平定したと言われています。

茶々丸は、室町将軍家の支族。地方の一武将に過ぎない北条早雲に滅ぼされた訳ですから、これを下剋上と捉える向きがあっても不思議ではありません。伊豆討ち入りが、下剋上の嚆矢と言われるのは、このためです。

伊豆討ち入りの古戦場

韮山城跡

北条早雲を祖とする後北条家の居城は小田原にありますが、北条早雲が終生にわたり居を構えたのは伊豆の「韮山城」でした。

伊豆討ち入りの舞台となった「韮山城跡」は、まさに伊豆の喉元と言って良い立地で、武田氏や今川氏といった大名達に対抗するための防御の拠点として非常に重要な役割を担っていました。のちの1590年(天正18年)、豊臣秀吉の軍勢約40,000に囲まれたときにも、約3ヵ月にわたる籠城戦を耐え抜いたのです。

後北条氏が滅亡したのち、1601年(慶長6年)に韮山城は廃されました。廃城後は、韮山代官の御囲地として守られたため、戦国時代の土塁や堀などが残されています。韮山城跡として階段などが整備されており、当時を偲ぶことができます。ただし、「土手和田遺構群」や「天ヶ岳遺構群」、「太閤陣場付城跡」、「本立寺付城跡」などは私有地にあり、立ち入ることができませんので、ご注意下さい。

小田原城跡

小田原城

小田原城

後北条氏の居城となった「小田原城」はのち、小田原藩の藩庁が置かれ、城跡は1938年(昭和13年)に国の史跡に指定され、整備されています。

近世城郭と中世城郭が並存し、両方の遺構が残されているという全国的にも珍しい城郭で、本丸や二の丸、茶壺曲輪、馬屋曲輪などの復元が進められているのも見どころのひとつです。

本丸と二の丸の大部分が国の史跡となっており、本丸を中心とした城跡が「城址公園」として一般に開放されています。

小田原市が音頭を取り、本格的な史跡整備に努めているかいもあって、2006年(平成18年)10月「日本の歴史公園100選」にも選出されました。子ども遊園地なども併設され、家族連れで楽しめる史跡公園として人気です。

「韮山城跡」施設情報

「韮山城跡」の施設情報です。「この施設の詳細を見る」ボタンからより詳しい投稿情報をご確認頂けます。

所在地 〒410-2143
静岡県伊豆の国市韮山438-3
電話番号 055-948-1428
交通アクセス 「韮山駅」下車 徒歩12分

交通アクセス情報を見る

駐車場 有り
入場料 無料
公式サイト -

韮山城跡のアクセス

韮山城跡
韮山城跡
韮山城跡
loading...

「韮山城跡」
施設情報サイトのご紹介

ホームメイト・リサーチの旅探「博物館/美術館」では、韮山城跡の詳細情報とユーザーからの口コミ、施設写真、施設動画の投稿情報をご覧頂けます。

※ご投稿頂くには、ホームメイト・リサーチへのユーザー登録が必要です。

静岡県の刀剣施設情報

静岡県にある刀剣施設情報をご紹介します。

  • 静岡市葵区
  • 静岡市駿河区
  • 静岡市清水区
  • 浜松市中区
  • 浜松市東区
  • 浜松市西区
  • 浜松市南区
  • 浜松市北区
  • 浜松市浜北区
  • 浜松市天竜区
  • 沼津市
  • 熱海市
  • 三島市
  • 富士宮市
  • 伊東市
  • 島田市
  • 富士市
  • 磐田市
  • 焼津市
  • 掛川市
  • 藤枝市
  • 御殿場市
  • 袋井市
  • 下田市
  • 裾野市
  • 湖西市
  • 伊豆市
  • 御前崎市
  • 菊川市
  • 伊豆の国市
  • 牧之原市
  • 賀茂郡東伊豆町
  • 賀茂郡河津町
  • 賀茂郡南伊豆町
  • 賀茂郡松崎町
  • 賀茂郡西伊豆町
  • 田方郡函南町
  • 駿東郡清水町
  • 駿東郡長泉町
  • 駿東郡小山町
  • 榛原郡吉田町
  • 榛原郡川根本町
  • 周智郡森町
すべてを見る

韮山城跡の写真一覧

 をクリックすると、拡大してご覧頂けます。

韮山城跡の概要を見ることができます。
韮山城跡の概要を見ることができます。
韮山城跡へは、山を登っていきます。
韮山城跡へは、山を登っていきます。
二の丸のあった場所には、土塁が残っています。
二の丸のあった場所には、土塁が残ってい…
三ノ丸の入口です。
三ノ丸の入口です。
塩蔵があったとされる場所です。
塩蔵があったとされる場所です。
韮山城の本丸跡です。
韮山城の本丸跡です。
かつてのお堀を利用した池では、釣りなどのレジャーを楽しむことができます。
かつてのお堀を利用した池では、釣りなど…
韮山城跡周辺の案内図があります。
韮山城跡周辺の案内図があります。
注目ワード
注目ワード