岩屋城の戦い
岩屋城の戦い
「岩屋城の戦い」(いわやじょうのたたかい)は、1586年(天正14年)、九州制覇を目論む薩摩(現在の鹿児島県西部)の「島津家」と、九州北部6ヵ国を統べる守護大名「大友家」との戦いです。戦場となった「岩屋城」(現在の福岡県太宰府市)では、「大友義鎮/大友宗麟」(おおともよしかげ/おおともそうりん)の家臣であり名将と謳われた「高橋紹運」(たかはしじょううん)が、島津軍との壮絶な籠城戦の末、763名の兵士と共に最期を迎えました。かつて岩屋城の戦いが繰り広げられた福岡県太宰府市の古戦場岩屋城跡をご紹介します。
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岩屋城の戦いの概要

大友家に代わって九州支配を目論む島津家

九州は、古くから豪族が領地を競い合ってきました。戦国時代初頭には、豊後(現在の福岡県南部)の大友家、肥前(現在の佐賀県長崎県)の少弐家(しょうにけ)、薩摩の島津家などが有力な大名として君臨。

大友宗麟

大友宗麟

しかし、1550年(天文19年)に家督を継いだ戦国大名「大友義鎮/大友宗麟」(おおともよしかげ/おおともそうりん)が、南蛮貿易などで力を付け、徐々に頭角を現します。

室町幕府は、大友宗麟の貿易による経済力や外交術を評価し、筑前(現在の福岡県西部)、筑後(現在の福岡県南部)、豊前(現在の福岡県東部)、豊後、肥前、肥後(現在の熊本県)の6ヵ国の守護に任命。大友宗麟は、大友家の最盛期を築きます。

岩屋城」(現在の福岡県太宰府市)は、1532~1554年(天文元年~23年)に築城され、大友家の筑前支配の拠点として機能していた山城です。

同じ頃、九州南部では、薩摩の島津家が勢力拡大を目論んでいました。1566年(永禄9年)に家督を継いだ「島津義久」(しまづよしひさ)は、弟の「島津義弘」(しまづよしひろ)と共に九州全域を勢力圏にするため、大隅(現在の鹿児島県東部)を皮切りに各地へ侵攻し始めます。

転機となった耳川の戦い

1576年(天正4年)、島津義久は日向(現在の宮崎県)への侵攻を開始。日向の伊東家と大友家とは同盟関係にあったため、大友宗麟の嫡男「大友義統」(おおともよしむね)は伊東家に加勢することとなります。

1578年(天正6年)に、「耳川の戦い」(みみかわのたたかい)が勃発しました。島津軍約20,000に対し、大友軍30,000。当初は大友軍が優勢と思われましたが、島津軍の奇襲攻撃などにより大友軍は有力な家臣を失って惨敗してしまいます。

耳川の戦いのあと、各地で国人の反乱も相次ぎ、大友家は島津家の攻撃に対して自力での防衛は難しいと判断。当時、全国制覇を成し遂げていた「豊臣秀吉」に、島津軍の討伐を要請するのです。

1585年(天正13年)、大友家の要請を受けた豊臣秀吉は、関白として勝手な合戦を禁じる「惣無事令」(そうぶじれい)を発布。島津家へ攻撃をやめるよう文書で要請します。しかし、島津義久はこの命を拒否。当時の関白は、天皇の政治補佐役であり、関白からの命を退けるということは、天皇への反逆に値します。

つまり、豊臣秀吉が島津家を討伐する、大義名分ができあがったと言えるのです。

島津家の快進撃

立花宗茂

立花宗茂

惣無事令に背き、大友家討伐に向けて兵を整えていた島津義久は、豊後に加え、筑前と筑後を攻略しながら2方向へ進む作戦を企てます。

1586年(天正14年)、島津軍は大友家攻略のため鹿児島を出発。「島津忠長」(しまづただなが)と「伊集院忠棟」(いじゅういんただむね)を大将として肥前に攻め入ると、大友方の「筑紫広門」(つくしひろかど)の居城「勝尾城」(かつのおじょう:現在の佐賀県鳥栖市)を攻略しました。

島津軍の猛攻に恐れをなした大友家側の武将達は、続々と島津軍に下り、島津軍の勢力は50,000にまで増大。

筑前では岩屋城を守る高橋紹運と、長男で「立花城」(現在の福岡県)の城主「立花宗茂」(たちばなむねしげ)以外、すべての武将が島津軍に寝返ってしまったのです。

岩屋城における歴史に残る攻防戦

いつまでも降伏しない高橋紹運に痺れを切らした島津忠長は、岩屋城への攻撃を決定します。高橋紹運は、筑前に攻め入った島津軍が、最初に攻撃を仕掛けてくるのは岩屋城だと分かっていながら、同盟軍の「宝満山城」(ほうまんやまじょう)や立花城へ逃れることなく、岩屋城に入城しました。

主将であるにもかかわらず、この行動を取ったのは、立花城には長男の立花宗茂、宝満山城には次男「高橋統増」(たかはしむねます)と岩屋城から避難した女性や子どもがいたからだと言われており、高橋紹運は豊臣軍の援軍を信じ、自らが囮となって戦う覚悟を決めたのです。

1586年(天正14年)、ついに島津軍による岩屋城への攻撃が始まりました。岩屋城には高橋紹運、宝満山城には高橋統増がそれぞれに籠城。岩屋城に残った兵士は、わずか763人であり、島津軍の50,000の軍を相手に戦うにはあまりにも心もとない兵力でした。しかし、高橋紹運の采配が冴え、約半月もの間、島津軍と互角に交戦。

圧倒的に数で勝る島津家は、高橋紹運に実子を差し出すことを条件に降伏するよう勧告しますが、高橋紹運は聞き入れません。勝機がないことを悟りながらも、君主の大友宗麟を裏切らずに忠義を尽くしたのです。高橋紹運の武士としての生き方は、敵陣の島津家をも唸らせたと言います。

しかし、善戦むなしく、ついに高橋紹運は自害。高橋紹運側の部隊は全員が討死してしまいました。しかし、島津軍も3,000以上の兵を失い、大きな痛手を負うことに。島津軍は、軍の立て直しに時間がかかり、宝満山城や立花城の攻略にも向かうものの、完全に制圧できないまま城攻めを中止し撤退します。岩屋城の戦いは、島津家による九州統一を防いだ重要な戦だったと言えるのです。

また、岩屋城の戦いには間に合わなかったものの、1587年(天正15年)、豊臣秀吉自ら九州に出兵します。200,000を超える軍勢を引き連れた豊臣秀吉を前に、島津家は成す術もなく降伏。豊臣秀吉は九州全土を平定しました。

豊臣秀吉は、島津家の九州制覇を防いだのは、高橋紹運と立花宗茂の奮闘があったからこそと評価し、立花家柳川の132,000石を与えました。これにより立花家は大友家から独立するに至ったのです。

岩屋城の戦いの古戦場

岩屋城跡

嗚呼壮烈岩屋城址

嗚呼壮烈岩屋城址

岩屋城跡は、福岡県太宰府市の岩屋山に残る史跡です。本丸跡の周囲には林道があり、主郭、帯曲輪、土塁、堀切などが残っています。

高橋家の子孫により「嗚呼壮烈岩屋城址」(ああそうれついわやじょうし)の碑が建てられました。

岩屋城跡のすぐそばに高橋紹運の墓所もあるため、ぜひ合わせて巡りましょう。

最寄り駅の西鉄太宰府線「太宰府駅」からタクシーで8分程度。林道四天王寺線沿いに登り口の看板があり、徒歩ですぐに展望所まで上ることができます。

立花城跡

岩屋城跡から望む景色

岩屋城跡から望む景色

立花城跡は、福岡県糟屋郡新宮町の立花山に残る史跡で、現在は登山道やハイキング道が整備されています。

立花城の遺構としては、石垣が数ヵ所残っている程度ですが、山頂では素晴らしい眺めが期待できます。

最寄り駅は、JR鹿児島本線「福工大前駅」。駅から新宮町コミュニティバスに乗り「立花小学校前」バス停で下車、徒歩約20分です。また、登山口には駐車場(40台)もあります。

宗麟公園

大分県津久見市の「宗麟公園」(そうりんこうえん)は、大友宗麟の墓が2つある公園です。ひとつは、旧家臣の末裔が建てた墓。もうひとつは、キリシタン大名だった大友宗麟を記念して、1977年(昭和52年)に建てられたキリスト教式の墓です。

最寄り駅は、JR日豊本線「津久見駅」。さらに津久見駅から車で約10分です。また、東九州自動車道「津久見IC」からは車で約15分、駐車場(15台)も完備しています。

「岩屋城跡」施設情報

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所在地 〒818-0101
福岡県太宰府市観世音寺大字704
電話番号 092-921-2121
交通アクセス 西鉄太宰府線「太宰府駅」下車 徒歩16分

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営業時間 24時間
休館日 無し
駐車場 無し
入場料 無し
公式サイト -

岩屋城跡のアクセス

岩屋城跡
岩屋城跡
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「岩屋城跡」
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岩屋城跡までは、歩いて山を登ります。
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岩屋城の歴史を知ることができます。
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九州自然歩道のコースに隣接しています。
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岩屋城の戦いの壮絶さを感じる石碑です。
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岩屋城本丸跡です。
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休憩スペースも設けられています。
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太宰府市街を一望できます。
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