乙巳の変(大化の改新)
乙巳の変(大化の改新)
「乙巳の変」(いっしのへん)は、645年(皇極天皇4年)、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや:奈良県高市郡明日香村)で起きた、「蘇我入鹿」(そがのいるか)暗殺から蘇我本宗家滅亡へといたる古代史きっての大政変です。変の首謀者は、「中大兄皇子」(なかのおおえのおうじ)と「中臣鎌足」(なかとみのかまたり)を中心とする反主流派の豪族達。その後、中大兄皇子と中臣鎌足は「大化の改新」と呼ばれる政治改革を断行することになります。
文字サイズ

乙巳の変の概要

628年(推古天皇36年)、「推古天皇」(すいこてんのう)が皇位継承者を指名せずに亡くなりました。

すると、大臣「蘇我蝦夷」(そがのえみし)は、「聖徳太子」(しょうとくたいし)の子「山背大兄王」(やましろのおおえのおう)が皇位について聖徳太子の家系が勢力を持つことを恐れ、対立候補だった「田村皇子」(たむらのおうじ=舒明天皇:じょめいてんのう)の即位を強行。

その後、641年(舒明天皇13年)に舒明天皇も皇位継承者を指名せずに亡くなると、皇后の「宝皇女」(たからのおうじょ=皇極天皇:こうぎょくてんのう)を即位させました。

蘇我氏は舒明・皇極天皇時代に権力をのばし、その権勢は天皇家をしのぐようになります。643年(皇極天皇2年)、蝦夷の息子「蘇我入鹿」(そがのいるか)は、姻戚関係にある「古人大兄皇子」(ふるひとのおおえのみこ)を次の天皇に擁立(ようりつ:支持、擁護し位につかせる)するために、有力候補の山背大兄王を攻め、その一族を自害へ追い込みました。

また、翌644年(皇極天皇3年)には、蝦夷・入鹿父子は飛鳥の朝廷を眼下にする甘樫丘(あまかしのおか)に大邸宅を構え、蝦夷の家を「上の宮門」、入鹿の家を「谷の宮門」と呼んだと伝えられています。

中臣鎌足と中大兄皇子

中臣鎌足と中大兄皇子

皇位継承上、古人大兄皇子のライバルであった「中大兄皇子」(なかのおおえのおうじ)と中流豪族「中臣鎌足」(なかとみのかまたり)は、天皇を中心とする国家体制を目指して蘇我氏打倒を計画。

蘇我氏分家の「蘇我倉山田石川麻呂」(そがのくらやまだのいしかわまろ)他、「佐伯連子麻呂」(さえきのこまろ)、「葛城稚犬養連網田」(かつらぎのわかいぬかいのあみた)達を同志に引き入れます。

そして、蘇我氏殺害の決行は、三韓(高句麗・百済・新羅)からの使者が天皇に貢物を献上する儀式の場と決められたのです。

645年(皇極天皇4年)6月12日、三韓からの使者の儀式が飛鳥板蓋宮で行なわれようとしていました。柱の陰には子麻呂と網田、そして中大兄と鎌足が潜んでいます。石川麻呂が上表文を読み上げている最中に子麻呂と網田が飛び出して、入鹿を斬る手はずでした。

しかし、2人は入鹿を恐れるあまり飛び出すことができません。いつまでも2人が出てこないので、石川麻呂の上表文を読む声や手が震え、入鹿に不審がられてしまいます。とうとう業を煮やした中大兄が、自ら剣で入鹿の頭から肩にかけて斬りかかりました。

「私に何の罪があるのでしょうか。お裁き下さい」と皇極天皇に訴える入鹿。皇極天皇は、大いに驚き「これは何事ですか」と中大兄に問います。「入鹿は皇族を滅ぼし、天皇にとって代わろうとしています」と皇極天皇に答える中大兄。すると皇極天皇は奥へ立ち去ってしまいました。さらに子麻呂と網田が斬り付け、入鹿はついに息絶えてしまいます。

飛鳥寺

飛鳥寺

中大兄皇子はすぐに「飛鳥寺」に入り、寺を拠点に軍勢を集め、蘇我蝦夷との戦に備えました。

そして、甘樫丘の邸宅に立て籠もる蝦夷に入鹿の遺体を送り届けます。変わり果てた息子と、甘樫丘から飛鳥川をはさんですぐ東にある飛鳥寺に集結した軍勢を見て、蝦夷は何を思ったのでしょうか。翌6月13日、邸宅に火を放って自害しました。

権勢を誇った蘇我本宗家はたった2日で滅びたのでした。

乙巳の変の戦場跡

蘇我入鹿首塚

蘇我入鹿首塚

蘇我氏の邸宅があった甘樫丘へは、近鉄「橿原神宮前駅」、「岡寺駅」、「飛鳥駅」の各駅下車、徒歩約40分。明日香周遊バス・赤かめにて「甘樫丘」バス停下車、徒歩約10分です。

甘樫丘は歴史公園として整備され、頂上は大和三山(畝傍山・香具山・耳成山)をはじめとして飛鳥地方全体が眺められる展望台となっています。

中大兄皇子が軍勢を集めた飛鳥寺までは徒歩約15分。飛鳥寺の西側には「蘇我入鹿首塚」(そがのいるかくびづか)と呼ばれる小さな五輪塔があり、飛鳥板蓋宮で殺された入鹿の首がここまで飛んできたと伝えられています。

伝飛鳥板蓋宮跡

伝飛鳥板蓋宮跡

そして、蘇我入鹿暗殺の舞台となった飛鳥板蓋宮跡までは、飛鳥寺から徒歩約10分。ここでは、630~690年代の時代が違う3時期の宮殿遺構が重なっていることが確認されています。

飛鳥地域は、公共交通機関を使っても不便なため、近鉄橿原神宮前駅前や近鉄飛鳥駅前をはじめとする、各所に用意されているレンタサイクルが便利です。

また、近鉄飛鳥駅前にある「飛鳥びとの館」(飛鳥総合案内所)では古代衣装の貸出しをしており、衣装を着て観光ができます。衣装の種類は皇族男性・皇族女性・舎人・女官・采女とあり、写真を見て好きな色柄の衣装を指定可能です(要予約・FAXにて予約可)。

「伝飛鳥板蓋宮跡」 観光・案内サイトのご紹介

伝飛鳥板蓋宮跡写真一覧

 をクリックすると、拡大してご覧頂けます。

  • 伝飛鳥板蓋宮跡は乙巳の変の舞台となった地です。
    伝飛鳥板蓋宮跡は乙巳の変の舞台となった…
  • 飛鳥岡本宮、飛鳥浄御原宮など複数の宮があると判明しています。
    飛鳥岡本宮、飛鳥浄御原宮など複数の宮が…
  • 石敷の広場や大井戸跡が出土しています。
    石敷の広場や大井戸跡が出土しています。
  • 甘樫丘や香具山を望むことができます。
    甘樫丘や香具山を望むことができます。
  • 伝飛鳥板蓋宮跡の外観です。
    伝飛鳥板蓋宮跡の外観です。
  • 伝飛鳥板蓋宮跡の外観です。
    伝飛鳥板蓋宮跡の外観です。
  • 伝飛鳥板蓋宮跡の説明看板です。
    伝飛鳥板蓋宮跡の説明看板です。
  • 伝飛鳥板蓋宮跡の詳細を知ることができます。
    伝飛鳥板蓋宮跡の詳細を知ることができま…
もっと見る
閉じる

「伝飛鳥板蓋宮跡」施設情報

「伝飛鳥板蓋宮跡」の施設情報です。「この施設の詳細を見る」ボタンからより詳しい投稿情報をご確認頂けます。

所在地 〒634-0111
奈良県高市郡明日香村岡
電話番号 0744-54-2362
交通アクセス 「飛鳥駅」下車 徒歩29分

交通アクセス情報を見る

駐車場 無し
入場料 無料
公式サイト -

「伝飛鳥板蓋宮跡」
施設情報サイトの
ご紹介

施設リサーチ/ホームメイト・リサーチの旅探「博物館/美術館」では、伝飛鳥板蓋宮跡の詳細情報とユーザーからの口コミ、施設写真、施設動画の投稿情報をご覧頂けます。

※ご投稿頂くには、施設リサーチ/ホームメイト・リサーチへのユーザー登録が必要です。

伝飛鳥板蓋宮跡のアクセス

伝飛鳥板蓋宮跡
伝飛鳥板蓋宮跡
伝飛鳥板蓋宮跡
伝飛鳥板蓋宮跡

注目ワード

ページトップへ戻る