乙巳の変(大化の改新)
乙巳の変(大化の改新)
「乙巳の変」(いっしのへん)は、645年(皇極天皇4年)、「中大兄皇子」(なかのおおえのおうじ)と「中臣鎌足」(なかとみのかまたり)が、「蘇我入鹿」(そがのいるか)を皇居内で暗殺し、蘇我入鹿の父「蘇我蝦夷」(そがのえみし)を自害させ、蘇我氏を滅ぼした政変です。また、646年(大化2年)に発布された「改新の詔」(かいしんのみことのり)をもとに、中大兄皇子と中臣鎌足が一連の政治改革を行なったことを「大化の改新」と言います。かつて乙巳の変(大化の改新)が繰り広げられた奈良県高市郡明日香村の古戦場飛鳥宮跡をご紹介します。
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乙巳の変の概要

戦いの背景

622年(推古天皇30年)4月8日、「聖徳太子」(しょうとくたいし:厩戸皇子)が死去したあと、天皇家を凌ぐほどの権勢を得たのが、聖徳太子とともに朝廷の政務を執っていた大豪族「蘇我馬子」(そがのうまこ)でした。

聖徳太子/厩戸皇子

聖徳太子/厩戸皇子

それまで、蘇我氏にものを申せる唯一の存在であった聖徳太子がいなくなり、蘇我馬子の横暴さは目に余るものとなります。626年(推古天皇34年)に蘇我馬子が亡くなると、息子の「蘇我蝦夷」(そがのえみし)が大臣職を継承。

その後、628年(推古天皇36年)、「推古天皇」(すいこてんのう)が皇位継承者を指名せずに亡くなったため、有力豪族の間で争いが起こり始めます。

蘇我蝦夷は、聖徳太子の子「山背大兄王」(やましろのおおえのおう)が皇位に就くことを恐れ、対立候補だった敏達天皇の孫「田村皇子」(たむらのおうじ:のちの「舒明天皇」)の即位を強行します。

641年(舒明天皇13年)に舒明天皇も皇位継承者を指名せずに亡くなると、舒明天皇の皇后「宝皇女」(たからのおうじょ)を擁立し、「皇極天皇」として即位させました。

その後、蘇我蝦夷が、息子の蘇我入鹿に政治権力を委譲。蘇我入鹿は、皇極天皇の次期天皇として、舒明天皇の第1皇子「古人大兄皇子」(ふるひとのおおえのみこ)を擁立(ようりつ:擁護し位に就かせる)させようと画策します。しかし、反蘇我勢力が、聖徳太子の子である山背大兄王を推薦し、権力争いが勃発。蘇我入鹿は、政敵である山背大兄王を「斑鳩宮」(いかるがのみや)で襲撃し、聖徳太子の一族である上宮王家を滅ぼしたのです。

聖徳太子の生い立ちや人物像、実力者の実績などの詳細をご紹介します。

乙巳の変(大化の改新)

蘇我氏の増長に危機感を抱いた反蘇我勢力は、舒明天皇の第1皇子・古人大兄皇子の異父弟だった中大兄皇子と神祇官長官の息子である中臣鎌足を中心に、天皇を中心とする国家体制を目指し、蘇我入鹿暗殺を計画。

そして、645年(皇極天皇4年)7月10日、乙巳の変が起こります。

中臣鎌足と中大兄皇子

中臣鎌足と中大兄皇子

計画では、三韓(高句麗・百済・新羅)から進貢(貢物を献上すること)の使者が来日した際、皇極天皇の皇居「飛鳥板蓋宮大極殿」(あすかいたぶきのみやおおあんどの)で、「蘇我倉山田石川麻呂」(そがのくらやまだのいしかわまろ)が上表文を読み上げている最中、中大兄皇子と中臣鎌足が弓矢を持って潜み、「佐伯子麻呂」(さえきのこまろ)と「葛城稚犬養網田」(かつらぎのわかいぬかいのあみた)が蘇我入鹿を斬る手はずでした。

しかし、蘇我倉山田石川麻呂が上表文を読み始めても、怖気付いた佐伯子麻呂と葛城稚犬養網田は飛び出すことができず、また蘇我倉山田石川麻呂の様子がいつもと違ったことから、蘇我入鹿に不審がられます。これに業を煮やした中大兄皇子が剣で蘇我入鹿に斬りかかり、佐伯子麻呂と葛城稚犬養網田もあとに続き襲撃し、蘇我入鹿はここで息絶えることとなりました。

飛鳥寺

飛鳥寺

蘇我入鹿を討ち取ったあと、中大兄皇子はすぐに「飛鳥寺」に入って軍勢を集め、蘇我蝦夷との戦に備えました。

そして、「甘樫丘」(あまかしのおか)の邸宅に立て籠もる蘇我蝦夷に蘇我入鹿の遺体を送り届けます。息子の亡骸と飛鳥寺に集結した中大兄皇子の軍勢を見た蘇我蝦夷は、邸宅に火を放って自害。これによって蘇我氏は滅び、蘇我氏の独裁政権は終焉を迎えたのです。

その後、皇極天皇が「軽皇子」(かるのみこ)に譲位し、「孝徳天皇」(こうとくてんのう)が即位。乙巳の変で蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子は皇太子となり、中大兄皇子の腹心である中臣鎌足は内臣に任じられ、軍事指揮権を握ることになりました。

新たに即位した孝徳天皇は、646年(大化2年)に、天皇中心の中央集権国家を目指す政治の方針「改新の詔」を発します。これに伴って、中大兄皇子らは、公地公民制や国郡制度、田園収授法、租庸調の税制など、次々に改革を断行しました。この一連の改革を大化の改新と呼んでいます。

乙巳の変(大化の改新)の古戦場

甘樫丘

甘樫丘 展望台

甘樫丘 展望台

奈良県高市郡明日香村に蘇我氏の邸宅があった甘樫丘があります。

現在は、歴史公園として整備されおり、丘の頂上に登ると、大和三山(畝傍山・香具山・耳成山)をはじめ、飛鳥地方全体が眺められる展望台となっています。

飛鳥寺

蘇我入鹿首塚

蘇我入鹿首塚

中大兄皇子が軍勢を集めた飛鳥寺は、甘樫丘の近くにあり、飛鳥寺の西門から西へ100mほど行くと、「蘇我入鹿首塚」(そがのいるかくびづか)と呼ばれる小さな「五輪塔」が佇んでおり、蘇我入鹿の首がこの場所まで飛んできたと伝わっています。

飛鳥宮跡(伝飛鳥板蓋宮跡)

飛鳥宮跡

飛鳥宮跡

蘇我入鹿暗殺の舞台となった「飛鳥板蓋宮跡」は、飛鳥寺から徒歩10分ほどの場所にあります。

継続的な調査が行なわれた結果、飛鳥板蓋宮の他、「飛鳥岡本宮」(舒明天皇の宮)や、「後飛鳥岡本宮」(斉明天皇の宮)など、複数の宮が継続的に置かれていたことが判明。

これにより、2016年(平成28年)に、名称が「伝飛鳥板蓋宮跡」から「飛鳥宮跡」に変更となり、また現在復元されている石敷広場や大井戸跡は、上層の「飛鳥浄御原宮」の物とされています。

飛鳥びとの館

飛鳥びとの館

飛鳥びとの館

近鉄「飛鳥駅」前にある「飛鳥びとの館」(飛鳥総合案内所)では、古代衣装の貸出をしており、衣装を着てそのまま観光することが可能。

衣装の種類は、皇族男性、皇族女性、舎人、女官、采女等があります。

なお、衣装を借りるには予約が必要です。

「飛鳥宮跡」施設情報

「飛鳥宮跡」の施設情報です。「この施設の詳細を見る」ボタンからより詳しい投稿情報をご確認頂けます。

所在地 〒634-0111
奈良県高市郡明日香村
電話番号 0744-54-2362
交通アクセス 「飛鳥駅」下車 徒歩29分

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駐車場 無し
入場料 無料
公式サイト -

飛鳥宮跡のアクセス

飛鳥宮跡
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飛鳥宮跡(伝飛鳥板蓋宮跡)は乙巳の変の舞台となった地です。
飛鳥宮跡(伝飛鳥板蓋宮跡)は乙巳の変の…
飛鳥板蓋宮、飛鳥岡本宮、飛鳥浄御原宮など複数の宮があったと判明しています。
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石敷の広場や大井戸跡が出土しています。
石敷の広場や大井戸跡が出土しています。
甘樫丘や香具山を望むことができます。
甘樫丘や香具山を望むことができます。
飛鳥宮跡(伝飛鳥板蓋宮跡)の外観です。
飛鳥宮跡(伝飛鳥板蓋宮跡)の外観です。
飛鳥宮跡(伝飛鳥板蓋宮跡)の外観です。
飛鳥宮跡(伝飛鳥板蓋宮跡)の外観です。
飛鳥宮跡(伝飛鳥板蓋宮跡)の説明看板です。
飛鳥宮跡(伝飛鳥板蓋宮跡)の説明看板で…
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