一ノ谷の戦い
一ノ谷の戦い
「一ノ谷の戦い」は、1184年(寿永3年)、摂津国福原と須磨(現在の兵庫県神戸市兵庫区、中央区、須磨区)を舞台に、すでに都を追われていた平氏が政権奪還をかけて源氏と激突した戦いです。俗に「源平合戦」と呼ばれる源氏と平氏の間で起こった「治承・寿永の乱」(じしょう・じゅえいのらん)の戦いのひとつになります。この戦いは、「源義経」の「鵯越の逆落とし」(ひよどりごえのさかおとし)と呼ばれる奇襲戦によって源氏が大勝し、それまで栄華を極めた平氏が、滅亡に向かうきっかけとなりました。かつて一ノ谷の戦いが繰り広げられた兵庫県神戸市の古戦場須磨浦公園をご紹介します。
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一ノ谷の戦いの概要

戦いの背景

「平家にあらずんば人にあらず」と言われるほど栄華を極めた平氏も、1181年(治承5年)3月20日に、「平清盛」が熱病によって病死したことにより、徐々に勢力が衰えていきます。

木曽義仲

木曽義仲

平氏は、北陸で勢力を拡大する「木曽義仲」(源義仲:「源頼朝」の従弟)を抑えるため、1183年(寿永2年)5月、総大将の「平維盛」(たいらのこれもり)が北陸に攻め入り、「倶利伽羅峠の戦い」(くりからとうげのたたかい)が起こります。開戦当初、平氏軍は次々と北陸地方を制圧していきますが、木曽義仲の策略に嵌り、平氏軍は大敗を喫します。

その後、木曽義仲は平安京入りしたため、平氏は、天皇家に代々受け継がれている「三種の神器」とともに、当時8歳だった「安徳天皇」(あんとくてんのう:平清盛の孫)を連れて都落ちし、九州の太宰府へ逃れます。

一方、京を制圧した木曽義仲でしたが、朝廷らと度々トラブルを起こしたうえ、後白河法皇の命により平氏軍と備中国水島(現在の岡山県倉敷市玉島)で戦ったものの敗れたことにより、事実上、平安京を追放されていました。

木曽義仲と朝廷の亀裂を利用して、従兄の源頼朝は木曽義仲の勢力を削いでいきます。これに激怒した木曽義仲は、1184年(寿永3年)「宇治川の戦い」で、源頼朝や源義経と戦いますが敗北。木曽義仲の一生はここで終えることとなりました。

源氏同士が内部抗争をしている間に、九州の太宰府に逃れていた平氏は着々と勢力を回復。すでに中国、四国、九州を支配し、瀬戸内海を制圧していました。また、屋島にあった本拠地を、かつて平清盛が遷都を計画していた「福原」(現在の兵庫県神戸市)へと移動し、一ノ谷で源氏を迎え討とうと目論んでいました。この動きを知った後白河法皇は、1184年(寿永3年)1月26日、源頼朝に三種の神器奪還と平氏追討の宣旨を下したのです。

一ノ谷の戦い

源義経

源義経

1184年(寿永3年)2月4日、源頼朝の命により、源義経が10,000、「源範頼」(みなもとののりより)が56,000の軍勢を率いて、京都から福原へと出陣します。源氏軍は2軍に分かれ、源義経軍は丹波路を、源範頼軍は西国街道を進み、2月5日、摂津国に到着。

一方、平氏軍は、津と播磨の境にある「一ノ谷」に集結していました。平氏が陣営を構えた一ノ谷は、前面に海、背後には絶壁の崖が迫り、東側は陣営、西側は細い道が1本通っているだけの閉鎖的な地形だったことから、防御に絶対的な自信を持っていたのです。

しかし、合戦の前日、平氏軍のもとに後白河法皇の使者が訪れ、後白河法皇から和平勧告が出たことが伝えられると、これを信じた平氏軍は油断してしまいます。

摂津国に到着していた源範頼軍は、「生田の森」(現在の兵庫県神戸市にある生田神社の後方の森)へ南下した一方、源義経軍は、2月7日早朝、精兵70名ほどの騎馬隊を引き連れて一ノ谷の裏山である「鵯越」に陣を構え、ついに一ノ谷の戦いが開戦します。

戦いが始まったものの、源氏軍は、堅固な陣を敷く平氏軍をなかなか攻め落とせずにいました。そこで源義経は、地元の猟師から聞いた「鹿も四つ足、馬も四つ足」という言葉とともに、ヒヨドリしか降りられないような絶壁を騎馬で駆け下り、平氏軍の背後から急襲を仕掛けます。これが有名な「鵯越の逆落とし」です。

予想もしていなかった方向から攻撃を受けた平氏軍は大混乱に陥ります。その混乱に乗じて源氏軍は火を放ち、海側に逃げ惑う平氏軍に対し、源範頼はここぞとばかりに総攻撃を命じます。この状況を見た平氏軍の総大将だった「平宗盛」(たいらのむねもり)は敗戦を悟り、安徳天皇や「建礼門院」(安徳天皇の母、また平清盛の娘)らを連れ、屋島へと逃れました。

この一ノ谷の戦いで平氏軍は敗戦。その後の1185年(寿永4年/元暦2年)の「屋島の戦い」、平氏滅亡となる「壇ノ浦の戦い」へと続いていくこととなるのです。

合戦・古戦場「壇ノ浦の戦い」YouTube動画

合戦・古戦場「壇ノ浦の戦い」

一ノ谷の戦いの古戦場

須磨浦公園

一ノ谷の戦いがあった兵庫県神戸市須磨区は、現在、鵯越の逆落しの舞台となった鉄拐山(てっかいさん)を含め、「須磨浦公園」として整備されています。園内には、子供達が遊べる「須磨浦山上遊園」などが設置されている他、約3,200本の桜が植樹され、市内有数の桜の名所となっています。

この他にも、源義経が通ったとされる一ノ谷の山道は、ハイキングコースとなっています。

一ノ谷の戦い YouTube動画

一ノ谷の戦い

「須磨浦公園」施設情報

「須磨浦公園」の施設情報です。「この施設の詳細を見る」ボタンからより詳しい投稿情報をご確認頂けます。

所在地 〒654-0076
兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町5丁目3
電話番号 078-731-4341
交通アクセス 「須磨浦公園駅」下車 徒歩1分

交通アクセス情報を見る

駐車場 有り(有料)
入場料 無料
公式サイト -

須磨浦公園のアクセス

須磨浦公園
須磨浦公園
須磨浦公園
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「須磨浦公園」
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須磨浦公園は桜の名所としても有名です。
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須磨浦公園の案内板です。
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