千早城の戦い 古戦場
千早城の戦い 古戦場
「千早城の戦い」(ちはやじょうのたたかい)は、1333年(元弘3年/正慶2年)「後醍醐天皇」(ごだいごてんのう)が主導する討幕運動に応じた「楠木正成」(くすのきまさしげ)と鎌倉幕府軍との間で起きた、千早城をめぐる包囲戦です。数々の奇策を講じた楠木正成側が、城に攻め込む幕府軍を撤退させ、勝利をおさめたのです。
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千早城の戦いの概要

「千早城の戦い」は、鎌倉時代末期にあたる1333年(元弘3年/正慶2年)に勃発。ちょうど、史上最強とも言われた「モンゴル帝国」から日本が侵攻を受け、鎌倉幕府の力が弱体化しつつあった時期と重なります。当時の日本国内では、鎌倉幕府に不満を持つ反幕府集団が暗躍し、「悪党」と呼ばれる武士等も出現しました。

楠木正成

楠木正成

そのような社会的背景を踏まえ、後醍醐天皇は1318年(文保2年)に即位すると、政治の実権を握るために鎌倉幕府討幕の画策を始めます。悪党のひとりであった「楠木正成」は、後醍醐天皇の討幕運動に呼応して挙兵。千早城の戦いに代表される、鎌倉幕府軍との戦いに突入したのです。

戦いの舞台となった千早城は、最後の砦としての役目を担う詰め城(つめのしろ:ひとつの城で最終拠点となる地域)です。三方を絶壁に囲まれた高台にあり、天然の要塞とも表現される堅牢な山城でした。楠木正成は、前衛の城にあたる「下赤坂城」、及び「上赤坂城」を巧みに使い分けながら、千早城へ攻め入ろうとする鎌倉幕府軍を食い止めようと応戦。

鎌倉幕府軍の数については、南北朝時代の軍記物語「太平記」では、20万、100万と記述され、小学館の「赤坂・千早城の戦い」では、「数万、十万」ぐらいが妥当と記載されているなど、諸説ありますが、大勢の鎌倉幕府軍に対して、楠木軍は総勢たった1,000人で城を守り切ったと伝えられています。数々の奇策を駆使して幕府軍を見事に翻弄し続けた結果、敵軍は撤退していきました。

楠木軍が100日間にわたる籠城戦に耐え抜くことができたのは、千早城の立地を上手に活用し、独自の奇策が功を奏した結果だと言われています。

例えば、夜討ち朝駆けの他、わら人形を使った奇襲、熱湯をかけたり崖から石や丸太などを落下させたりのゲリラ戦法が有名です。

千早城の戦いの古戦場

千早城

千早城

戦乱の舞台となった千早城は、現在の大阪府南河内郡千早赤阪村にあり、もともと楠木正成が築いた城でした。千早城の戦場跡は「千早城跡」(ちはやじょうあと)として整備されています。1934年(昭和9年)には国の史跡に指定されました。

城跡へは、近鉄の「富田林」(とんだばやし)駅から金剛バスに乗車、または南海電鉄の「河内長野」(かわちながの)駅から南海バスの利用が便利です。いずれの場合も、最寄りのバス停・金剛山ロープウェイ前で下車し、城跡にたどり着くことが可能。

登山気分を楽しみたい方は、ひとつ手前のバス停「金剛登山口」で降りましょう。バス停から城跡までは、徒歩約20~30分です。道中は険しい登り坂が続きますので、歩きやすい服装でのお出かけをおすすめします。

千早城跡は、千早赤阪村の集落を見渡せる高台にあります。千早地区の駐在所あたりから、山頂へ続く長い石段を登っていくのがおすすめ。ちょうど石段を登りきったところには、曲輪(くるわ)と呼ばれる平坦な広場が整備されており、ここが城の「四の丸跡」となります。

四の丸跡からさらに奥の方へ進むと、楠木正成とその息子「正行」(まさつら)を祀る千早神社が鎮座しています。通称「楠公さん」(なんこうさん)として親しまれている神社です。

1332年(元弘2年/正慶元年)に千早城を築城した際、城の鎮守として八幡大菩薩を祀り創建されました。神社の裏側にある一番高いところが本丸跡となります。その近くには、城の二の丸跡、三の丸跡も遺っていますので必見です。

さらに登山道を少し登りながら進んでいくと、楠木正成らの供養塔「千早城跡五輪塔」が出現。地元の人々の間では、「首塚さん」と呼ばれています。

城をめぐる戦いの変遷についてご紹介!

千早城跡写真一覧

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  • 千早城入口です。
    千早城入口です。
  • 千早城の本丸跡です。
    千早城の本丸跡です。
  • 登城口横にある跡碑です。
    登城口横にある跡碑です。
  • 楠木正成公の首塚です。
    楠木正成公の首塚です。
  • 千早城の石標柱です。
    千早城の石標柱です。
  • 楠木正成公の功績をたたえる石碑です。
    楠木正成公の功績をたたえる石碑です。
  • 館名板です。
    館名板です。
  • 千早城に続く石畳です。
    千早城に続く石畳です。
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「千早城跡」施設情報

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所在地 〒585-0051
大阪府南河内郡千早赤阪村千早
電話番号 0721-72-0081
交通アクセス 「金剛登山口バス停」下車 徒歩3分

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駐車場 有り
入場料 無料
公式サイト -

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